2011年10月号 [Vol.22 No.7] 通巻第251号 201110_251004

温暖化研究のフロントライン 15 現場を知ることから始まる自然の研究

  • 田中信行さん(森林総合研究所 植物生態研究領域 主任研究員)
  • 専門分野:森林生態学、熱帯造林
  • インタビュア:高橋潔(社会環境システム研究センター 統合評価モデリング研究室 主任研究員)

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地球温暖化が深刻な問題として社会で認知され、その科学的解明から具体的な対策や国際政治に関心が移りつつあるように見えます。はたして科学的理解はもう十分なレベルに達したのでしょうか。低炭素社会に向けて、日本や国際社会が取るべき道筋は十分に明らかにされたのでしょうか。このコーナーでは、地球温暖化問題の第一線の研究者たちに、自らの取り組んでいる、あるいは取り組もうとしている研究やその背景を、地球温暖化研究プログラムに携わる研究者がインタビューし、「地球温暖化研究の今とこれから」を探っていきます。

田中信行(たなか のぶゆき)さん

  • 1955年 神奈川県生まれ
  • 1977年 東京農工大学農学部環境保護学科卒業
  • 1980年 東京大学大学院農学系研究科修士課程(造林学専攻)修了
  • 1983年 日本学術振興会奨励研究員
  • 1984年 農林水産省林業試験場に就職
  • 1985年 農学博士号取得(東京大学)
  • 1987年〜1990年 農林水産省熱帯農業研究センターに出向
  • 1990年 森林総合研究所に職務復帰
  • 1991年〜1993年 タイ国王室林野局へJICA専門家として派遣
  • 1993年 森林総合研究所に職務復帰
  • その後、IPCC第3次および第4次評価報告書(影響評価部門)のレビューワー
  • 現在は、環境省環境研究総合推進費S-8プロジェクトの自然植生サブ課題の責任者のほか、小笠原世界遺産地域科学委員会と白神山地世界遺産地域科学委員会の委員なども務める

仕事と一部重なりますが、登山・ハイキング、ガーデニング、テニスが趣味です。今年の夏は、自宅の狭い庭でニガウリや朝顔を植えてグリーンカーテンを作りました。

現場を知るための登山

高橋:現在、田中さんは自然林への温暖化影響の予測に幅広く取り組んでおられますが、森林生態の研究者の道に進まれたきっかけやこれまで取り組まれてきた研究内容を紹介していただけますか。

photo. 森林総合研究所 植物生態研究領域 主任研究員 田中信行さん

田中:高校生時代に自然や公園、植物にかかわる仕事がしたいと思い、東京農工大学農学部環境保護学科という新設の学科に入学しました。そこで生態学に出会い、森林の面白さに目覚めました。自然林は、立地環境や成立履歴により種組成や構造が決まります。樹種はそれぞれに個性があり、森林でたくみに共存しています。学部卒業後は東京大学大学院農学系研究科に進学し、森林の研究を開始しました。大学院生の頃は、林の樹木の分布や更新過程を研究していました。その中には、ブナの分布と気候条件(積雪と気温)との関係も含まれます。この経験が温暖化のブナ林への影響予測の研究につながりました。

高橋:将来自然とかかわれる仕事をしたいと思われたのは、田中さんが育った環境に豊かな自然があったからでしょうか。

田中:私は神奈川県横須賀生まれですが、千葉県柏市で育ちました。私の小学生時代は柏周辺でも田畑や雑木林があり、手賀沼の周辺で魚取り、雑木林でセミやカブトムシ採集、草野球、ベーゴマなど外遊びに明け暮れていました。

高橋:大学から大学院にかけてフィールド調査をされていたと思いますが。

田中:大学院修士課程では秩父の森林をテーマにし、博士課程では尾瀬周辺の森林をテーマにしました。ですから秩父と尾瀬周辺は頻繁に調査に行っていました。また、大学時代の恩師の調査に同行して、ヒマラヤやインドネシアの森林調査にも参加しました。自然を研究するには、現場で調査したり観察したりすることが大切であることを実感し、日本各地の山を毎月一つ登ることにしました。現場を知るいい経験になりました。研究室の仲間ではありませんが、山好きの友人とよく一緒に登りました。就職してからも、機会を見つけて異なる地域の森林を観察してきました。家族旅行の時は、必ず森林が面白そうなハイキングコースを選んでいました。家族の写真より森林の写真を多く撮っていましたね。

