RESEARCH2024年4月号 Vol. 35 No. 1(通巻401号)

インド共和国におけるFTIR観測候補地の視察とその観測の意義

  • 中島英彰(地球システム領域 気候モデリング・解析研究室 主席研究員)
  • 森野勇(地球システム領域 衛星観測研究室長)

1. はじめに

2023年12月6~9日の日程で、インドの2つの大学附属研究機関を訪問しました。目的は、将来のフーリエ変換赤外分光器(Fourier-Transform InfraRed Spectrometer: FTIR)観測点の視察です。現在、世界的には、大気成分変動モニタリングネットワーク(Network for the Detection of Atmospheric Composition Change: NDACC)と、全量炭素カラム観測ネットワーク(Total Carbon Column Observing Network: TCCON)という、2つのFTIR観測ネットワークが存在します。それぞれ、全世界に広がる20~30ヶ所の観測点において、太陽赤外分光観測が行われていますが、その世界的な分布は主に先進諸国に偏っています。特に、西~中央アジア域とアフリカ域には、広大な観測の空白域が存在します。その一角を埋めるべく、インドにFTIRの新たな観測点を開設することが出来ないかという観点で、今回インドの観測候補地点を何か所か視察してきました。

なお、今回の視察場所の選定や旅行や宿のもろもろの手配、そしてヒンディー語への通訳は、インド出身で現在はベルギー航空宇宙研究所(The Royal Institute for Space Aeronomy/Institut royal d’Aéronomie Spatiale de Belgique: BIRA-IASB)でFTIR関係の研究を行っているMahesh Kumar Sha博士が全面的にサポートしてくれました。

2. インドの大気観測を行っている研究機関と大学について

世界最大14億人の人口を擁するインドには、様々な研究機関や大学が存在します。本稿では、今回の訪問先を中心に、大気関係の観測や研究を行っている機関を概説します。

インドにおいて米国のNASAや日本のJAXAに相当する宇宙機関は、インド宇宙研究機関(Indian Space Research Organization: ISRO)です。ISROのもとにはいくつかの研究機関があり、最も大きなものはHyderabardにある国立リモートセンシングセンター(National Remote Sensing Center: NRSC)です。また、Ahmedabadには、物理学研究所(Physical Research Laboratory: PRL)があります。また、Nainitalに1954年に創設された歴史ある天文関係の研究機関として、アルヤブハッタ観測科学研究所(Aryabhatta Research Institute of Observational SciencES: ARIES)があり、現在は大気関係の観測研究も行っています。その他に、独立した研究機関として、Tilkotiに国立大気研究所(National Atmospheric Research Laboratory: NARL)があります。PRLやARIES、NARLは、博士号を授与することも出来る研究機関です。さらに、インド気象庁(India Meteorological Department: IMD)配下の研究機関として、Puneにインド熱帯気象研究所(Indian Institute for Tropospheric Meteorology: IITM)があります。

一方、学術機関としては3つの大学を紹介します。まず、インドの科学系で最も権威があるといわれているのが、Bangaloreにあるインド科学大学(Indian Institute of SCience: IISC)です。2つ目は、Madrasを始めインド各地に23のキャンパスがある国立大学の総称である、インド工科大学(Indian Institute of Technology: IIT)です。最後は、今回我々が訪れたインド科学教育研究大学(Indian Institute of Science Education and Research: IISER)です。IISERはインド各地に7つのキャンパスを持っていますが、今回はそのうちBhopalとKolkataのキャンパスを訪れました。

3. IISER/Bhopalキャンパス訪問

最初に訪れたのは、IISER/Bhopalキャンパスです。Bhopalは、インドの首都Delhiから南に700 kmほど離れた、標高500 mの高原にある大小二つの湖のほとりに広がる、人口300万人ほどの街です。18世紀以降、インド独立まではBhopal藩王国の都として発展しました。IISER/Bhopalキャンパスは、街の中心部からは少し離れた場所に位置しており、大学に通う多くの学生は、キャンパス内のホステルに居住しているそうです。

IISER/Bhopalは2008年に創設された比較的新しい大学で、スタッフは約150人。自然科学、工学、人間社会科学の3つのコースがあり、約2,000人の学生がここで学んでいます。我々の対応をしてくれたのはDhanyalekshimi Pillai准教授という女性で、ドイツのMax-Planck-Institut für Biogeochemieで2011年にPh.Dを取得し、その後ドイツや米国でポスドクを経て、2017年からIISER/Bhopalに勤務しているそうです。

我々は、FTIRの設置候補地として、2つの場所を提示されました。一つは小高い丘の上にある小さな観測小屋の隣の敷地で、この観測小屋は大気質・エアロゾルや放射の観測を行っています。ここにFTIRを設置するためには、新たに小屋やシェルターを設置する必要があります。もう一つはメインキャンパスにある6階建ての建物の屋上スペースで、その場合には直下の部屋まで光取入れ口となるパイプを貫通させる必要があります。また、直下の部屋の現在の利用者と、場所使用に関する交渉を行う必要もあるとのことです。両方の場所の利用可能性を、今後検討することになりました。

