RESEARCH2024年1月号 Vol. 34 No. 10(通巻398号)

環境研究総合推進費の研究紹介33 網羅的かつ高時間分解能観測から光化学オキシダント低減への鍵を見つける 環境研究総合推進費5-2106「光化学オキシダント生成に関わる反応性窒素酸化物の動態と化学過程の総合的解明」

  • 猪俣敏(地球システム領域地球大気化学研究室 主席研究員)

1. 研究の背景と目的

大気汚染は人にとって最大の健康リスクであることが世界保健機構から報告されています。日本では自動車排ガス規制対策等から、光化学オキシダント原因物質である窒素酸化物(NOx)と非メタン炭化水素(NMHC)全量の大気中濃度は近年減少傾向にあり、それに伴い光化学オキシダント注意報の発令延日数も減少してきました。しかしながら、2000年代後半には越境汚染による高濃度オゾンが問題となったり、最近でも局所的な高濃度オゾンが散見されたりしています。国外でも、パリやロンドンで深刻な光化学スモッグの発生がニュースになっています。

このため、光化学オキシダントの主成分であるオゾン(O3)濃度をシミュレーションする化学輸送モデル開発が試みられていますが、都市部での再現・予報にはまだ課題が多いことが報告されています。その一つに、オゾン生成に関与する反応性窒素酸化物の化学過程の知見不足があります。例えば、最新の国際モデル相互比較実験からは、NOx貯蔵種の硝酸(HNO3)等からNOxへの変換過程の知識不足が示唆されています。日本においてオゾン生成に関わる反応性窒素酸化物の総合的観測研究は近年なく、現状把握と解析が必要な状況です。

そこで、光化学オゾンの生成・消失過程において重要な反応性窒素酸化物の動態を包括的に把握し、その化学サイクルに関する科学的理解を深めることを目的に、光化学オゾン生成に関わる化合物の網羅的かつ高時間分解能観測手法の開発と日本の都市域における野外観測を行う研究を計画しました。本研究には、国立環境研究所のほか、早稲田大学、大阪公立大学、東京都立大学の研究グループが参画しています。

図1にオゾンの生成過程に関わる反応を示しました。矢印が環状に連なっている部分が多くみられますが、これは連鎖反応と呼ばれ、そのサイクルが回るたびにオゾンが生成されることを表しています。オゾンの生成量を正確に把握するには、NOxを含む反応性窒素酸化物のそれぞれの割合やNHMCの個別成分を把握することが重要になります。

図1 光化学オゾン(O3)生成をもたらす光化学反応過程。反応性窒素酸化物のうち、緑色のものがNOx、ピンク色のものがNOx貯蔵種。
図1 光化学オゾン(O3)生成をもたらす光化学反応過程。反応性窒素酸化物のうち、緑色のものがNOx、ピンク色のものがNOx貯蔵種。

2. 最新の大気化学技術による大気観測の実施

光化学オキシダントの一種でもあるパーオキシアセチルナイトレート類(PANs)はNOx貯蔵種として重要な役割を果たしており、気温が上昇するとPANsの熱分解が促進され、オゾン濃度の増加をもたらすことが予想されます。PANs全量を安定して長期に連続計測できる手法として、「熱分解-二酸化窒素(NO2)検出法」を確立しました。開発で工夫した点は、① NO2の測定には、従来のNOx計ではなく、分光学的手法のキャビティー減衰位相シフト法を利用した装置で、他の化学種の干渉のないものを用いた点、② 2台のNO2計で、NO2と170℃の加熱部を用いてNO2 + PANsを測定し、その差からPANs濃度を算出するため、NO2の大きな変動があってもキャンセルできる点、③ 2台の器差を把握できるように、2台で同時にNO2だけを測定する時間を設けた点で、精度よくPANs全量を測定する手法を開発しました。

本手法を用いて、八王子市(東京都立大学南大沢キャンパス構内)、所沢市(早稲田大学所沢キャンパス構内)、つくば市(国立環境研究所構内)の3地点で、PANs全量、O3、NO2を同時かつ長期に連続測定し、PANsとオゾンとの関係の温度依存性(日変化、季節変化)と地域依存性について調べています。

さらに、加熱部を360℃にすると有機硝酸(ONs)全量が測定できます(図1のRONO2も熱分解可能になります)。しかし、測定に一酸化窒素(NO)が干渉することが明らかになりました。そこでONs全量測定時にはオゾンを添加することでその問題が解決されることを見出しました。

