2015年11月号 [Vol.26 No.8] 通巻第300号 201511_300005

インタビュー「地球温暖化の事典」に書けなかったこと 7 多様な未来社会を可能にするために—さまざまな社会状況に適合するシナリオを考える—

  • 甲斐沼美紀子さん
    社会環境システム研究センター フェロー
  • インタビュア:花崎直太さん(地球環境研究センター 気候変動リスク評価研究室 主任研究員)
  • 地球環境研究センターニュース編集局

【連載】インタビュー「地球温暖化の事典」に書けなかったこと 一覧ページへ

国立環境研究所地球環境研究センター編著の「地球温暖化の事典」が平成26年3月に丸善出版から発行されました。その執筆者に、発行後新たに加わった知見や今後の展望について、さらに、自らの取り組んでいる、あるいは取り組もうとしている研究が今後どう活かされるのかなどを、地球環境研究センターニュース編集局または地球温暖化研究プログラム・地球環境研究センターの研究者がインタビューします。

第7回は、甲斐沼美紀子さんに、地球温暖化の緩和策の策定やその前提となるシナリオ研究についてお聞きしました。

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「地球温暖化の事典」担当した章
8.1 温暖化対策シナリオ分析

2050年80%削減へ:3つのシナリオで検討

花崎

国際社会では、産業革命前と比較して全球の平均気温の上昇を2°C未満に抑える「2°C目標」が合意事項となっています。その関連研究と動向について甲斐沼さんにお聞きしたいと思います。最初に今年の9月に発行された大幅な炭素排出削減に向けた道筋プロジェクト(Deep Decarbonization Pathways Project: DDPP)の報告書の内容について簡単に教えていただけますか。

甲斐沼

国連気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change: UNFCCC)締約国会議(Conference of the Parties: COP)では、2020年以降の気候変動に対処するため、196の加盟国/地域が温室効果ガス削減目標を決めようとしています。しかし、UNFCCCでは、多数決ではなく、コンセンサス方式(明確な反対意思の表明がなくなるまで議論を続ける)で合意し、採択するので、なかなか動きません。これまでの経験から、「2°C目標」を達成するために、全球でどれくらい温室効果ガスを削減しなければいけないかに合意し、その後、各国がどれだけ削減するかを割り振るという手順で削減目標を決めるのは難しそうでした。そこで、各国が2020年以降の削減目標を決めて、これを「約束草案」として、この年末にパリで開催される第21回締約国会議(COP21)の前に表明することが、ワルシャワで開催された第19回締約国会議(COP19)で決まりました。温暖化対策に関しては、エネルギーシステムの変換や人々の意識改革も必要となってきますから、長期目標も必要です。DDPPはコロンビア大学のJeffrey Sachs教授とフランス持続可能開発・国際関係研究所のLaurence Tubiana所長(現在はCOP21の気候変動特別大使)が提唱し、2050年の温室効果ガス削減シナリオを各国の研究者が作るプロジェクトとして2年前に始まりました。2014年9月の国連気候サミットで中間報告が発表され、今年の報告書はさらにそれを深めて、COP21に向けて各国が2050年の削減シナリオを作成しました。

花崎

何か国くらい含まれるのでしょうか。

甲斐沼

スタートのときは15か国だったのですが、その後イタリアが加わり16か国になりました。世界の温室効果ガスの排出量に占める割合は、その16か国で74%になります。

花崎

研究者が執筆しているのですか。政府の政策方針は入っていないのでしょうか。

甲斐沼

研究者がメインになっていますが、政策方針が基本になっています。日本は、2050年までに、温室効果ガスを1990年比で80%を削減する長期目標を掲げていますから、それを目標として実現可能性を考え、3つのシナリオで比較検討しました。1つ目は想定できるすべての技術が利用可能としたミックスシナリオ、2つ目は原子力を使わないシナリオです。3つ目は、二酸化炭素(CO2)回収・貯留技術(Carbon Capture and Storage: CCS)の導入を半分に抑えたシナリオです。CCSはまだ日本では実証試験中です。中央環境審議会の報告では、2050年にCCSは年間200MtCO2/year(2億トン)くらい回収・貯留できるといわれていますが、その半分で2050年に80%削減を実現できるかどうかを検討しました。

