地球環境モニタリングステーション落石岬30周年(2) 観測・研究について -落石岬ステーションにおけるメタンの連続観測
1. はじめに
北海道根室市にある落石岬ステーションが1994年に竣工されて今年で30年になります。本稿では、落石岬ステーション開設当初の1995年7月から観測が続いている、大気中のメタン濃度の観測について紹介したいと思います。
2. 増加する大気中のメタン
メタンは1つの炭素と4つの水素から成る化合物で、化学式ではCH4と表される最も単純な炭化水素です。大気中のメタン濃度の系統的な観測は1970年代後半からアメリカの研究グループによって始められ、二酸化炭素と同様に徐々に大気中の濃度が増加していることが明らかになりました。メタンは赤外線を吸収する性質があり、二酸化炭素等と同様に温室効果ガスの一つであるため、大気中の濃度増加による地球温暖化への影響が懸念されています。メタンは嫌気的な環境における有機物の分解過程でメタン生成菌によって合成されます。一方、大気中でメタンはヒドロキシラジカル(OHラジカル)によって分解され、最終的には二酸化炭素になります。人間活動が活発になる以前は、このメタン発生源からの供給と分解がおよそ釣り合う状態にあり、大気中のメタン濃度はほぼ750ppb注1)で一定でした。ところが、水田や埋立地等の人為的発生源からのメタン放出量が増えた為、供給と分解のバランスが崩れ、大気中のメタン濃度が増加したと考えられています。また、人為的なメタン発生源としては、メタンを主成分として含む天然ガスの消費量の増加に伴い、それらの採掘・輸送・燃焼過程での漏洩も大気中のメタン増加に寄与していると考えられています。
メタンの発生源は多岐にわたっており、その発生源分布や放出量についても不明な点が多く存在するのが現状です。そこで、世界の様々な地点で大気観測を実施し、濃度分布の時空間変動から地表からのメタン放出の状況を明らかにしようとする研究が進められるようになってきました。落石岬における観測もこうした研究の一環として私たち国立環境研究所によって実施されています。
3. メタンの観測システムの開発
落石岬ステーションは1994年3月に竣工し、その後各種観測装置が順次設置されました。私は1994年10月に国立環境研究所に入所したのですが、入所早々に当時の上司からステーションのメタン観測を担当し、できるだけ早く観測をスタートするよう命じられました。幸い大気中のメタン濃度測定は大学での研究で経験があったため、システムの概要はすぐに決めることができました。問題は、落石岬ステーションが無人であるため、観測システムを自動化しなければならない点にありました。今でこそ自動システムを開発するためのツールも色々と揃っていますが、当時はまだパソコンのWindowsも黎明期で今のように安心して使えるようなものではなかったので、測定に必要なバルブ制御やデータ回収を自動で行うログラムをMS-DOS注2)上で自作しました。
開発したメタン観測システムを説明します。まず、大気試料はステーション局舎の横に建設されたタワーの地上高51.5m(高度93.9m)の位置に設置された採取口からダイアフラムポンプによって吸引されます。
大気試料は、最初に低温トラップ等によって除湿された後、ガス切替装置に導入されます。ガス切替装置は大気試料と濃度の異なる3種類の標準ガスから一つを選んで、メタン濃度測定を行うガスクロマトグラフに導入するための装置です。ガスクロマトグラフに導入された大気試料は分離カラムによってメタンが分離され、炭化水素に高い感度を持つ水素炎イオン化検出器によってメタンが検出されます。また、定期的に3つの濃度レベルの標準ガスを分析することで、ガスクロマトグラフの校正が行われます。メタンの分析は10分間隔で実施され、3種の標準ガス+大気試料9回分析を基本サイクルとして、これを繰り返して分析を行っています。
観測開始から30年間、個々の機器類は更新されていますが、システムの概要はほぼ同じまま観測が継続されてきました。
さすがに制御プログラムはアップデートされており、今日では大気試料の分析状況や観測データについてはインターネット回線を通じて、ほぼリアルタイムでつくばの研究所で確認できるようになっています。
4. 落石におけるメタンの観測結果
それでは、落石岬ステーションでのメタン濃度の観測結果を見て見ましょう。図中の赤点は日平均値を、青丸は月平均値を、また灰色太線は季節変動成分を除いたトレンド成分を表します。落石岬で観測されるメタン濃度は冬に高く夏に低い季節変化を示しながら徐々に増加していることが分かります。一般にメタンの生物起源発生源からの放出量は夏に増加し冬に減少しますが、大気中濃度の季節変動はそれとは正反対になっています。一方、OHラジカルとの反応によるメタンの消滅は夏に増加します。また、落石岬ステーションでは東アジアモンスーンの影響により冬は大陸から、夏は太平洋からの空気の影響を比較的強く受けますが、一般に海洋よりも大陸のメタン放出量が大きいため大陸に起源を持つエアマスのメタン濃度の方が高くなります。したがって、観測される季節変化はOHラジカルとの消滅反応や大気輸送の影響が生物起源発生源の影響を上回っていることを反映したものと考えられます。
次にメタン濃度の経年変化の様子を詳しく調べてみましょう。図のトレンド曲線を見ると、メタンの観測を開始した1995年直後は毎年数ppbずつ増加していたのですが、2000年頃からほとんど増加せず、2005-2006年にはむしろ若干の減少傾向も観測されたことが分かります。当時、ついに大気中のメタン濃度は発生量と消滅量がほぼ釣り合った状態に到達したと多くの研究者は考えました。ところが、2007年を境に大気中のメタン濃度は再び増加を開始しました。さらに、2013‐2014年、2020-2021年頃にメタン濃度が急上昇するような傾向が見られました。現時点でこれまでの濃度変化をふり返ってみると、2006年頃までは増加傾向が抑えられていたものが、2007年以降に突如として増加傾向に転じ、増加速度も徐々に上昇している様子が分かります。
これまで2007年以降のメタン濃度増加の原因を解明する研究が数多くなされてきましたが、メタンは自然起源も含めて様々な発生源が存在し、消滅源であるOHラジカルの変化を捉えることも難しいため、いまだに確定的な結論が得られていないのが現状です。メタンは二酸化炭素と比べて大気中での寿命が短いため、放出量を削減できれば大気中濃度を短期間に減らすことができるため、二酸化炭素放出量の削減が軌道に乗るまでの繋ぎの温暖化対策として期待されています。しかし、現実の大気中のメタン濃度は増加の一途をたどっており、増加速度も過去最高値を示しつつあるのが現状です。したがって、人為的なメタンの発生源分布や放出量を特定し、どうすればその放出量を効果的に削減できるかについて、真剣に取り組む必要があります。
今日、世界中の研究機関が実施する大気観測データと大気輸送モデルを用いて、地表からの放出量の分布や強度を推定する解析(逆推定)が進められています。こうした推定研究は、メタン放出量の効果的な削減対策の実施や実際の削減対策の検証に役立つと期待されています。落石岬ステーションでの観測結果もこうした解析に活用されており、東アジアを代表する貴重な観測となっています。今後も、正確な観測を継続して行くことが重要であると考えられます。