HNO3、亜硝酸(HONO)、過酸化水素(H2O2)の計測にはIを試薬イオンとした化学イオン化質量分析法を使用して、リアルタイム測定を可能にしました。炭化水素、アルデヒド類の個別成分のリアルタイム測定は、ヒドロニウムイオン(H3O+)、ニトロソニウムイオン(NO+)、ジオキシゲニル(O2+)の三種の試薬イオンを高速で切り替えられるタイプの化学イオン化質量分析法を利用し、約40種の炭化水素、アルデヒド類などの個別成分の高時間分解能測定に挑戦しました。

図1の赤文字の化合物はラジカルを表していますが、ラジカル以外の化合物を網羅的にかつ高時間分解能で測定することが可能になりました。これらすべての観測技術を集結して東京都内での集中観測を季節ごとに行っています。

3. PANsの熱分解による光化学オゾンの増大の可能性

早稲田大学所沢キャンパスにおけるPANs全量、O3、NO2の通年観測から、(1) PANsは最大で3 ppb程度(ppbは混合比で10億分の1)、(2) PANsとポテンシャルオゾン(PO)濃度(O3濃度とNO2濃度の和)に正の相関があり、高温日ほど、またNOx/NMHC比が小さいほど、POは高くなり、回帰直線(PANs全量を横軸、POを縦軸)の傾きが大きく、縦軸の切片が小さくなる傾向があること、を見出しました。

図2に、最高気温(Tmax)が35 ± 2.5 ℃の時のデータの傾きと切片の平均の線(赤色の実線)、Tmaxが25 ± 2.5 ℃の時の線(緑色の実線)を示します。例えば25℃でPANsが数ppbあったとすると、気温が35℃に上昇した場合、PANs は熱分解で減少する一方でPOが0~数10ppb上昇すること(矢印)をこの図は示唆し、PANsの熱分解が光化学オゾンの増大に寄与する可能性があることを、観測から見出しました。

図2 PANsの熱分解によるPO(= O3 + NO2)増大のイメージ図。
図2 PANsの熱分解によるPO(= O3 + NO2)増大のイメージ図。

4. アルデヒド類の挙動が最近の光化学オキシダントの傾向を決める鍵?

東京都立大学南大沢キャンパス(八王子市)の集中観測で測定されたPANsの日変化を調べたところ、午前中の早い時間帯での生成が頻繁に見られることを見出しました。この場合、アセトアルデヒドも濃度が高いことも同時観測でわかりました。これまでにも、大気汚染気塊が停滞気味である場合、上空にアルデヒド類等の二次生成大気汚染物質が残存し、これが翌日の朝方に大気境界層内に取り込まれて混合し、OHラジカルを発生させ、オゾンの生成を促進する現象があることが指摘されていました。しかし、アルデヒド類は二次生成だけでなく、車の排ガスの後処理システムに酸化触媒が使われ、炭素数の少ないアルデヒド類が放出されていることなどから、アルデヒド類の挙動が最近の光化学オゾンの傾向を決める鍵ではないかという考えに至りました。

光化学オキシダントの原因物質のNMHCとNOxの過去20年間の減少トレンドを、都市中心部と郊外、自排局と一般局に分けて調べてみたところ、NOxの減少トレンドはどのカテゴリでも同じでしたが、都市中心部におけるNMHCの9~12時の3時間平均値の減少トレンドは、6~9時の3時間平均値のものと比較して、緩やかになっていることを見出しました。アルデヒド類の影響がこういうところで見えるようになってきているのではないかと考えています。

5. おわりに

日本での光化学オキシダントの環境基準達成状況はほぼ0%ですが、2019年の日最高値の年平均は、一般局で0.047 ppm(百万分の1)と環境基準内の濃度レベルです。一方、米国の環境基準の計算にほぼ近い「8時間値の日最高値の年間99パーセンタイル値の3年平均値」については、全国の都市域において0.09~0.10 ppm程度であり、米国の環境基準値(0.070 ppm以下)に比べかなり高い状況にあります。つまり、日本の都市域での大気環境には高濃度光化学オキシダントを発生するメカニズムがあると考えられます。

NMHCの動態把握に、NMHC全量を測定するNMHC計が用いられていますが、アルデヒド類などの含酸素揮発性有機化合物(OVOC)の感度が低いことから、最近のOVOCの重要性を検出できない可能性があり、OVOCの寄与が増えてきていてもNMHC計で測定されるNMHC全量の値では減少傾向が続いているように見えている可能性が考えられます。NHMC計では検出されにくいOVOCが“密かに”高濃度になり、高濃度オゾンイベントを引き起こしている可能性が考えられるため、今後、OVOCの個別成分の把握が重要と考えています。