高橋:研究のモチベーションもあがりますね。

田中:全体の中での自分の研究対象の位置づけもわかります。

高橋:学生時代からブナの研究を始められたようですが、思い入れがあったのでしょうか。

田中:ブナは日本、とくに東北の自然林の優占種ですから、ブナに興味をもちました。また、ブナについてはすでにいろいろな方が研究されていましたから、他の樹種に比べたら情報も格段に多く、一層興味をもちました。

フィールド調査からスタートした温暖化影響研究

高橋:温暖化影響の研究はいつ、どんなきっかけから始められたのでしょうか。

田中:私は1984年に森林総合研究所(以下、森林総研)の前身である農林省林業試験場に就職しました。1987年から1990年までは農林省の熱帯農業研究センター(現国際農林水産研究センター)に出向してインドネシアとフィリピンで、その後1991年から1993年まではJICA技術協力専門家としてタイで熱帯造林の研究に携わりました。当時、熱帯林の減少や熱帯荒廃地の対策として、森林再生は国際的に大きな課題でした。1993年に環境省地球環境総合推進費(以下、推進費)の温暖化影響評価プロジェクトがスタートし、森林総研もサブ課題の一つを担当していました。タイから帰国した私は当時のリーダーに誘われ、初めて温暖化影響研究に参加しました。

高橋:温暖化影響評価プロジェクトでは、将来、気候が変化したら自然林の分布域がどう変わるかをコンピュータで予測していますが、予測モデルとは別のアプローチでも取り組まれていますか。

田中:プロジェクトがスタートした頃は、温暖化の影響研究といっても何をテーマにするか模索から始まりました。当時は人工林の生産力を高める方法や、伐採後の天然林を自然再生させる方法などの研究が中心でした。プロジェクトでは、気候条件とフィールド現象の関係を研究することになりました。雪の量の違いが雪田植物(積雪の多いところで生育する植物)の生育や季節変化にどう影響するか、山地の樹木の生長量が斜面の向きでどう違うかなどのフィールド研究が行われました。現在は分布予測モデルを利用した樹木の生育地の変化予測が研究の中心ですが、以前はフィールド調査が主でした。

高橋:過去や現在の気象と植生との関係性を調べられたのですね。

田中:1993年から2004年までは現場の気象と森林生態系との関係を調べました。ブナの研究でモデルを利用した影響予測は2004年からです。モデルによる予測研究結果は社会的にインパクトがありました。また、地図化してわかりやすく社会に伝えるというニーズもありましたから、この方向に研究はシフトしました。推進費のプロジェクトが更新される際に、方向性の合わない研究テーマは淘汰され、ニーズの高いテーマが追加されてきました。

若い研究者の取り組みと東アジアでの共同研究に期待

高橋:温暖化影響評価研究を始めた頃、温暖化に関連する研究成果は学会等でどの程度理解されていたのでしょうか。

田中:地球環境問題は1990年後半から生態学会でも話題になりましたが、研究発表は少なかったです。森林学会、生態学会で気象とフェノロジー(植物季節)の関係を研究するものはありましたが、将来の気候シナリオに基づいた予測の研究はほとんどありませんでした。なかなか生物、生態学の研究者には気候シナリオは受け入れられていなかったようです。

高橋:将来の温度の上昇量、降水量について不確実性があるからでしょうか。

田中:そのとおりでしょう。不確実性があるなかで予測してどんな意味があるのかと思われたようです。気候シナリオを利用した温暖化の森林への影響予測研究は私たちのグループ以外にはなかったので、これまでの研究活動を通して、日本の温暖化の森林への影響研究の中心的役割を担ってきました。しかし最近は若い研究者や学生が取り組みだしました。私も大学の指導教官から依頼された学生の研究指導を常時行っています。

