公開シンポジウム 創立50周年特別講演「国立環境研究所の軌跡と展望~公害、環境、そして・・・~」
これを記念し、2024年6月に開催された公開シンポジウムでは、「国立環境研究所の軌跡と展望~公害、環境、そして・・・~」と題して、過去50年にわたる国立環境研究所の活動、そして未来に向けた環境問題への取り組みなど、国立環境研究所の役割と貢献について振り返りました。
地球システム領域からは、谷本浩志副領域長が「地球環境研究のこれまでとこれから~新たな研究のあり方~」について講演を行いました。本稿では、谷本副領域長の講演概要について紹介します。
地球環境研究のこれまでとこれから~新たな研究のあり方~
谷本 浩志 (地球システム領域 副領域長)
地球環境研究のこれまでとこれからを、主に大気環境研究を中心にして、過去を振り返り、現在を踏まえて、そして将来を見据えながら、新たな研究のあり方を考えていきたいと思います。
きれいな空とは?どういう意味を持つ?どういう価値を持つ?
まず、国立環境研究所が発足した70年代といえば、私たち団塊ジュニアの世代が生まれた年代でもあります。高度経済成長真っ只中、東京の空は汚れており、まさに公害の時代でした。それから50年経ち、東京の空はこれほどまでにきれいになりました。変わったのは町並みや人だけではなく、空気も変わったということです。
私の専門は大気化学ですが、こうした写真や日々の空、そして、世界各地を旅する中で空を見るたびに感じるのは「きれいな空とはいったい何なのか、どういう意味を持つのか、そして、さらにどういう価値を持つのか」ということです。
地球規模の環境問題
地球の大気が関係する環境問題には、過去から現在までさまざまなものがあります。70年代には光化学スモッグが問題となり、多くの人が健康被害を受けました。80年代には特にヨーロッパで酸性雨が問題となり、森林や湖沼の生態系が被害を受けました。90年代には成層圏のオゾンホールが問題となり、そして2000年代には地球温暖化が問題として顕在化しています。
こうした環境問題は、人間活動から原因物質が大気中に放出されることにより起こります。そして、当初はローカルな環境問題だったのが、グローバルな環境問題になってきたというのも大きな特徴ではないでしょうか。
NIESにおける大気実験・観測の黎明期
国立環境研究所の研究者は、発足時から先駆的な技術開発、実験技術や観測技術などの開発を行ってきました。
光化学スモッグの生成メカニズムを解明するスモッグチャンバーはまだ現役で動いており、また、大気汚染物質が街の中をどのように拡散していくかを調べる風洞設備、そして東京の上の大気汚染をつくばから遠隔計測するレーザーレーダー等、大型の実験施設や技術をつくばの国立環境研究所のキャンパスに新設して、環境問題の解明に取り組んできました。
また、90年代には地球環境研究センターが発足し、沖縄の波照間や北海道の落石岬にモニタリング観測所を設置し、清浄な大気中の大気組成がどのように長期変化しているかを調べるモニタリング研究を開始しました。
NIESにおける大気実験・観測の拡充期
さらに90年代には国外における観測プラットフォームを展開し、そして宇宙からの衛星観測にも取り組みました。例えば、シベリアにおける大気観測を始めたり、会社の協力を得て定期貨物船による大気・海洋観測を行ったり、そして宇宙からオゾン層の観測を行ったりしました。
2000年代には森林生態系の炭素モニタリングを開始し、民間航空機によるCONTRAIL大気観測を開始しました。環境省が東アジアの国々と協力して行っている東アジア酸性雨モニタリングネットワークが開始されたのもこの頃です。2009年には、世界初の温室効果ガス観測衛星であるGOSATの1号機、そして18年には2号機が打ち上がり、現在も運用されております。国立環境研究所では、こうした極めて独自性や新規性の高い観測に取り組んできました。
NIESにおける大気シミュレーションモデルの開発
観測や実験だけではなく、大気シミュレーションモデルの開発にも鋭意取り組んできました。大気汚染の排出が、どこから、どのように、どれくらい起こっているのかをマッピング化する排出インベントリと呼ばれるリース(REAS)、こうした排出インベントリをモデルに組み込んでシミュレーションし、大気汚染物質がどこで生成し、どのように運ばれるかを研究する大気化学輸送モデルの開発、そしてMIROCと呼ばれる気候モデルでは、東京大学がJAMSTECと協力して、将来の2100年における地球温暖化のシミュレーションに取り組みました。
