2012年2月号 [Vol.22 No.11] 通巻第255号 201202_255006
2011年度ブループラネット賞受賞者による記念講演会 2 海が直面している緊急事態、同時に見えている希望
Dr. Jane Lubchenco(ジェーン・ルブチェンコ)さん
(米国商務省次官、米国海洋大気局[NOAA]局長)
2011年11月11日、国立環境研究所地球温暖化研究棟 交流会議室で開催された2011年度ブループラネット賞受賞者講演会でのジェーン・ルブチェンコさん(米国商務省次官、米国海洋大気局[NOAA]局長)による講演内容(要約)を紹介します。なお同時に受賞されたベアフット・カレッジ(インド、創設者バンカー・ロイさん)による講演要約は地球環境研究センターニュース1月号に掲載しています。
ブループラネット賞およびジェーン・ルブチェンコさんの略歴については旭硝子財団のホームページ(http://www.af-info.or.jp)を参照してください。
海は、ご存じの通り地球の表面の70%を占めています。地球上の水分の97%は海水です。海は地球上の生命の起源だと考えられており、陸上よりもはるかに多様な生物を支えています。また、海は地球の天気や気候を制御し、人間、植物、動物、微生物などすべての生物に生活の基盤を提供しています。つまり海が地球上の生命を支えているのです。ですから、われわれが海に目を向けてみることはとても大切です。
海は長い間、食料や薬、公園、あるいは宗教的な場などとしての役割を果たしてきました。海は、その声に耳を傾ける人にはひらめきや知識をもたらします。しかし、そのあまりの広さと深さに、海にも限界があることを忘れ、私たちは海から美しさと恵みを当然のように奪いとってきました。私たちは海の未来を守ることができず、ひいては自分たちの未来を危険にさらしてしまっています。その結果、社会はどんどん脆弱になってきています。沿岸域のコミュニティ、経済、そして人々の健康までもが脅かされています。
科学者の社会契約
科学的な情報は、問題を理解しその解決策を見出す機会を与えてくれます。今日、私は現在の問題と解決策の両方についてお話したいと思います。私からのメッセージは二つです。
今、海が直面している緊急事態と、同時に見えている希望です。
解決策というのは、科学だけで導くことができるものだけではありません。政策決定者や企業リーダー、または自治体と情報を共有することも必要です。地域のコミュニティや伝統的知識からわかることもあります。科学者の社会契約の概念は、科学者が社会に対して貢献する責任だけでなく、地球と地球上の生命が私たちに伝えていること、そして科学者でない人々のアイデアに耳を傾けることも含んでいます。
私たちはしばしば経済と環境の二者択一を迫られます。しかし私はそうした選択肢の立て方に異を唱えます。経済と環境の両方にとって、長期的にも短期的にも利益になる方法がきっとあると信じています。そして、このような解決策こそが持続可能なものだと思います。
本日紹介する解決策は、科学の進展と地域のもっている知識の両方から生まれ出たものです。目指すものは、より持続可能な海の利用です。私たちがその恩恵を受けながらも、使いつくさないようにするために。
海に起きている変化
海は100年前に比べ、温かく、水位が高く、荒れやすく、塩分が高く、酸素が少なく、より酸性になっています。それぞれにおいて科学的な報告があります。これらの一部について詳しく説明したいと思います。
海水面の温度は上昇してきています。さらに、極氷冠(polar ice caps)や氷河の融解、そして温かい水の方が冷たい水よりも容積が大きいことが要因となり、全球の海水面の上昇が起きています。また、pHは下がってきています。海は大気から二酸化炭素を吸収し、より酸性になっているのです。現在、海は産業革命開始時にくらべ35%も酸性が強くなっています。海洋酸性化の速度や地域による違い、そして今後どうなるのかについて、世界中の研究者が強い関心を示しています。
海洋酸性化の主要な影響の一つは、炭酸カルシウムでできた骨格や殻を有する動植物へのものです。骨格や殻の形成に支障が生じ、溶解も早まってしまいます。サンゴ、カキ、ウニ、イガイ、植物プランクトンなどは海の酸性化により影響を受ける生物の一部です。
しかし、酸性化の影響はそれだけではありません。海水の中の音の伝達や動物の嗅覚にも障害が出ます。例えば、サケ科の魚は産卵する川を匂いでかぎ分けますが、この能力に支障がでます。また、映画「ニモ」で知られるクマノミは捕食者を匂いで感知し、イソギンチャクの中に隠れて身を守りますが、酸性化により嗅覚が鈍ってしまいます。その結果、逆に敵に向かって泳いでしまうという現象が起きています。