高橋:若い人たちが田中さんの指導のもとでいろいろなことを学んで今後のキャリアに活かしていく一方で、彼らから田中さんが刺激を受けることもありますか。

田中:学生たちは基礎的な専門知識はあるのですが、研究を完結させるには不十分な点があります。具体的な研究になると現場の知識が必要ですし、解析の技術や論文を書く技能が必要です。また、自分の研究の位置を総合的に評価する知識も必要です。私が学生に不足する部分を指導することで、学生自身が研究を大きく進展させてくれます。私自身がこれまでやりたかったけれど手をつけられなかったテーマにも、学生の力で取り組めるようになりました。そういう中から学位を取る学生が増えて、将来日本の研究を発展させてくれることを期待しています。

高橋:国際共同研究や研究ネットワークなど、研究を取り巻く状況は変化していますか。

田中:野生生物の分布予測モデルによる温暖化影響予測研究は、欧米では1995年以降にスタートして現在に至っています。日本でも内嶋善兵衛さん(お茶の水女子大学名誉教授)や恒川篤史さん(鳥取大学乾燥地研究センター長)が1990年代前半に先駆的な研究をされましたが、その後研究を発展させる人がいませんでした。私たちは当時分布予測モデルを知らなかったので、欧米の分布予測モデルの方法を学んで、植生図や植生調査に基づく分布データを利用して、温暖化影響予測を行いました。その成果が2004年以降に出せるようになりました。一方アジアを見ると、この分野の研究成果がほとんどありません。ですから東アジアの研究者とコンタクトを取って、東アジアにおける温暖化影響予測の成果を出そうと現在努力しています。具体的には、国立台湾大学(台湾)、雲南大学(中国)、国立生物資源研究所(韓国)などと共同研究を開始しています。

高橋:社会的条件、自然条件に類似している部分もありますから、結果の比較ができると研究が広がり発展していきますね。

温暖化影響予測結果を保全策につなげる

高橋:田中さんが今まさに取り組んでおられる、あるいは今後取り組みたいと考えている研究課題のなかで、特に力点を置かれているのはどのような研究でしょうか。

田中:これまでに、ブナ林、針葉樹類、ササ類、常緑広葉樹類などについて分布予測モデルに基づく温暖化影響予測を行いました。これによって、温暖化に対して脆弱な種と地域、また温暖化後も生育域として維持される逃避地が特定できました。この予測結果を保全策につなげていくことができます。モデルによる生育域予測をいろいろな種で行い、その結果を論文やマニュアルとして発行したいと考えています。また先ほどもお話しましたが、アジア地域で同様の研究を進めていくことが、国際的にも温暖化の影響について認識が深まることにつながると思います。さらに植物に依存して生活している動物との関係がまだまだ解明されていませんから、動物と植物を含めた温暖化影響予測についても近い将来成果を出していかなければいけないと思っています。もうすでに準備は進めています。

photo. 社会環境システム研究センター 統合評価モデリング研究室 主任研究員 高橋潔

高橋:面白い展開になってくるでしょうね。温暖化の影響予測は主としてコンピュータを使ったモデルシミュレーションによって行われます。田中さんの場合もブナをはじめとした自然林の各種樹種の適域推定モデルを開発され予測に用いておられますが、その開発・改良にあたって大事にされていること、気にかけていることはありますか。また、モデル開発に当たっての、研究室での作業とフィールドでの調査・観測等の比率はどの程度ですか。

田中:広域の影響予測を行うので、全てのデータを自分一人でとることはできません。植物に関しては、植生図データや私たちが作成した「植物社会学ルルベデータベース」​(http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/prdb/index.html)​をシミュレーションに利用します。モデルによる解析結果がフィールドで矛盾がないかを確認するために、重要な現場に行って確認作業を必ず行うようにしています。その確認作業と同時に植生調査も実施して、植生データをさらに蓄積するようにしています。

高橋:「植物社会学ルルベデータベース」というのはどのようなものでしょうか。

田中:植物社会学の一定の手法で現地調査された植生調査区(ルルベ)の種組成データを収集してデータベース化したものです。温暖化影響評価を進める上で必要なので、1993年から作り始めました。まず関東と甲信越地域のブナ林について既存文献の植生調査データを電子化する作業を行いました。次いで、全国のあらゆる植生タイプの調査結果の電子化を進め、2007年頃に全国版が完成しました。その後もデータの追加・修正作業を行っています。