NIESの環境政策への貢献
このような実験、観測、そしてモデル技術を開発することで、現象の理解を深め、国内外の対策政策に貢献してまいりました。とりわけ、地球環境の分野では、国際的な環境政策への貢献が顕著です。
これらにはオゾン層破壊のアセスメントレポート、そして半球規模の大気汚染、北極の気候変動や大気汚染のアセスメントレポートがありますが、特にIPCCと呼ばれる「気候変動に関する政府間パネル」への貢献は顕著ではないでしょうか。第1次から多くの研究者が研究論文を公表し、報告書の執筆者として貢献をしてきました。中でも、最新の2023年3月に公表された第6次評価報告書では、多くの国立環境研究所の研究者が貢献し、人間活動による温暖化は疑う余地がないということが、この報告書で改めて力強く示されました。
産業革命前に比べて気温の上昇はすでに1℃を超え、今後10年から20年で1. 5℃にも到達するおそれがあるということが警告され、一方で世界各国の温暖化対策は非常に不十分であり、2035年には今と比べて60%もの削減が必要であるということが警告されました。そして、今の行動と選択は、今後何千年にもわたる影響があると述べられました。すなわち、今、行動と選択をすれば、今後何千年にもわたる影響を回避できることから、早急な脱炭素化の取り組みが必要であるということです。
パリ協定の1.5℃目標達成に向けた挑戦
この脱炭素化の取り組みを加速しているのが、2016年に発効されたパリ協定です。ここでは、地球の平均気温の上昇を産業革命前に比べて1. 5℃に抑える目標が掲げられ、その目標を達成するためにさまざまな挑戦、検討、研究開発がなされています。
そのうちの一つとして、CO2の正味の排出を0(ゼロ)にする脱炭素化に加えて、CO2以外の温室効果を持つ物質、例えばメタンであったり代替フロンであったり、さまざまな物質の排出も同時に抑えていくという提案がなされています。
下記の図は、産業革命以前から現在までの気温の観測値を図示したものに、将来におけるモデルシミュレーションの結果を重ねたものです。2055年に脱炭素化を達成したとしても、当面気温は上昇して1. 5℃超える確率が高くなり、そしてその後高止まりする様子が見て取れます。
ここにあるSLCFという言葉は日本語では短寿命気候強制因子といって、メタンや代替フロンのほか、オゾンやブラックカーボン、すなわちオキシダントやPM2.5といった黒いススのような大気汚染物質が含まれます。こうした大気汚染物質の中には、温室効果を持つ物質、つまり地球を温める影響・効果を持つ物質があり、まさにオゾンやブラックカーボンはそれにあたります。こうしたオゾンやブラックカーボンの大気中の寿命は数週間から数日と非常に短いため、これらの物質の排出や生成を抑えることで、大気中の濃度をすぐ下げることができ、温暖化対策に即効性があると考えられています。
こうした短寿命のSLCFといわれる物質の対策を行うことで、将来における温度の上昇を少し下げることができ、さらに脱炭素の取り組みを早めることで、図中の青緑色の部分のようにさらにもう少し下げることができ、世界気温の上昇が1. 5℃を超えてしまう確率を下げることができるというわけです。このように、地球温暖化を止める抜本的な対策である脱炭素化に加えて、地球温暖化の影響、気温の上昇をできる限り早く緩和する、抑えるといった点で貴重な寿命が短いSLCFの対策をとっていくことが提案されています。
途上国で深刻化する大気汚染
ブラックカーボンはまさに大気汚染物質なのですが、現在、大気汚染は途上国で深刻な問題となっています。アジア諸国では、大気汚染による年間死亡者が非常に多く、そして増加の一途をたどっており、現在、全世界で700万人もの人が大気汚染の健康影響を受けていると言われています。そのため、WHO世界保健機関より、これまでの大気環境基準をさらに下げるべきだというガイドラインが出されたばかりです。
気候変動・大気質研究プログラム