海洋酸性化の影響はまだ少ししか明らかになっていませんが、これは深刻な課題です。すべてではありませんが、ほとんどの動植物が、酸性化により悪影響を受けています。
この他にも、酸欠海域の増加、より毒性の高いアオコの発生、サンゴの白化、海岸の汚染、絶滅危惧種の増加、高次捕食者の消失、病気の増加(海産物にも影響)、漁業の衰退などが起きています。
人間が広い範囲にわたり肥料を使用しマメ科の植物を植えることで、年間の窒素固定量は今では自然に固定される量の2倍以上になりました。しかし、土壌中の窒素すべてが植物に利用されるわけではありません。そのため、陸水や沿岸域の富栄養化が起こります。その結果、沿岸付近の海域で酸素が非常に少ない場所(dead zone)が生じてしまうのです。この他にも侵入種が増加し、野生種の漁獲量は頭打ちになり、カリブ海と太平洋ではたくさんのサンゴが消えています。
漁業による大きな打撃
次に、世界の漁業の変化についてお話したいと思います。これは、とても重要であるにも拘らず、広く認識されていない問題です。
国際連合の食糧農業機関が毎年公表しているデータを使い1951年から1999年の地球上の漁業活動の変遷を見てみましょう。ある場所で海産物がとり尽くされると、それ以上そこで漁獲を続けることはできなくなり、漁師たちは別の場所に移動します。これを視覚的に見てみると、漁業活動のピークが沿岸部から徐々に沖合に移動し、同時に南へと移動していったことがわかります。漁業活動がピークを超えると、多くの場合資源が枯渇し漁業が崩壊した場所となります。そのような場所はその後資源が回復する場合もあれば、回復できないこともあります。人間は非常に短い期間で海の資源をとり尽くし、今では手つかずの場所はなくなってしまいました。
同じことを、別の見方で見てみましょう。1950年から2000年の地球上の漁業の状態を調べてみたところ、1950年には90%の海域が、漁業活動が “進行していない” または “進行中” に分類されていましたが、2000年には70%近くが “過度な漁獲” または “漁業の崩壊” に分類されるようになっていました。
漁業は対象としていない種に影響を及ぼすことがあります。ウミガメ、海鳥、哺乳種、他の魚などが混獲されてしまうことがあるのです。また、漁業活動以外にも、原油流出や営巣できる海岸の減少なども多くの生物にとって影響があります。生息地も脅かされています。
科学的知見を基にした対策がはじまっている
生態系アプローチと空間計画
このように私たちは数多くの課題に直面していますが、良いニュースもあります。私たちが導きだした科学的知見を用いて人々が解決策を導き出しています。
一つ目は「生態系アプローチ(ecosystem approach)」です。これまで、陸や海で行われるさまざまな活動は事柄別、部門別に管理されてきました。そのため個別の問題を総合的に検討する機会がなかったことが問題の一つでした。
このアプローチでは、さまざまな活動の個々そして全体の影響を考慮し、健全で、生産的で、回復力の高い生態系を長期的に維持することを目指します。人も生態系の一部ととらえ、総合的な視点で管理を行います。現在ではこのアプローチは広く使われるようになってきています。例えば空間計画(spatial planning)に使われており、ある場所において、同時に実施できる活動の組み合わせを検討し、異なる活動の対立や環境への負荷を最小限に抑えるために活用されています。
海の利用はしだいに過密状態となっており、利用を巡る対立が増えてきています。たとえば再生可能エネルギーや養殖などで対立が起きています。空間計画はそれらの対立を解消し、環境への影響を軽減することができます。しかし、これが成功するためには、ボトムアップである必要があります。地域の自治体や住民を巻き込み、長く継続できる活動の組み合わせを見きわめる必要があります。
米国では、このような空間計画と生態系アプローチの組み合わせを採用する動きが始まっています。オバマ大統領の大統領命令を受け、米国で初めての国家海洋政策(National Ocean Policy)ができました。これは健全な海と沿岸の管理責任に重点を置き、大きな海洋生態系に着目した地域スケールの空間計画の枠組みを作るというものです。
漁獲割当制度
二つ目の解決策は漁獲割当制度(catch share)とよばれるものです。これは過去の漁獲量をもとにして漁船やコミュニティごとに今後の漁獲量のうちの一定の割合を配分するという方法です。これは、漁業経済に大きな変化をもたらします。漁業を健全に保とう、よく管理しようという漁業者たちの意欲向上につながります。全体の漁獲量が多ければ多いほど、自分が獲得する量も多くなるからです。したがって漁獲割当制度とは漁業、経済、そして保全を同時にかなえるメカニズムであるといえます。