高橋:現場での調査ではなく、文献等既存のデータを利用したのですね。そのデータベースは外部の人たちが共同利用できるのでしょうか。

田中:プロジェクトの成果として得られたものですから温暖化影響研究への活用を優先し、利用申請があれば共同研究ベースで提供しています。

白神山地のブナ林の価値を維持するために

高橋:2008年5月に環境省の推進費S-4「温暖化の危険な水準および温室効果ガス安定化レベル検討のための温暖化影響の総合的評価に関する研究」の研究成果を発表したところ、翌日の新聞で「白神のブナ2100年消滅も」という報道がされました。世界遺産ということもあり、白神山地のブナ林は注目度が高いと思います。最新の状況を少し教えて下さい。

田中:ブナ林の成立に適する適域の面積は、2081~2100年で非常に気温が上がるシナリオですと現在の0%に減少してしまうというショッキングな結果になりました。ブナ林の価値で世界遺産地域に指定された白神山地であるのに、適域が遺産地域から消失してしまうということです。今後重要なことは、脆弱な地域でどのようなことが進行しているかをモニタリングにより明らかにして、保全策を作っていくことです。白神山地以外にも、日本では自然遺産として、知床、小笠原諸島、屋久島が指定されています。いずれもきちんと保全されているかどうかを定期的にユネスコに報告する義務があります。ユネスコと国際自然保護連合(International Union for Conservation of Nature: IUCN)からは評価コメントとアドバイスをいただいています。その中で、どの世界遺産についても必ず温暖化影響の評価と適応が課題として挙げられています。日本国内では、利害関係者の調整をして合意形成をする「連絡協議会」と、連絡協議会に科学的なアドバイスをする「科学委員会」が設置されています。私も委員になっている白神山地の科学委員会は2010年7月に設置されたばかりですが、まず実際にどういう変化が起こっているのかを知るため、気象や生物のモニタリングについて検討しています。委員会活動を通して、私も研究成果に基づいた提案をしていますが、こんなことは10年前には想像できなかったことです。

若い研究者に:現場を見てほしい、研究成果を社会に活かしてほしい

高橋:最後に自然生態系の保全にかかわる研究に取り組んでいる若手研究者に対して、伝えたいことは何でしょうか。

田中:コンピュータによる予測研究も大切ですが、研究対象が生態系という現場ですから、是非現場を見ていただきたいと思います。私は大学院生のときに森林に興味をもち研究を始めましたが、自分が現場について何も知らないことに気づき、山に登り出しました。それで森林への理解も深まりました。現在、森林総研ではいろいろなデータを解析して論文や報告書を書いていますが、現場の経験があるから解析法の正しい選択や解析結果の正しい解釈ができるのです。就職してからもいろいろな機会に世界各地の森林を観察してきました。東南アジア(フィリピン、タイ、マレーシア、ミャンマー、インドネシア)や南アジア(インド、ネパール)、北オーストラリア、南米アマゾンなどの熱帯林、ヨーロッパ、北米、ニュージーランド、極東ロシア、南アフリカなどの温帯林などを訪れました。この経験は、世界の中から日本の森林を理解することに役立っています。また、文献からの知識だけでなく、現場経験に基づく評価ができるようになりました。

高橋:専門家・研究者と一緒に山に行くといろいろなお話しを聞くことができますし、研究者同士で情報交換もできます。若い人にとってもいい経験になるでしょうね。私も昨年ブナの調査に参加させていただき、いい体験をしました。

田中:もうひとつ伝えたいのは、自然生態系の研究のゴールは保全の達成です。研究ではデータの解析を通して論文化することが不可欠ですが、論文がどう最終ゴールにつながるかを意識することが重要と思います。もちろん、論文が多く出されることで科学的な根拠が増えるので、論文が重要なことは言うまでもありませんが、さらに研究成果を社会的に活かしていくことが、研究者にとっても社会にとっても価値があります。私は、大学院時代にお世話になった植物生態学の大学者である故沼田真先生の次の言葉を座右の銘としています。「学者は業績をアカデミズムの自己満足にとどめず、社会の求めにつなぐように行動してほしい。」

*このインタビューは2011年8月29日に行われました。

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