2013年1月号 [Vol.23 No.10] 通巻第266号 201301_266004

地球環境モニタリングステーション波照間20周年 4 波照間モニタリングステーションの今後の展開—100年後の記憶のために—

地球環境研究センター 副センター長 向井人史

長い間ずっと城とその庭の世話をし続けていたロボットが出てくるアニメがある。「天空の城ラピュタ」というアニメだが、ロボットが管理している建物は未来の都市のイメージとしてよくアニメで描かれているものである。しかし、ラピュタに出てくるロボットの場合は庭づくりもするといった人間臭い設定となっているところに親近感が湧く。20年前無人の観測所を目指してつくられた波照間の地球環境モニタリングステーションであるが、アニメのように今後ロボットが管理してくれたりするとありがたい。何百年もの間、人の手を借りずに測り続けているなんていうのは魅力的な話である。

しかし、残念ながら現在そのようなモニタリングステーションは存在しないし、そこまでを目指している観測所も聞いたことがない。かつてハワイのマウナロア観測所に行った時に、わかりきったような質問を現場のスタッフにとぼけてしたことがある。「ここの観測はいつまでやりますか?」当然返ってきた答えは、「フォーエバー」ということだった。そりゃそうだろうと言われればそうである。二酸化炭素の50年を超えるあのデータは人類の宝のようなデータであることは説明が不要だろう。しかし、もしあのデータをロボットが取っていたとするとどうだろう。逆にあのデータはほんとうだろうかという疑惑が頭をもたげないだろうか。人間のやることには間違いもあるが、人間がやるからこそ信用のおける場合もある。もちろん比較的単純な物理的作業におけるロボットの正確度は人間の比ではないが、品質や機能が一定ではないモノや作業に対する応答について正確であるかを判定できるまでロボット技術は成熟していないし、そう簡単に技術が発達するとも思えない。そもそもそのようなまったく人の手を介さない形式の大気のモニタリングが最終目的を達成するために現実的であるかどうか、逆に甚だ疑問でもある。

われわれがモニタリングしている大気の組成というものは、いわば “4次元的” にローカルなものである。今では微量成分である二酸化炭素であるが、かつては大量に大気に存在していた。海にこれが溶け込みながら大気中の濃度の減少が起こったわけであるが、そのころの地球は二酸化炭素の温室効果により初期の太陽がまだ暗い状態であっても温度が保たれていたと考えられている。その後、非常に長い時間をかけて植物による二酸化炭素の吸収が行われ、二酸化炭素濃度がさらに下がることになったわけであるが、その長い時間のなかで作られた生態系システムは炭素循環系として機能していて、同時に循環している大気の二酸化炭素の濃度は地球の気温の調節機能ももっている。これらを安定化させるには大気の組成も安定化させなければいけないはずである。

波照間での測定が始まった頃の二酸化炭素年間平均濃度は360ppmだったが、現在は397ppmになっている。あと2年で400ppmの新時代が来ることはほぼ確実である。二酸化炭素は全球平均では毎年約2ppmずつ増えているからである。これをどこで止めるかは人類の身勝手な都合による。二酸化炭素だけではない、メタンや亜酸化窒素、フロンなどの成分も同様に増加している。また酸素のような生命の維持に重要なガスでさえ濃度変化が起きている。このような大気組成の変化は自然現象でも起こりえないことはないが、人類が現在の大気組成を改変していることが明らかな場合は、人類がその責任を取るしかない。大気組成の改変という地球レベルの変化によりある意味地球上の生態系の運命を道連れにしていることになることも考えておかなくてはならないだろう。二酸化炭素濃度が増えるだけであれば、多くの植物にとっては光合成の速度を増して、バイオマス量を増やす絶好のチャンスかもしれない。しかし、温度が上がり乾燥度が増してある種の生物には生息環境に影響が出たり、土壌では有機物の分解速度が上がるため蓄積されている炭素の減少が起こったりするだろう。ミクロな微生物を含む生態系のバランスに変化を起こすことは確実である。一方で、二酸化炭素濃度増加による海洋の酸性化が進行するだろう。

人間の認知能力は無限と考えてもよいであろうが、実際には制限されているとも考えられる。特に未来の事柄に対して人間がどのように認知できるのかということになると甚だおぼつかないものであると思われる。例えば、地球温暖化についてある程度の予測ができていることが確かではあるにしても、全人類のみならず地球に生きているものが享受している大気というものの組成が将来にわたり変わりつつあるということが、われわれならびに地球上の生命すべてにとってどのような意味をもつのかということについてすべてのストーリーを描けるほどの想像力をもっているわけではない。情報の検索やデータベースが発達した現代において、パソコンやテレビからどんな情報も手に入ると錯覚してもおかしくないが、実はそうではない。人間の認識能力には限界があるし、流れている情報はすべてを網羅しているわけではない。自分たちで大気の組成がどのように変わっているかを地道に記録して、その意味をより深く考え、そこに警告を見いだすという行動をとらない限り、問題があるのかどうかをすぐには認知できない。このような意味において、未来 “例えば100年後” においても役に立ったと思われるデータを残すためには、ロボット的な仕事ではなく、むしろ人間臭い仕事が必要であると考えられる。

モニタリング事業は環境研究の基盤とされている。そして、科学者の任務は未来において価値のあるデータや考え方を残すことであろうと思われる。そのためには100年前の今の人間がどのように考え、どのように仕事を行ったかを残すことが重要である。正確なデータというものは、測定器だけでなく観測所の建物や人の管理を含む非常に細かな作業や調整の積み上げによって導き出されてくるものである。これまでの20年間の記録にはそれに携わった多くの職員やスタッフの努力が必要であったことは言うまでもなく、100年後の人々の記憶にこの波照間ステーションのデータが残るようにするために最も重要な要素というものは、結局、当事者の “強い情熱と想像力” というもの以外考えようがない。

その活動により、長期的に大気組成というものをより深く理解し、記録し、そして記憶してゆく必要がある。そのためには、これまで以上に詳細に大気組成の中身を調べる必要がある。大気の中の無機成分であれ、有機成分であれ、ガスであり、粒子であれ、雨であれ、丹念に調べれば調べるほどたくさんの成分が存在することがわかっている。しかもその挙動や起源がはっきりしないものも多い。そういう意味において、地球温暖化の観点のみならず地球大気のバックグラウンドという観点から、大気というものの性質を未来に向かって情熱をもって把握していくことが必要となる。

産業ロボットの密度は日本が世界一で、人口1万人に対して300ぐらいあるらしい。総数では300万体いる(?)ことになると考えられるが、そのロボットの中にこんな情熱をもっているやつがいるか? とどこかで聞いてみたい気がする。

fig. 二酸化炭素濃度の長期変化

波照間、落石の両モニタリングステーションにおける二酸化炭素濃度の長期変化

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