RESEARCH2024年9月号 Vol. 35 No. 6(通巻406号)

環境研究総合推進費の研究紹介35 気候変動を大気成分から監視する 環境研究総合推進費S-22「気候変動緩和に向けた温室効果ガスと大気質関連物質の監視に関する総合的研究」

  • 伊藤 昭彦(東京大学大学院農学生命科学研究科 教授、地球システム領域 客員研究員)
  • 丹羽 洋介(地球システム領域物質循環モデリング・解析研究室 主幹研究員)
  • 寺尾 有希夫(地球システム領域物質循環観測研究室 主任研究員)
  • 羽島 知洋(海洋研究開発機構 グループリーダー代理)
  • 田邉 清人(地球環境戦略研究機関 上席研究員)

1. 研究の背景と目的

極端気象などの気候変動影響が深刻化する中、二酸化炭素(CO2)に代表される温室効果ガス(GHG)排出の大幅削減、そして人為排出を正味でゼロとする脱炭素社会の実現は喫緊の課題となっています。しかし、パリ協定をはじめとする対策が進められているにもかかわらず、大気中のGHG濃度は低下する兆候を見せていません。近年の分析により、そもそも各国が排出しているGHG量の報告値には不確実性が依然として大きいことが指摘され、排出削減を裏付ける科学的根拠は未だに薄弱であることが重大な問題となっています。

一方、気候変動に関する理解が進み、パリ協定の1.5℃目標達成には、CO2だけでなくメタン(CH4)や一酸化二窒素(N2O)などGHG全般の削減が必要であることが認識されるようになりました。さらには、短寿命気候強制因子(SLCF)と呼ばれる大気質関連物質、例えば窒素酸化物(NOx)やブラックカーボン(火災起源のスス)、代替フロン物質の1種であるハイドロフルオロカーボン(HFC)などの削減も、大気汚染を防止するだけでなく気候変動対策としても相乗効果があることが明らかとなっています。

気候変動に関連するこれら大気中の物質を包括的に監視することは、緩和に向けたすべての対策・政策において科学的基礎となる重要な活動です。そこで、 精密な大気観測とモデル分析によって気候変動関連物質の排出・吸収を監視し、科学的データを提供することで環境政策を支援することを目的とした新たな研究プロジェクトが発足しました。本プロジェクトは、2024〜2028年度の5年間、環境研究総合推進費のうち重要度が高いテーマに取り組む戦略課題の1つ(S-22)として実施されます。

2. S-22プロジェクトの概要

全体の構成
大気中GHGの監視といえば、ハワイ・マウナロアで実施されているCO2濃度の連続観測をご存知の方も多いでしょう。確かにマウナロアのデータは世界を代表するような場所で1950年代からの大気中CO2の変遷を示したという、比類ない貢献を行ってきました。現代の大気監視には、より多くの種類のガスを、より高い精度と時空間分解能で把握することが期待されています。気候変動対策をよりきめ細かく行うために、できるだけ多くの種類のGHGや関連物質(SLCFなど)について、世界全体の総排出量や平均的な大気中濃度だけでなく、国・地域さらには大都市レベルまで詳細化した情報を提供することが求められるようになっています。

S-22はそのようなニーズに応えるよう構成されており、観測とモデルの融合、そして自然科学と社会科学の連携によって研究を総合的に進めていきます。図1に示すようにS-22は4つのテーマで構成されており、それぞれ、観測をベースとする精密な現状把握、グローバルなモデルを用いた変動メカニズムの理解、地表における排出・吸収の推計、そして政策貢献に向けた活動を進めていきます(詳しくは次節で説明します)。ここでは、日本が持つ様々な研究リソース、例えば温室効果ガス観測技術衛星(GOSAT)シリーズによる観測データ、アジア太平洋地域に展開されている観測ネットワーク、先端的なシミュレーションモデルを活用します。観測とモデル、そして政策指向の研究グループが密に共同研究を行うことで、社会のニーズに迅速かつ臨機応変に応えていくことを目指します。

図1 推進費S-22プロジェクトの全体概要
図1 推進費S-22プロジェクトの全体概要

テーマ1「観測に基づくGHGおよび関連物質の地表面フラックス早期評価システムの構築」 の内容
このテーマは、観測データから現在のGHGやSLCFの排出・吸収の状況をいち早く高い精度で把握することを目標としています(図2)。3つのサブテーマから構成され、それらは(1)大気輸送モデルを用いて地表でのフラックス(排出・吸収)を推定する手法の開発(国立環境研究所)、(2)アジア太平洋域を中心とした観測ネットワークを活用したデータ整備と解析(国立環境研究所)、(3)船舶などによる海水中のCO2濃度観測をベースとした大気−海洋間のフラックスの評価(気象研究所)を担当します。さらに、本テーマ全体で、モデルや観測から得られるさまざまな情報を統合し、総合的なフラックス評価を行う体制を構築します。地上ステーションやタワー、船舶、航空機、さらに人工衛星といったさまざまなプラットフォームで得られた観測データを利用すること、また、それらのデータから最大限に情報を引き出せるようにモデルを高解像度化すること、さらに、観測とモデルを密に連携させて研究を進めるといった点が本テーマの特徴です。