生息地の保全
三つ目の解決策は生息地の保全、特に海洋保護区(marine protected areas)と資源採取禁止区域(no-take marine reserves)です。何らかの方法により保護されている海域というのは極めて少なく、全体の1%未満です。これは陸域の10〜15%が保護されている事実と対比してみてもとても少ない数値です。しかも、その1%未満の中でも、資源の採集活動や撹乱活動から完全に守られている資源採取禁止区域は1割未満です。しかしこれは、十分に活用されてはいないものの、とても現実的で重要な新しい方法です。
ある地域が保護区域として守られると、その中の生物多様性は豊かになり、周囲にあふれ出て、その周りの生態系の回復に役立ちます。さらには魚などの生物の、繁殖力の高い大きな成熟したメスの保護が可能になります。このような非常に大きな可能性を秘めています。
多様性の確保が環境変化の適応策に
生息地の保全は、気候変動や海洋酸性化などへの対策にもつながるかもしれません。温室効果ガスを減らすことはもちろん必要ですが、資源採取禁止区域を作り、その中で生物の遺伝的多様性を高く維持できれば、気候変動や海洋酸性化などの環境変化への適応が促されると期待できます。
情報の普及
解決するにあたって最後にとても重要なのは、これらの問題や対策に関する一般の認知度を高めることと管理向上への努力です。自然を支配するのではなく、自然と共存して生きようという考えが広まっています。若い世代、メディア、さらに多くのNPOの活動を通じて情報の普及や解決策を受け入れる機会が増えています。これらのことは、良い科学情報をもとにして発信されることが重要です。つまり、科学者たちが社会と相互に交流し、社会の動きに対してオープンになるということが重要です。
私たちは今、緊急事態に直面していると感じています。また、科学者は、社会が最も重要な問題に目を向ける手助けをし、社会へ情報を提供し、社会の声に耳を傾ける責任があると感じています。目標と危機と希望を意識しながら、地球の住民として力をあわせることでより持続可能な未来を手に入れることができると信じています。私は科学者の社会契約の実行に努めます。私は本当に差し迫った危機を感じています。あなたもそう思いませんか?
講演の後、講演者と参加者との間で質疑応答の時間が設けられました。簡単にご紹介します。
Q1: アメリカの連邦議会に科学者がいないのはなぜですか?
A1: 現在、連邦議会には数名科学者がいますが、その人数は減ってきています。これは非常に残念なことで、私ももっと増えれば良いと強く願っています。しかし、同時に、科学者でないすべてのメンバーが科学に対して理解を示すことも重要だと思います。
Q2: 今生徒たちにもできることはありますか?
A2: 一人ひとりができることはたくさんあります。まず、エネルギーに対して意識を高めることはとても大事です。自分自身の二酸化炭素排出量を減らす努力をしたり、自分たちのいる場所やもっと広範囲の排出量を調べたりして、全体的に温室効果ガスを減らすための方法を考えることもできます。また、自分が食べる海産物が持続可能な方法で採取あるいは養殖されているかを考えることも大切です。もちろん炭素だけでなく、生き物の生息場所、食べ物の選択などにも関心を高め、情報を共有し、保全に取り組む団体と協力をすることもできます。問題が大きすぎてたじろぐ人もいますが、実は個人にできることはたくさんあるのです。
Q3: 特に発展途上国などでは生物多様性の保全よりも食糧問題などのほうが優先課題となっています。予算に限りがあるときに生物多様性の保全にどう取り組めば良いのでしょうか。
A3: 地球上の生態系は気候の調整、食糧の供給、水の浄化、洪水の制御、浸食からの沿岸部の保護などにより人間に恩恵(生態系サービス)をもたらしています。しかし生態系への影響を考慮せずに経済発展を行った結果、現在では生態系サービスの70%を失う深刻な危機に直面しています。私たちは、経済と自然から受ける恩恵のトレードオフをしっかり理解した上で、開発の計画を立てる必要があります。いまや生物多様性の保全は贅沢品ではなく必需品なのです。
*本稿は、生物・生態系環境研究センターホームページ(http://www.nies.go.jp/biology/Events/BPP2011_a.html)に掲載されたものを同センターの許可を得て地球環境研究センターニュース用に一部加筆修正しました。生物・生態系環境研究センターホームページには英語版も掲載しています。