こうした気候変動と大気汚染の問題に包括的に取り組むため、私たちは「気候変動大気質研究プログラム」という戦略的研究プログラムを2021年から開始し、鋭意取り組んでおります。このプログラムでは、地球規模のグローバルな炭素循環や窒素の循環といった生物地球化学的な研究に加え、国や都市の規模・レベルでの人間活動から排出される温室効果ガスやSLCF大気汚染物質の排出量の推計、排出インベントリの定量的な評価・検証を行い、こうして求められた最新の排出量評価を考慮して、気候や大気質の変動に関するモデルシミュレーションを高精度化するというものです。このような研究により、気候変動に関する緩和政策の決定に必要な科学的な知見・基盤を提供することを目的に研究を行っております。
我が国の温室効果ガスの排出量推計(インベントリ)
さて、排出量推計(インベントリ)という言葉がありましたが、我が国の温室効果ガスの排出量推計(インベントリ)は、私たちの研究所でホストしているGIO(温室効果ガスインベントリオフィス)により毎年実施され、環境省とともに公表しています。2024年4月12日には、2022年度の推計結果を公表しました。すなわち1年をかけて排出量の推計を行って、その結果を公表しています。
2013年度以降、我が国の温室効果ガスの排出量が減少傾向にあるのは、省エネの進展、再生可能エネルギーの拡大、そして原発の再稼働に伴って電力量へのCO2の排出量が減少しているからと考えられています。
対策の鍵は排出量の把握
こうした排出量の推計は、温室効果ガスだけではありません。冒頭に「環境問題は、原因となる物質が人間活動から大気中に排出されることによって起こる」と申し上げましたが、温室効果ガスに限らず、他の多くの物質の排出量を正確に把握するということは対策の鍵であると考えています。つまり、気候変動の緩和と大気汚染の削減には、温室効果ガスとSLCFと呼ばれる大気汚染物質の人為起源排出が鍵であり、これは全世界で、その国で、その都市で、トータルでいくら出されているかという総量、過去から現在、将来にかけて増えているのか減っているのかといった傾向、そして、どこから・何から、つまりどの国の・どの産業から排出されているのかといった場所やセクターの情報が重要になります。
こうした情報を、如何に正確に知ることができるかということが一つのチャレンジ、そして、如何に早く知ることができるかというのがもう一つのチャレンジです。より正確に、より早く知ることで、より良い対策に貢献できると考えています。そのため、私たちがこれまで培ってきた大気観測のデータと、最近鋭意開発しているモデル技術を組み合わせて、排出量を推計・検証するという研究開発を新たに行っています。中でも大気観測のデータは、正確で迅速な推計や検証に不可欠です。
広範・長期・精密観測の活用による排出量推計
これまで地上船舶、航空機、衛星による観測を、広範に、長期に、精密に行ってきました。船舶は1隻から始めて現在4隻を運用し、そして衛星はGOSAT1号機、2号機に加えて、今年度には3号機となるGOSAT-GW衛星が打ち上がります。こうした観測を、さらに広範に、さらに長期に、さらに精密に続け、そして計算機技術の進展により、さらに正確に、さらに細かく、さらに精緻にシミュレーションできるようになったモデルと組み合わせて、排出量の推計に取り組んでいます。
最新の研究成果: 全球CO2放出・吸収量の分布
最新の研究成果を2つご紹介します。まず1つが、全球の二酸化炭素の放出・吸収量の分布です。地上船舶、航空機、衛星といった大気観測データと、NICAMと呼ばれる化学輸送モデルを用い、二酸化炭素の放出・吸収量の空間分布を逆解析することができるようになりました。
通常、モデルというのは、排出量を入れて濃度を計算しますが、これは濃度から排出量を計算するため、逆解析と呼ばれます。このようにグローバルに1度×1度のメッシュで非常に細かい空間分解能で計算をすることができ、北アメリカやユーラシア大陸などの放出・吸収を精度よく再現することができるようになりました。今後は、地球規模におけるCO2の放出・吸収量を常時モニタリングすることができるようになることが期待されます。
大気汚染物質でありSLCFの一つであるブラックカーボンは、中国、特にアジアからの排出が世界の3割から4割を占めるといわれており、その把握が重要です。