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DDPPにおける対策の3つの柱

花崎

なるほど、技術的な実現可能性が示されているのですね。

甲斐沼

コストも計算しています。3つのどのシナリオもだいたい省エネでエネルギー需要量を半分にし、残りの対策はカーボンフリーのエネルギーを使用するというものです。計算してみると、省エネは経済的にベネフィットがあるので、BAU(特段温暖化対策をしないケース)でもかなり進みますが、カーボンフリーのエネルギーより発電コストの安い石炭火力がBAUでは使われると予想されるので、エネルギー生産でのCO2原単位(1単位のエネルギーを生産する時に排出されるCO2)は増えます。対策シナリオでは、CO2排出量削減に有効な再生可能エネルギーが増えます。GDP全体に与える経済的な影響については、2050年で0.02%と少ないというのが結論です。

花崎

DDPP報告書への反応、受け止められ方はどんな感じでしょうか。

甲斐沼

9月にフランスを始め、日本、英国、米国、中国、インド、南ア、ロシアなど約15か国25名程度のメディアの方々に紹介しました。Tubiana氏からも長期目標の検討が重要であるとの説明がありました。しかしまだ日本のなかでの認識は低いので、10月29日に東京でワークショップを行い、作成したシナリオの実現可能性や実例を紹介する予定です。東京都はかなり熱心にCO2削減に取り組まれていて、実際に下げています。また、省エネ機器やホームエネルギーマネジメントシステム(HEMS)、エネルギー管理システム(BEMS)等を通じたCO2削減の可能性や再エネ導入に向けた取り組みを企業の方々にも話をしていただくことになっています。そして、こういう取り組みをもっと日本全国で広めたら80%削減できるのではないかということを紹介したいと思っています。

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2015年9月に開催されたDDPPプロジェクトのメディアを対象とした報告書発表会の様子 左から2人目がDDPPを立ち上げたTubiana教授(COP21気候変動特別大使)。

2°C目標からはじまる議論

花崎

2°C目標というのは非常にわかりやすいのですが、一般的な根拠はありますか。私は温暖化影響評価の研究をしていますが、2°Cの前後で温暖化影響が劇的に変わるかというと、そうでもなさそうです。

甲斐沼

2°C目標を達成するのは絶対無理だから2.5°Cという意見もありますし、島嶼国の人たちは既に影響を受けていて、先進国の人たちには1.5°Cに安定化してほしいという意見もあります。2°Cというのは、みなさんが目安にしやすい、わかりやすい一つの目標ではないかと考えています。ただ、2°C目標の達成が非常に難しいのも事実ですし、現在出てきている約束草案を足してもまだ足りなくて、3.5°Cまで上がるのではないかという計算もあります。少なくとも今のまま温室効果ガスを排出していくと気温はどんどん上がっていき、2°C目標は達成できません。しかし2°C目標があるから、目標達成のためにもっと努力していきましょうという話し合いになります。

ビルの建築基準から450ppmを感覚的に理解する

花崎

気温上昇の目標の他に、温室効果ガス濃度の目標が示されることもありますね。ただ、CO2の濃度が450ppmと言われても感覚的にわかりません。

甲斐沼

建物の室内にCO2濃度の基準があるのをご存知ですか。映画館や会議場など、人が集まってくるとCO2濃度が上がりますので、窓がないところは空調ができるようにしなければなりません。そういう建物は、外気と空気を入れ換えて、室内のCO2濃度が1000ppm以下になるように造らなければいけないという基準が建築物における衛生的環境の確保に関する法律(ビル管理法)にあるのです。1000ppm以上になると非常に敏感な人はちょっと眠くなり、空気を入れ換えてフレッシュな空気を吸いたくなります。