写真1 IISER/Bhopalにて。右から4人目の女性がPillai准教授。その2人左の真ん中にいるのが、Kumar Sha博士、その左が森野、その左が中島。
写真1 IISER/Bhopalにて。右から4人目の女性がPillai准教授。その2人左の真ん中にいるのが、Kumar Sha博士、その左が森野、その左が中島。

4. IISER/Kolkataキャンパス訪問

次に我々が訪れたのは、IISER/Kolkataキャンパスです。以前はカルカッタという植民地時代の名前で呼ばれていたこの街の名は、2001年に現地語名のコルカタに改称されました。人口約450万人は現在でこそインド第7位となっていますが、1690年にイギリスの東インド会社がここに拠点を置いたという由緒正しい街で、1911年にデリーへ遷都されるまで、植民地インドの首都として栄えました。現在も東インドにおける産業・商業・芸術・交通の中心として栄えている、人と活気にあふれるエネルギッシュな街です。

IISER/Kolkataキャンパスは、空港から街の中心とは反対側の北に35 kmほど離れた、Kalyaniという小さな町にほど近い郊外に位置しています。私はここを訪れる際、たまたま飛行機の都合で、他のメンバーとは別に一人で向かうことになっていました。幸い今回IISER/Kolkataの訪問で訪れた研究者の方が、事前にハイヤーを手配してくれたので何とか現地までたどり着くことが出来ましたが、私一人が空港でタクシーを拾って現地に向かうことは、ほとんど不可能であったと思われます。また、先に現地に向かっていた仲間と、LINEの国際版であるWhatsAppというスマホのアプリで、飛行機の到着前後にリアルタイムでメッセージのやり取りが出来たことにも助けられました。インドに入国した際、デリーの空港で手に入れた、現地の携帯会社のSIMカードがとても役に立ちました。

IISER/Kolkataでは、Gopala Krishna Darbha准教授にお世話になりました。この方は、米国Jackson州立大学で2008年にPh.Dを取った後、米国、ドイツでポスドクを経験し、2017年からIISER/Kolkataに勤めており、環境ナノ科学が専門です。今回の案内役のKumar Sha氏とは、ドイツのカールスルーエ工科大学(Karlsruhe Institute für Technologie: KIT)で、同じインド出身の同僚だったようです。お互いよく知り合っているという縁で、今回の訪問の際の対応をお願いすることになりました。

IISER/Kolkataでは、すでに3階建ての建物の一室で、小型FTIRであるBruker/Vertex 70による大気分光観測が1年ほど前から試験観測としてスタートしており、屋上への太陽追尾装置の設置や建物内部への光導入口の設置なども一通り完了しています。将来的にはこのVertex 70をアップグレードする形で、大型FTIRであるIFS-125HRでの観測をここで開始させる可能性を現時点では考えています。

写真2 IISER/KolkataにおけるVertex 70型FTIR観測室にて。右から、Kumar Sha博士、中島、Darbha准教授、森野、笹川氏(国際航業)。
写真2 IISER/KolkataにおけるVertex 70型FTIR観測室にて。右から、Kumar Sha博士、中島、Darbha准教授、森野、笹川氏(国際航業)。

中島を除く3名は、この次の週に前述のPRLとARIESを訪問しましたが、中島は翌週米国サンフランシスコで開催される米国地球物理学連合(American Geophysical Union: AGU)秋季大会に出席するため、3人とはここで別れてインドを旅立ちました。

5. インドにおいてFTIR観測を行う事の意義

インドでFTIR観測を行う事の第一義は、前にも述べた通り、中央アジアからアフリカにかけて広がる広大な観測の空白域に新たなFTIR観測点を設けるという事です。それに加え、最近中国を抜いて世界最大の人口となったインドでは、今後同国の経済発展に伴い、CO2やCH4、N2Oといった温室効果ガスや、NOx、SOxをはじめとするさまざまな大気汚染物質の放出増加が予測されます。その放出を、より放出源に近い場所でモニタリングすることは、科学的に見ても大変重要な意義があります。また、各種人工衛星によるCO2やCH4等温室効果ガスの地上検証ステーションとしても、これまで周辺に観測点がなかったインド付近での観測データは、貴重な検証データとなることが期待されます。

