Other side of the world ―温室効果ガス測定に関する国際会議の参加報告―
連絡なしの会場変更(予約のホテルが徒歩圏外に・・・)。日程まで変更されるプログラム(開催されるのかすら不安に・・・)。当日に延期されるカンファレンスディナー(一応服装を考えてきたのだが・・・)。どんどん遅れるスケジュール(後半の発表時間は強制的に短縮・・・)。いつまでも続く音声トラブル(講演時間がコーヒーブレイクに・・・)。
自分の度量の小ささを痛感するブラジルでの会議参加となった。以下、大らかなブラジル人に感化された報告ということを、読者にも編集者にも了承いただきたい。
今回参加した国際会議(22nd WMO/IAEA Meeting on Carbon Dioxide, Other Greenhouse Gases, and Related Tracers Measurement Techniques; GGMT-2024)は2年おきに開催され、温室効果ガスの測定方法に関する最新の情報が交換される。開催地はサンパウロから車で1時間半ほどの街で、前の週にマナウスで開催された第11回二酸化炭素国際会議(11th International Carbon Dioxide Conference; ICDC11)から移動してきた参加者も多かった(筆者も連荘組)。
GGMTの概説は真面目な先達に任せたい(文末のリンク参照)。オンラインでの参加が認められている会議にも関わらず、地球が球形であることを忘れさせてくれる緩やかな運営であった。オンライン講演者が何人も現れなかったのは、寝落ちではないだろうか。
日本とブラジル間の直行便はなく、移動だけでも大変な時間を要した(今回私はdoor-to-doorで51時間。Over the sea and far away♪)。しかし、in-situで参加する意味合いは大きい(in-situは“現場で”という意味で、“現場”観測を表すときによく使う)。それは参加研究者との対面での交流である。発表内容自体はオンラインでも聞くことのできる時代だが、アイスブレイク・コーヒーブレイク・カンファレンスディナー等々での交友関係の展開や、質疑応答時間(そもそもこれが無い講演が頻発していたのだが)には(恥ずかしくて)聞けない(率直な・初歩的な)質問は、in-situだからこそできる。
アイスブレイクでは、フランスの研究者Jが、「オンラインであなたの顔を見た。」と気さくに話しかけてくれた。偶然にも、少しイレギュラーな相談を考えていた相手と分かり、棚から牡丹餅であった(ちなみに私は餅と餡をこよなく愛している。ブラジルにはお汁粉にそっくりな料理があるが、しょっぱく、視覚と味覚が混乱する)。相談内容に関して了承が得られ、更に彼女に聞きたかった質問にもじっくり回答してもらえたので初日にして大満足で、そのまま帰ってもいい気持ちであった(日本を発って10日目で、正直もう帰りたかった)。
ポスター発表の際には、この研究者Jから、たまたま隣に立っていたアメリカの研究者Sが、自分が探していたとある情報を持っていることを教えてもらい、渡りに船であった(アマゾン川の川上り下りに関しては、また別の機会に記したい)。4年前のこの学会で知り合ったドイツの研究者Aからは、自分のポスターを説明する中で、標準ガスに関して新しい観点を得た。これまでメールやオンライン会議でしばしばやりとりしてきたアメリカの研究者Aとも、対面で初めて挨拶を交わし、ポスター発表をする中で詳しい情報交換ができた。その最中に本会議のホストであるブラジルの研究者Lが彼女の実験室に招いてくれた。その実験室の温室効果ガス測定システムは、この研究者Lと研究者Aが20年前に一緒にセットアップしたものらしく、未だに動いていることに興奮しつつ昔話に花が咲いていた(写真1)。二人の歴史の1ページに立ち会えたのは、幸運であった。
ランチバイキングの列でたまたま隣に並んだアメリカの研究者Sには、彼の発表時にできなかった質問をして、日本との共同研究の種を見つけることができた。最終日のランチの際には、イギリスの研究者Pから、近いうちに韓国で行われる関連会議の情報を伝えられ、参加を促された。前述の研究者Aからも同じお誘いを受けていたこともあり、流れで参加の意志を伝えてしまった。ブラジルまでの旅程を考えると、韓国など国内移動同様であるが、坐骨神経痛持ちの私にとって、飛行機移動は陰鬱な思いにさせられるのである。
今回の開催地は、アクセスの悪さから、今までで一番気(と腰)の重い学会であった。しかしin-situだからこその収穫が盛りだくさんで、これほど充実した国際会議もなかった。渋る(そして痛む)私の背中を押してくれた田口琢斗(たくと)さんは(写真2)、鞄持ち・ツアーコンダクター(たくっとツアー)・ボディーガード(彼は少林寺拳法の有段者)を兼ねてくれた(だからこそin-situ参加を決めたのであるが)。サンパウロの日本国総領事館からたまに届くメールには、邦人に起こった物騒な事件と共に、安全に関する注意喚起がなされていたが、ボディーガードとしての彼の活躍の場は幸いにも訪れず、これが本当に何よりであった。
学会最終日の夜、São José dos Camposにて