図2 テーマ1の概要
図2 テーマ1の概要

テーマ2「予測モデルおよび逆推定モデルを用いた全球規模での主要3種GHGに関する排出・吸収量の研究」の内容
このテーマは海洋研究開発機構が担当し、グローバルに影響を及ぼす主要3種GHG (CO2, CH4, N2O)に注目します。各種モデルを活用した分析により、GHGの変動メカニズムを理解しながら、精緻な排出・吸収量推定と予測モデルの精度向上につなげます。サブテーマ(1)では、地球の気候や物質循環(GHGなどの排出・吸収から輸送、気候へのフィードバックまで)をシミュレートする「地球システムモデル」を用いて、陸や海とのガス交換を含めてGHG循環の長期的な変動を分析します。サブテーマ(2)では大気輸送モデルを使用しつつ、グローバルな観測情報も交えながら大気中GHGの輸送や化学反応をシミュレートし、地表でのGHG排出・吸収をグローバルに推定します。ここで使用する地球システムモデル(MIROC-ESM)は、IPCC報告書に掲載されている将来の気候変動予測にも貢献しており、2つのサブテーマ間連携は、本予測モデルの精度を高めることにもつながります。

図3 テーマ2の概要
図3 テーマ2の概要

テーマ3「吸収源を含む地表GHGおよび関連物質収支のボトムアップ評価に関する研究」の内容
このテーマは地表における各ガスの排出と吸収を個別に推計し、それを積み上げることで国・地域や世界全体での収支を評価します。テーマ1と2は大気の観測データを出発点として地表の排出・吸収を求めますが(上から下に向かうため「トップダウン」と呼ばれます)、テーマ3は地上を出発点としています(下から上に向かうため「ボトムアップ」と呼ばれます)。できるだけ詳細で精度の高い情報を集めることで、トップダウンでは見ることが難しい空間分布や排出の内訳を示すのがボトムアップの特徴です。3つのサブテーマで構成され、それらは(1)自然起源の排出・吸収を扱うモデルと人為排出データ(インベントリ)に基づく評価(東京大学)、(2)衛星観測データを用いた地表での排出量とその変動の検出(千葉大学)、(3)森林における土壌のCO2とCH4の排出・吸収の観測とモデル評価(森林総合研究所)、を実施します。

図4 テーマ3の概要
図4 テーマ3の概要

テーマ4「GHGおよび関連大気物質の監視データの環境対策・政策への効果的な反映に関する研究」の内容
このテーマは本プロジェクトの成果を政策につなげる役割を担っています。いくら高精度な観測やモデル解析を行っても、それを社会のステークホルダーにわかりやすい形で示さないと政策に結びつかないため、多くの科学的なプロジェクトの弱みとなっていました。S-22では、地球環境戦略研究機関(IGES)の社会科学を専門とする研究グループにより、科学と社会の橋渡しが行われます。サブテーマ(1)は世界の気候政策の動向を分析し、本プロジェクトによる大気の監視データを気候変動枠組条約などの環境政策に活かすための戦略を提案します。サブテーマ(2)は国内のステークホルダー(政策担当者など)に本プロジェクトの情報を提供して政策立案を支援していきます。

図5 テーマ4の概要
図5 テーマ4の概要

3. S-22に期待される成果と貢献

S-22がターゲットとする政策貢献の1つに「グローバルストックテイク」があります。少し話はさかのぼりますが、S-22が始まる前にはSII-8というプロジェクトが実施されており、その目的こそがパリ協定に掲げられた目標の達成状況を確認する作業(グローバルストックテイク)への貢献でした。第1回グローバルストックテイクは2021~2023年に行われ、2023年のCOP28でその成果に関する決議文書が採択されました。各国はそれに基づいて排出削減の目標を引き上げることになっています。この重要な作業に、信頼できる科学的データが必要なことは明白で、 SII-8では日本の科学を結集して温室効果ガスの排出・吸収を評価したデータを提出しました。第2回のグローバルストックテイクは2026~2028年に行われますので、 SII-8の多くのメンバーが引き続き参加する S-22もそこでさらなる貢献を行うことが期待されています。

国際的な活動も急ピッチで進められています。その1つが、世界気象機関(WMO)が主導する「グローバルな温室効果ガス監視(G3W: Global Greenhouse Gas Watch)」であり、気象観測と同じように大気中のGHGを観測し、天気予報と同じように数値モデルを用いて温室効果ガスに関する解析や予測を行うことを目指しています。この活動は、各国の協力のもとで実施することが前提ですので、世界有数の観測ネットワークとモデル開発・運用能力を持つ日本が、S-22を通じてさらに大きな役割を果たすことが期待されています。

気候変動に関する政策貢献として、IPCCへのインプットも重要です。IPCCは気候変動に関する科学的知見をとりまとめた評価報告書を刊行しており、それは気候政策(グローバルストックテイクを含む)の最も信頼できる情報源となるため、そこに取り上げられる成果をあげることには大きな意義があります。S-22では、観測やモデルによって得られる科学的知見に加えて、IPCCが指針を定めるGHGやSLCFの排出評価法にも提言などの形で貢献を目指しています。また、グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)や統合大気-陸域プロセス研究(iLEAPS)、地球大気化学国際共同研究計画(IGAC)などの関連プロジェクトが進められており、多くのS-22メンバーがこのような国際的な場で活躍することが期待されます。