第11回二酸化炭素国際会議参加報告 ~日本から16000km、秘境での集い~
はじめに
鉄道会社を運営し、物件を買って総資産を競う有名なすごろくゲームがあります。タイトルに「ワールド」を冠する最新作は、その名の通り指定された世界各国の都市へ一番乗りを目指します。もちろん一筋縄ではいかず様々なカードで相手を邪魔したり(されたり)、知略を尽くす醍醐味があります。その中に、指定した相手を「秘境」に飛ばして邪魔をするカードがあります1。本報告の舞台はゲームに登場する秘境の1つ、マナウス2です。
マナウスは、ブラジル北部のアマゾン熱帯雨林の中心に位置します。成田→(11時間)→ドーハ→(15時間)→サンパウロ→(4時間)→マナウスまで、到着する頃には乗り継ぎも含めて丸2日が経っています。アマゾンクルーズなどのアクティビティが魅力的な都市ですが、近年は治安が悪化しており出国前から在マナウス日本国総領事館より注意喚起のメールが‥3。こういった状況に加えて、また公共交通機関がそれほど発達していないため移動はタクシーを利用しました。
日程と概要
2024年7月29日から8月2日の5日間、マナウスで第11回二酸化炭素国際会議(The 11th International Carbon Dioxide Conference: ICDC11)が開催されました4。4年に1度開かれる本会議は温室効果ガス研究のオリンピックとも呼ばれますが5、新型コロナウイルスの影響もあり2017年(インターラーケン@スイス)以来、7年ぶりの開催です。
会議は街の中心部近くのホテル、Novotel Manausの大ホールで開かれました。朝8時30分にスタート、10時30分過ぎのコーヒーブレイクを挟み、午前の部で10件ほど口頭発表があります。長蛇の列をなすビュッフェでランチを済ませると、そのままポスター発表に突入します。その後、2度目のコーヒーブレイクを経て18時過ぎまで口頭発表が続きます。欧米・アジアを中心とした各国からの参加者は100名を超え、5日間を通じて90件の口頭発表と168件のポスター発表が行われました。
会議について
(1)なぜ二酸化炭素?
二酸化炭素国際会議と題された本会議、なぜ“二酸化炭素”が名前に使われるほど重要なのでしょうか?それは、人類が化石燃料を大量に燃焼したことによる大気中の二酸化炭素濃度の増加が、地球温暖化の主な原因であると考えられているためです6。
(2)二酸化炭素の増加、どうやって考える?
思い切って単純化すれば、大気中の二酸化炭素を陸域・海洋・大気という3つの要素を軸に考えることができます。二酸化炭素はそれぞれ、陸域では主に植物の光合成によって、海洋では大気と海面の間での交換によって吸収されますが7、人間活動によって排出される二酸化炭素をすべて吸収するには至りません。吸収しきれなかった分が大気中に残留することで二酸化炭素濃度が増加するという考え方が基本的なアプローチです。
(3)会議では何が話されていたか?
