2012年6月号 [Vol.23 No.3] 通巻第259号 201206_259004
環境研究総合推進費の研究紹介 10 北極アラスカと温暖化 環境研究総合推進費A-1003「北極高緯度土壌圏における近未来温暖化影響予測の高精度化に向けた観測及びモデル開発研究」
1. 推進費A-1003の概要
地球温暖化を引き起こす温室効果気体で最も大きな影響をもつものは二酸化炭素であるが、その大気中の濃度は、人為的な化石燃料の使用という直接的な要因のみならず、気候変動を介した炭素循環の変動からも大きな影響を受ける。これまで冷涼な気候かつ嫌気的条件下ゆえに大量の土壌炭素が蓄積されてきた北極高緯度域では、温暖化と関連した環境変動によって炭素循環の様相が大きく変化し、温室効果気体放出のホットスポットとなることが懸念されている。北極域におけるこのような変化は、日本や世界の気候システムおよび全球的な物質循環に影響をもたらす可能性があるため、環境変動の実態とメカニズムの把握や環境変動に伴う生態系の応答プロセスの理解はもちろんのこと、全球炭素循環モデルの高度化のため、北極域における継続的な観測を実施することは非常に重要である。
ここで紹介する環境研究総合推進費の環境問題対応型研究プロジェクトA-1003「北極高緯度土壌圏における近未来温暖化影響予測の高精度化に向けた観測及びモデル開発研究」(研究代表:国立環境研究所環境計測研究センター、内田昌男)は、平成22年度から開始され、現在3年目を迎えている。本課題は、四つの研究課題から構成され、国環研を含む国内5機関(国立極地研究所、筑波大学、兵庫県立大学、海洋研究開発機構)、国外(アラスカ大学国際北極圏研究センター、2011年、国環研と覚書[MOU]締結)の計6機関により実施されている(図1)。
現在、さまざまなシミュレーションにより北極環境変動の予測研究が実施されているが、それらの多くが未だ十分に実態を再現できていない状況にあり、大気、海洋、陸域における北極圏特有のメカニズムの把握が喫緊の課題とされている。一方、陸域では、特に冬期の気温上昇や積雪期の短期化により、永久凍土融解と活動層の拡大が進んでいるとの指摘がなされている。永久凍土中には少なくとも数万年のオーダーで堆積した大量の易分解性有機物(古炭素)が存在しており、夏期に融解する土壌(活動層)の増加により温室効果気体(CH4・CO2)の新たな発生源として懸念されている。また、近年自然火災の発生件数も増加しており、火災による土壌炭素の放出も無視できない。しかし、これまで行われてきた北極土壌圏における炭素動態の実態解明に関する観測研究は、アラスカ、シベリア永久凍土地帯ともにスナップショット的な事例にとどまっており、古炭素の分解メカニズムの実態や気候変動による脆弱性を評価するなど温暖化影響を解明するまでには至っていない。土壌有機物の分解の制限要因である土壌温度、水分量等、土壌の物理状態を把握できる環境要因の連続データは、無電源かつ極寒条件の北極高緯度域では乏しい。一方、既存の土壌炭素動態モデルは、気候変動下での影響評価や予測を行うには必須のツールとなるが、北極域特有の永久凍土と活動層に関する物理プロセスや、古炭素の活性化などの生物地球化学プロセスの知見は不足している。よって、本課題がめざす、近年温暖化影響が顕在化している北極域における温暖化による土壌炭素蓄積量の変化とそのメカニズム解明のための観測データの取得、北極土壌炭素動態モデルの開発とその高精度化に向けた取り組みは、近未来北極環境変動を予測する上で重要である。
2. 土壌有機炭素蓄積分解の実態把握とデータ構築
将来の気候変動の予測に有効なモデルの信頼性を高めるためには、温室効果ガスや気候変動にかかわる観測データの取得・集積が必要である。しかしながら、北極高緯度域における観測データは、温帯域に比べて乏しいのが実状である。本課題では、温暖化の影響下にある土壌炭素動態の解明とそのモデルの開発に資するデータを取得するため、米国アラスカ大学国際北極圏研究センター(IARC)と共同で広域観測網を構築した。観測網は、アラスカ内陸のフェアバンクスから南北に、北側は、ブルックス山脈を挟んで北極海岸のプルードベイまでの南北800kmの区間、南側は、アラスカ山脈を挟んで太平洋岸のバルディーズまで、南北に総延長1500kmに合計33地点が配置されている。これらの観測網は、北方森林帯、ツンドラ、森林帯からツンドラに植生が遷移するエコトーンと代表的な生態系を網羅的に配置するよう設定されており、同時に地形、植生、気候のコントラストなどを考慮して決定された。また、季節性凍土帯、永久凍土帯、森林火災跡地なども網羅されている。フェアバンクスから北極海へと南北に縦断するように引かれたラインに沿って、通年のモニタリングサイト8地点を設けた(図2)。これらのサイトでは、年間の地表付近の気象・積雪状態(積雪深・積雪内温度プロファイル・熱伝導)・地温プロファイル・土壌水分・凍結深の時間変化を計測し、広域の物理環境の時間変化を通年でモニターしている。これまでの観測から、以下のような地域差、季節変化の特徴が明らかになった。1) アラスカ北部では冬期の積雪の多寡が、地面の冷却、凍結状態に影響し、融雪後の昇温に影響する。2) 融雪水は、土壌水分にひいては土壌炭素分解に重要な影響をもつ。