花崎

1000ppmというのは、空気を入れ換える指標として使っているのですね。

甲斐沼

現在外気のCO2濃度は400ppmを超えていますが、IPCC第5次評価報告書のRCPシナリオ[注]の8.5ですと、2100年には800ppm以上になってしまいます。そうすると換気しても外気が800ppm以上では空気を入れ替えても1000ppm以下にするのは厳しくなります。

花崎

なるほど、温暖化問題を放置するとCO2濃度が現在の環境衛生管理基準に達してしまうというわけですね。少し実感がわいてきました。

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温室効果ガス排出量の予測 [クリックで拡大] 出典:IPCC AR5 WGIII 図SPM.4(上図)

地球温暖化研究:AIMの開発からシナリオへ

花崎

甲斐沼さんは長年にわたって温暖化対策のシナリオ分析を実施されてきました。シナリオの研究を始められたのはいつ頃からでしょうか。

甲斐沼

まず、地球温暖化の研究を始めたのが1990年です。その年の7月に国立公害研究所が国立環境研究所に改称され、それまでは典型7公害(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭)が研究対象でしたが、国内のことだけではなく、地球全体の研究が必要となってきました。そして地球環境研究グループができて、私はそこの温暖化影響・対策チームに所属になりました。地球温暖化問題は今後重要になるという意識はありましたが、温暖化対策技術の開発を行う下地はありませんでした。その頃、アメリカのICFコンサルティング社が温暖化の統合評価モデルを作り、いろいろな分析結果を政府に出していました。1990年に公表されたIPCCの第1次評価報告書にもシナリオの分析結果が出ていました。そこで、森田恒幸室長(当時)を中心に、どれくらい温暖化が進むか、温暖化が進んだらどういう対策が必要かという統合評価モデルを作り、日本やアジアを対象とした分析をしようということになりました。当時中国やインドはCO2排出量がそんなに多くなかったのですが、今後経済発展に伴って増加し、その動向が非常に重要になっていくはずなので、そのなかで日本がアジアの温暖化対策に貢献できるよう、アジア太平洋統合評価モデル(Asia-Pacific Integrated Model: AIM)の開発が始まったのです。どういう対策をしたらどれだけ削減できるかというボトムアップの対策モデルからはじめ、その後経済影響が分析できるモデルも含めました。1995年に出版されたIPCCの第2次評価報告書でAIMの結果が引用されました。その後、2000年のIPCC排出シナリオに関する特別報告書(Special Report on Emission Scenarios: SRES)の作成過程に深く関わることで、ストーリーラインを含めたシナリオ研究が進展しました。さらにSRESをベースにしたAIMの対策シナリオが2001年のIPCCの統合評価報告書に出ています。社会経済の予測は困難で、過去のトレンドだけでは追えませんから、どういう世界に住みたいのか、どういう世界にいったらいいかということをいろいろな立場の人にインタビューし、経済が発展する社会か、環境重視の社会かという軸と、グローバルになっていくのか、経済や政治がブロック化していくのかという地理的な軸でまとめられました。これによりシナリオ研究が集大成されて、比較的受け入れやすくなりました。

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花崎

シナリオ研究の発展は、主に政策的なニーズからでしょうか、研究者の興味からでしょうか。

甲斐沼

両方かもしれません。IPCC第3次評価報告書の頃は対象としていた温室効果ガスはCO2だけでした。エネルギー関係なのでグローバルにデータがとりやすかったですし、対策についても技術的な面での理解が進んでいたからです。その後、CO2以外の温室効果ガスにも着手しました。アメリカ環境保護庁(EPA)の人がCO2以外の温室効果ガスの対策リストを作成し、データ整理をしてくれました。それを使って、CO2以外の温室効果ガスで450ppm安定化シナリオを作るというEMF(Energy Monitoring Forum)の課題に取り組みました。政策のニーズを考えながら研究的にできるところを進めてきました。

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2015年1月に開催された第20回AIM国際ワークショップ