(田口)
会議を通じて地球観測衛星の重要性が強調されていた点が印象に残りました。宇宙から広域を「視る」ことができる地球観測衛星は、これまで気候変動の実態解明に多大な貢献をしてきました。本稿では特に二酸化炭素やメタンなどを計測する温室効果ガス観測技術衛星について記します。
我々の研究の根幹は観測によって得られるデータです。Charles D. Keeling博士がハワイのマウナ・ロア山における観測によって大気中の二酸化炭素濃度が増加していることを発見してからおよそ60年、二酸化炭素と地球温暖化に関する研究は裾野を広げ、分野は長足の進歩を遂げました。一方で、観測ステーションで得られる現場観測データは詳細な情報が得られるものの、広い地域で何が発生しているかを把握することは困難です。
地球全体で何が起きているかを広く、そして瞬時に把握するために地球観測衛星から得られる情報を観測データとして活用しようとする流れを感じました。ただ、この実現には遠く離れた宇宙から得た衛星データを、現場観測の詳細なデータに基づいて検証する必要があります。より詳細な温室効果ガスの変動とその実態解明には地球観測衛星による観測結果の精緻化が不可欠です。
さらに、配布されたプログラム8からどんな言葉が何回使われたかを見ると9emission(排出:36回)、global(地球全体:35回)、forest(森林:34回)、atmospheric(大気の:31回)、amazon(アマゾン:31回)、climate(気候:27回)などが上位に来ます。人間活動による二酸化炭素の排出、地球全体で何が起きているか、森林による二酸化炭素の吸収・排出、などが主題だったことが大まかに読み取れます。
(イリーナ)
会議ではアマゾンに関する発表が多い一方で、多岐にわたるトピックが議論されました。世界、および地域的な二酸化炭素の吸収・排出に関する研究、地球観測衛星によるモニタリング、現場観測のデータを活用した報告が多数見られました。また、二酸化炭素だけでなく、メタン、一酸化二窒素、一酸化炭素などの温室効果ガスについても取り上げられました。
私はプロセスベースのモデルを用いる炭素循環研究者として、Pep Canadell博士の発表に興味を持ちました。彼は、地球全体での炭素循環の研究、およびその動向を把握するために設立されたグローバル・カーボン・プロジェクト(Global Carbon Project: GCP)を代表する研究者です。2023年に陸地での炭素吸収が大幅に減少した理由など最新の研究が報告されました。
さらに、大気中に排出された二酸化炭素を大気中から除去する二酸化炭素除去(Carbon Dioxide Removal: CDR)について地域のスタートアップ企業の代表者とお話しする機会もありました。南米東部は植林等によるCDRに適していると考えられていますが10、実際は大企業に買収され大規模な大豆生産が行われており、地元の人々にとって重要な収入源となっているそうです。こういった現実も環境と経済のバランスを取ることの難しさを物語っています。
ICDC11は炭素循環に関わるすべての研究者にとって貴重な会議であり、自身の専門分野だけでなく隣接するトピックについても学ぶ機会になりました。
終わりに
直前に変更された開催予定地11、機体トラブルで出国が延期になった成田発のフライト12、深夜にマナウス入りし宿泊先に向かうも地図上にあるはずのホテルがなくて平静を失うなど13、会議前に起こるハプニングに先が思いやられました(想定外こそ旅の醍醐味。ああだこうだと文句を垂れながらその場を乗り切るのはとても楽しい)。
ですが、始まってみるとそこは二酸化炭素研究の最前線。1日中続く会議も参加者は疲れを見せず、質疑応答にも積極的で有意義で濃密な5日間でした。最終日には次回の開催地について、急速に変わりゆく地球環境を考えて4年に1度から2年に1度に変更しては?という提案も出ましたが、参加者の反応はさまざまで決定は延期に。現時点ではイギリスのエクセター、アメリカのワシントンが候補地です。
同時期に開催されたパリオリンピックとちょうど日程が重なり、開会式の日に日本を発ち閉会日に帰国しました14。前述の通り、本会議は温室効果ガス研究のオリンピック、勝手に何かの縁を感じてしまいます。世界中の研究者が一堂に会する貴重な機会に大変刺激を受けました。2年後か、はたまた4年後か、その時には新たな研究成果を発表できるように力を注いで研究します。
Air Mailソンナコトアル?