一方、土壌炭素動態を把握するために、上記のモニタリングサイトと火災跡地において、最大2m深までの凍土土壌試料の採取(写真)、凍土を用いた培養実験、土壌中の有機炭素量の把握、温室効果ガス(CO2およびCH4)放出速度の観測を実施している。また、放射性炭素14Cをトレーサーに用いて土壌有機炭素の滞留時間の算出を進めている。滞留時間は、以下で取りあげる土壌炭素動態モデルの検証に利用し、開発されたモデル精度の向上のために利用するものである。加えて、古土壌の有機物分解の実態把握とその定量のため、土壌中のCO2、土壌から放出されるCO2の14C分析を進めている。これらのデータからは、土壌から発生するCO2の炭素源に関する知見を得ることができる。火災跡地では、核実験由来14Cをトレーサーに利用することにより、火災により焼失した有機炭素量の推定に成功した。2005年にフェアバンクス郊外でおきた火災では、地表に堆積する有機物層(植物リター層)の約10cm分(炭素量にして4.4kgCm2相当、1950年以降に蓄積した炭素の53%)が焼失していたことがわかった。これらのデータは、アラスカ地域における森林火災による炭素損失量が膨大になることを示している。
3. 土壌炭素動態モデルの開発および高精度化
既存の土壌炭素動態モデルの多くは温帯などの比較的温和な環境条件下で開発・適用されてきたものであるため、北極域の現状に即していないことが問題である。北極高緯度土壌では、永久凍土や地下水位の動態は、土壌炭素の蓄積・分解やメタンの生成・酸化を決定する根本的な要因であるが、これらの動態をメカニスティックに扱い予測研究に応用するには、土壌温度と水分量を物理的に精密にシミュレーションすることが肝要である。たとえば、土壌炭素が蓄積することで土壌中の水容量が増加し、これによる水飽和の増大がさらなる還元的環境の生成を進めることで、土壌炭素の蓄積がいっそう進むという相互作用が起こっている。本課題では、この相互作用を再現するため、土壌物理モデルのNoah Land Surface Model(LSM[1])と土壌炭素分解モデルのED2.0-peat(SDM[2])を統合した、Physical and Biogeochemical Soil Dynamics Model(PB-SDM)の開発を進めている。このモデルでは、土壌炭素の分解速度を土壌物理モデルで引き出されたそれぞれの地中の深さごとの温度や水分量から算定し、それによって起こる土壌炭素の蓄積・分解による土壌の深さの変化が、さらに次の時間ステップの土壌分解速度に影響を与えるという相互作用を再現した。このモデルを使うことによって、シミュレーション年数に応じた数の有機土壌層が形成され、古い層ほど土壌下部に存在し、また分解が進んでいるというリアルな垂直構造を再現することができた。完成したPB-SDMを用い、北方林における気象データと土壌データを使用したシミュレーションを行った結果、PB-SDMは土壌の物理環境および土壌炭素の蓄積を適切に再現できることがわかった。また、土壌物理プロセスと土壌炭素動態の相互作用の大きさを定量化するため、土壌物理プロセスと土壌炭素動態の相互作用をもたないモデルと本課題で開発された相互作用を含んだモデル[3]で、両者の挙動を比較した。その結果、従来型の相互作用をもたないモデルでは、シミュレーション結果は初期条件に大きく左右されることがわかった。本研究の目的は、アラスカ地域において、さまざまな生態系、地形にまたがる観測網を構築し、微気象、土壌有機物の分解に関わる物理化学データの取得、それらのデータを利用したモデルの開発である。最後に、本課題の特色は土壌炭素滞留時間の算出や火災による焼失量の算定など、14Cによる時間情報の算定である。これらのデータは、開発された土壌炭素動態シミュレーションの検証において極めて重要であり、より信頼性の高いモデルの構築に貢献するものである。
脚注
- Livneh B., Youlong X., Mitchell K. E., Michael B. Ek, Lettenmaier D. P. (2010) Noah LSM Snow Model Diagnostics and Enhancements. J. Hydrometeor, 11, 721–738
- Ise T., Dunn A. L., Wofsy S. C., Moorcroft P. R. (2008) High sensitivity of peat decomposition to climate change through water-table feedback. Nature Geoscience 1, 763-766
- Mori M., Ise T., Kondo M., Kim Y., Enomoto H., Uchida M., The effect of the feedback cycle between the soil organic carbon and the soil hydrologic and thermal dynamics. Open Journal of Ecology (in press)