AR6でレビューされるシナリオ開発

花崎

IPCCは第6次評価報告書(AR6)に向けて動いています。甲斐沼さんの研究分野ではどういった要素がAR6に新しく入ってきますか。

甲斐沼

共通社会経済シナリオ(Shared Socioeconomic Pathways: SSP)です。2°C目標が達成されても温暖化影響は現れるので、適応と緩和の両方を考慮したシナリオがAR6ではレビューされるのではないかと思います。そのシナリオをベースに気候影響などモデルの開発も進むのではないかと思います。私たちが取り組んでいるSSPでは、SSP2と呼ばれる経済がある程度成長して適応もできる社会、SSP3と呼ばれる石炭を大量に使用してCO2を排出している(それをいいとは思っていませんが)割には経済的に自立できず、適応が非常に難しい社会、SSP5と呼ばれる石炭を大量に使ってCO2を排出していても防波堤を上げるなど技術革新的な適応策がとれるような社会、SSP1と呼ばれるCO2は出さないし、再生可能エネルギーなど積極的な適応策が行われていて、比較的いい暮らしができる社会、そういったシナリオを検討しています。

花崎

適応策は主にお金があるかどうかにかかってきますね。

甲斐沼

そう思います。適応は影響が現れたらすぐに進めなければいけないところもありますし、空調の導入などエネルギーシステムの変更を伴うものには長期の更新計画が必要です。

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飢餓のリスクにある人口 [クリックで拡大] 出典:Hasegawa et al., 2015

花崎

緩和策をこれくらい実施して、適応策もこれくらい実施すると、これくらいのダメージで収まりますというような総合的な温暖化対策の提案を、AIMでは具体的にどのような形で進めていますか。

甲斐沼

緩和策と適応策の取りやすさの異なる5つの社会を想定し、それぞれについて温暖化の進行をRCP2.6、4.5、6.0に抑制した場合、どんな影響が出て、その社会ではどれくらい適応ができるかというのを開発している最中です。

花崎

そのあたりはフロンティアですね。

甲斐沼

別の大きなフレームとして、今年の9月に国連でゴールが決まった持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDG)があります。SDGのなかで2°C目標をどう結びつけて対策していくかということについても、研究者は考えています。国際応用システム分析研究所(IIASA)のPavel Kabat所長、コロンビア大学のJeffrey Sachs教授、ストックホルム・レジリエンス・センターのJohan Rockstrom所長の三者が中心になり研究を進めていますが、AIMもそのなかに結果を出したいと思っています。温暖化だけではなく、大気汚染対策にもなる省エネなど、ほかの指標も含めていきたいと考えています。もう一つは作ったシナリオの社会実装をどうするのかということです。現実的にするにはお金が必要でしょう。環境を重視している企業に投資するなど資金の流れも含めた研究も必要になってくるでしょう。

「約束草案」をわかりやすく説明してほしい

花崎

次回、「地球温暖化の事典」を執筆するとしたら、書きたい内容はありますか。

甲斐沼

私が書きたいというより、適切な人に是非執筆していただきたいのが、最初にお話した約束草案です。

花崎

一般的には十分に知られていませんね。

甲斐沼

ですから、2020年以降の気候変動対処のため約束草案が話題になっていること、約束草案とは何か、どういう背景で出てきたのかということを整理して、一般の人々に向けてわかりやすく説明する機会をもてたらいいと思います。

脚注

  • 代表濃度経路シナリオ(Representative Concentration Pathways: RCP)はIPCC第5次評価報告書にある気候変動予測シナリオ。2100年以降も放射強制力の上昇が続く「高位参照シナリオ」(RCP8.5)、2100年までにピークを迎えその後減少する「低位安定化シナリオ」(RCP2.6)、これらの間に位置して2100年以降に安定化する「高位安定化シナリオ」(RCP6.0)と「中位安定化シナリオ」(RCP4.5)の4シナリオがある。

*このインタビューは2015年10月2日に行われました。

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