「機体整備に時間を要しています」。15分おきに何度も繰り返される同じアナウンス。最終的に、その日のフライトは翌日に延期となった。ソンナコトアル?すでに終電の時間帯で、混乱の成田空港をかき分けるように帰途につく。乗り換え駅では階段を猛ダッシュ。汗だくで家にたどり着くと、日付が変わっていた。日中は普通に仕事だったこともあり、疲弊の限りであった。これがブラジルでの学会へ向けての初日である。
翌日、14:00発の振り替えフライトにオンラインチェックインしていると、フライト時間が22:30発に更新される。空港に向かう途中だったので、引き返そうかと乗り換え駅で、同行者の町田さん・田口さんに確認を取る。結局14:00発であっていたらしい。ソンナコトアル?サイトの不備で連日フライトを逃しそうになる。
家を出て51時間経った深夜0:30頃、ブラジルのマナウスのホテルに着く。実際には、Google mapが“ホテルの場所”と表示する所に着く。が・・・、そこには暗いビルがあるのみで、ホテルらしいものはない。周辺に人の気配さえない。ソンナコトアル?ちなみにマナウスの治安は良いとは言えず、数日前には銃による殺人事件のニュースを耳にしていた。
学会初日の夜、会場からタクシーで宿泊ホテル近くまで戻る。クレカが使用できると聞いて乗車したのだが、支払い時にネットのトラブルで、車内に10分以上軟禁される。ソンナコトアル?
学会会場までのタクシー料金を、“表示料金の”1.5倍高く請求された。ソンナコトアル?
町田さんが、長年愛用の水筒をタクシーに置き忘れる。ソンナコトハアル。ヨク。
そもそも学会会場にタクシーで行かなければならなくなったのは、会場が連絡なく変更されたから。これは数百人規模の国際会議である。ソンナコトアル?
田口さんが衣類のクリーニングをホテルで頼んだが、返却予定日に戻らない。翌日クロークに放置されていたことが判明。しかも表記されていた料金より高額を支払わされた。後日笹川もクリーニングを頼んだところ、料金が高いので確認すると、「請求額を間違えた」と言われた。ソンナコトアル?
サン・ジョゼ・ドス・カンポスのホテルでもクリーニングを頼み、返却予定日の“翌日”に引き取りに行くと、引換券も見ずに、「まだ!」的なことを言われる。そもそも前日が返却予定日だと突っ込むと、ようやく探しはじめ、それでも「無い!」と言われる。ソンナコトアル?
帰国途中のカタールのドーハで市場を散策していると(写真)、ボディーガードの田口さん(10月号学会参加報告参照)が異変に気づく。少し前にすれ違ったはずの髭の男が何故かすぐ後にいる。早足で脇道に入り、たまたま見つけた猫を愛でながらそおっと背後を伺うと、その男がこちらに向かってくる。明らかにつけられている。ボディーガード付きの私は怖くなかったが、ボディーガードはビビっていた。ソンナコトアル?
補足
海外で国際会議に参加すると、いつもトラブルのフルコースです。色々ありすぎて、ダイジェストになっております(すでに文字数オーバですが。フルバージョンが聞きたい方は、喜んでお話しします)。いつも忍耐強く確認(容認・諦観?)してくださる編集者と、読者の皆様に感謝です。元々、アマゾン川の川上り下りに関して書いて欲しいと言われていたのですが、すでに田口さん・イリーナさんの報告に十分写真が載っていたので利用すると、写真6の川面に影のように映っているのは、雲などの影ではなく川の色です。黒川(ネグロ川)ですね。触って分かるほどの水温の違いもありました。写真7はアマゾン川に生息する巨大魚(ピラルク)と戯れた後の集合写真です。その他のサイドイベントとしては、ICDC11とGGMT-2024間の週末にブラジル日本移民資料館を覗きました。今まで日本人が一番多く移民した先はブラジルだそうです。第二次世界大戦後には、生活の厳しさもあり多くの方が移民されたようです。館内には、実際に入植時に使用されていた多種多様な物や写真が展示され、再現された住居もあり、当時の状況がありありと伝わってきました。後日、『女たちのブラジル移住史』という本を読む機会があったのですが、この資料館のおかげで、筆者の方々の当時の大変な生活を容易に思い浮かべることができました。ブラジルへ移住された女性達の自分史のアンソロジーですが、農作業や生活自体の過酷さや昭和時代の社会や考え方による女性の苦難は想像を絶するものでした。ただ、どの方もその激動の人生を逞しく生きておられ、その生き様に、喝を入れられます。