また、私が最近FTIR観測データの解析対象として興味を持っているのが、各種フロン類(Chloro-Fluoro-Carbons: CFC)や代替フロン類(Hydro-Chloro-Fluoro-Carbons: HCFC)、(Hydro-Fluoro-Carbons: HFC)です。CFCはオゾン層破壊を引き起こすという事で、1980年代後半にモントリオール議定書でその生産・消費が規制されてきました。CFCは先進国では1996年、途上国では2010に完全に生産が規制され、HCFCも先進国では2020年、発展途上国でも2030年には生産と消費が完全に規制されます。その代替物質として最近急速に生産が伸びてきているのがHFCです。インドはまさに、現在HCFCの生産からHFCの生産へと切り替わっている途上にあります。我々はこれまでにFTIR解析スペクトルからHCFC-22やHFC-134aの導出を行ってきました。この手法を、インドでのFTIR観測で得られるデータに適用することで、特にAGAGEなどの地上モニタリングステーションがない中央アジア域における、HCFCやHFCの生産と消費に関する貴重なデータが得られるものと想定されます。このように、インドでのFTIR観測によって、多くの科学的成果が期待されます。

6. おわりに

生まれて初めて訪れたインドは、いろんな意味で我々の日常とはかけ離れており、とても刺激的な滞在経験となりました。今回の滞在中に、エネルギーに満ちたインド人たちを見ていると、我々がずいぶん昔に無くしてしまった「何か」を思い起こさせられるような気がしました。それは、生きることへの夢・希望・未来といったものが入り混じった感情でした。貧富の差がとても大きなインド人の中には裕福な人たちもおり、今回お会いした研究者たちの科学的レベルも、国際的にみてもかなり高いと感じました。これからも機会があれば、またインドを再訪し、インドの発展の様子を見守りたいと感じました。

Air Mailインド雑感
~生まれて初めて訪れた神秘とカオスの国~

  • 中島英彰(地球システム領域 気候モデリング・解析研究室 主席研究員)

最後に、今回生まれて初めて訪れたインドで感じたいくつかの感想を述べて、本報告を締めくくりたいと思います。私はこれまでに、世界の45ヶ国ほどの国を訪れたことがありますが、その中でもインドはいろんな意味で特別な国でした。

まず感じたのは、町中に人があふれており、みんな活気があってエネルギーに満ち溢れている、という事です。そして、人々の平均年齢が低く、老人は少ないように思いました。あとで、インド人の平均寿命は日本人より約20歳も短いという事を聞いたので、なるほどと感じました。多くのインド人は、日本人より短い人生を、活気を持って過ごしているようです。経済的にも発展の途上にある今のインドは、日本でいうと戦後の高度経済成長期に相当するのでしょう。

次に、街の道路の交通がカオス状態になっているという事です。道路には自動車の他に、オートリクシャー(小型オート3輪バイクの後部に、人が乗る座席と屋根を付けた車。日本語の「人力車」がその名の由来とか)、サイクルリクシャー(バイクの代わりに、自転車で引っ張るリクシャー)、バス、2~3人乗りが当たり前のバイク、そして歩行者が入り乱れて、それぞれ先を争って進んでいきます。また道路に信号機はほとんどないので、かなり広い道路でも、車両の間を縫って歩行者が道路を横断していきます。小回りの利くリクシャーは、縦横無尽に車の間を少しでも前に出ようと走り、それを避けるために自動車やタクシーは常にクラクションを鳴らしまくります。またリクシャーやバイクも頻繁にクラクションを鳴らしますが、これは先を歩いている人に自分の存在を知らせて、避けさせる目的のようです。このクラクションの洪水とカオス的な交通は、タクシーの前の席では見るに堪えず、私は2回目からはタクシーでは必ず後部座席に座って、あまり道路の先の様子を見ないようにしていました。それでも不思議なことに、今回の滞在中に交通事故の現場を目にすることはありませんでした。インドの人々は、我々よりも運動神経や反射神経が良いのかもしれません。

写真1 デリーの街中を疾走するオートリクシャー。
写真1 デリーの街中を疾走するオートリクシャー。

インドでは外国人が生水を飲むと必ずおなかを壊すと言われていたので、飲み水は必ずボトル入りのミネラルウォーターを飲んでいました。意外と危険なのがフルーツとサラダで、これらを水で洗っただけで細菌が付着していると言われ、フルーツやサラダは滞在中には一切口にしませんでした。おかげで、今回のインド滞在中におなかを壊すことはありませんでした。

最後にインド料理について。インド料理は朝昼晩ともに、基本的にマサラーと総称される何種類かのカレー、チャパティーやナーンなどのパンかライス、ビリヤーニと呼ばれる焼き飯のコンビネーションが多かったですが、結構おいしくて飽きませんでした。インド人は基本的に牛や豚を食べませんので、マトンかチキンか魚、あるいはベジタリアンのカレーがメインでした。また各種デザートも充実していました。ちょっと残念だったのは、インド人は菜食主義で飲酒をしない人が多く、ビールなどのアルコールを置いているレストランが少なかったことです。インドのローカルなお酒も楽しみにしていたのですが、残念ながら私の滞在中にはお目にかかることはありませんでした。

写真2 インドにおける、典型的な食事風景。フォークやスプーンを使わず、指で食べる人も多い。
写真2 インドにおける、典型的な食事風景。フォークやスプーンを使わず、指で食べる人も多い。