世界各国で排出インベントリの取組がありますが、中国については約2倍もの開きがあり、あるインベントリは増えていると推計し、あるインベントリは減っていると予想しています。しかも、現在2024年ですが、直近のデータはありません。
同じように、観測とモデルを組み合わせて逆解析することで、赤色で表示したような推計をすることができ、実は社会統計に基づく排出インベントリは実際の排出量を過大評価していたのではないか、と示唆されました。これは、中国の大気汚染対策が想定以上に進み、排出が想定よりも速いペースで減少していることを示唆するものです。このように、温室効果ガスやSLCFの排出量を、より正確に、より早く知るという政策的なニーズはますます高まっています。
新たな政策と新たな研究
温室効果ガスインベントリオフィスは、温室効果ガスを毎年推計し、1年遅れで国連に報告しています。脱炭素に世界が向かう中、CO2や温室効果ガスの削減が順調に進んでいるかを評価するグローバルストックテイクと呼ばれるプロセスが5年に一度行われます。
SLCFについては、現在、毎年ではなく数年に一度程度の推計しかありませんが、次期のIPCCのサイクルでは毎年推計されるようになります。こうして、全ての温暖化に関する物質の排出量が毎年推計される時代が来るようになり、まさに観測やモデルといった新しい手法により、排出インベントリの信頼性と透明性を高める工夫、そしてこれらの情報を一元化して公開するプラットフォームの強化が求められます。また、最新の研究成果をインベントリの実務者に共有し、活かしていくことも必要になってくると考えています。
気候危機の解決に向けて
気候変動はまさに危機とも言える時代になり、現在「気候危機」と呼ばれています。今日、私がお話ししたのは、排出量に関しての研究・開発がメインでしたが、将来社会がどのようになっていくのかということを踏まえて、気候変動や大気汚染に関する物質の排出がどうなっていくかということをシミュレーションする、シナリオを描く研究があります。過去と将来を繋ぐ研究です。気候変動の緩和を目指すだけでなく、起こっている気候変動にどのように適応するかといった研究、そして地球規模だけではなく地域規模での気候変動や地域ごとの大気汚染にどのように取り組むかといった研究もあります。国立環境研究所の関連する研究者が総力を挙げて、こうした研究に総合的に取り組んでいます。
NIESの新たな研究のあり方
地球規模の気候変動と大気汚染は、新たな地球環境問題としてますます複雑化しており、その解決は非常に困難なように思えます。一方で、昔は「理念」だった自然科学と人文社会科学の連携といったものが実現可能な時代になってきています。
私たちは今、脱炭素化、カーボンニュートラルの時代に向けて進んでおり、しかもそれを成し遂げなければいけませんが、これは単なる気候変動の解決だけではなく、化石燃料の燃焼が止まるということですから、大気汚染も改善します。2つのベネフィットがある「コベネフィット」という言葉がありますが、私は、気候変動と大気汚染に関してのコベネフィット以上の複数のベネフィットがある「マルチベネフィット」だと思っております。
すなわち、最初に私が自問自答した「きれいな空の価値というのは一体何だろうか」という問いに対し、「世界中の人が公平に清浄な大気の恵みを享受できること」につながると思うからです。言うは易く行うは難しで、究極の目的でありますが、さまざまな連携、共同により、困難を克服し、気候変動問題の解決に全力を尽くしていく所存です。
持続可能な地球社会の実現に向けて、グローバルなサスティナビリティとローカルなプロスペリティ(繁栄)を両立させること、社会・市民への発信と対話に加えて協働による問題解決に取り組んでいくことが重要です。そして、こうしたサスティナビリティを実現するためにも、地球環境問題を解決する科学研究を推進することが重要で、力強い基礎研究に基づいた幅広い応用研究を推進すること、研究に取り組む人材育成では質・量ともに充実させ、そして、国際的なビジビリティとリーダーシップを発揮していくことで、持続可能な地球社会の実現と科学研究の推進を両輪として研究を推進してまいりたいと思います。
これから50年経ちますと、国立環境研究所は100周年を迎えるわけですが、50年後に気候変動の問題、そして途上国の大気汚染の問題は解決した問題であったと総括できるように、私たち国立環境研究所の研究者は取り組んでまいりたいと思います。