RESULT2023年11月号 Vol. 34 No. 8(通巻396号)

最近の研究成果 「灌漑」が地球環境に与える影響

  • 横畠徳太(地球システム領域地球システムリスク解析研究室 主幹研究員)
  • 花崎直太(気候変動適応センター 気候変動影響評価研究室長)

灌漑とは、作物を育成するために農地に人工的に水を供給することを指します。灌漑による水利用は、世界の消費的な水利用の約90 %を占め、地球環境に対していろいろな影響を与えています。この論文では、地球環境を構成する様々な要素に灌漑が与える影響について、これまでに得られた研究知見をまとめて紹介しています。

現在、地球上には 360万km2 以上の灌漑農地があります。これは地球の陸地面積の2.5%程度に相当します。特にアメリカのグレートプレーンズ(その中のハイプレーンズ)、カルフォルニア中央渓谷、インドのヒンドスタン平野、中国北部で灌漑面積が多く、灌漑の「ホットスポット」と考えられています。

このような地球上の灌漑面積は、国連食糧農業機関(FAO)などの国際機関によって把握されています。特に灌漑面積の広い国々では、国や地域レベルでの灌漑面積が報告されています。また、人工衛星観測技術の発展により、高解像度での灌漑に関する分析結果が得られるようになっています。可視・近赤外・マイクロ波などの様々なセンサーを利用することにより、灌漑されている場所・灌漑のタイミング・農地に供給される水の量などについて情報を得ることができます。

この一方で、灌漑のために使われる水の量など、灌漑面積以外の情報に関しては、統計データや人工衛星観測によって精度良く推定することが難しいことから、数値モデルによる推定が重要な役割を果たします。灌漑過程を考慮した数値モデルによる推定値は、世界全体で毎年約2700 ± 540 km3の灌漑用水が取水されており、これらの推定値はかなりの不確実性を含んでいますが、各国が報告した値とほぼ一致しています。

作物生産を増加させるために灌漑面積を拡大すると、地球環境の様々な要素に、数多くの影響を与えます(図1)。灌漑が地球環境に与える影響についても、数値モデルによる推定が重要な役割を果たします。灌漑によって農地に水が供給されることで、地表面における蒸発が増えます。これにより地表は冷却され、作物の生育期における地表面気温を1-3℃ほど低下させることになります。このようなプロセスによって、極端に高い気温を和らげることもありますが、灌漑によって増加した土壌水分が蒸発し、空気中の水蒸気が増加することで、熱ストレスを高めることや、夜間の放射冷却を抑えて逆に気温上昇をもたらすこともあります。

図1 a) 乾燥農地、b) 灌漑農地における地表付近のプロセス。矢印はそれぞれの要素が及ぼす影響を示す(実線:確信度が高い、点線:確信度が低い)。蒸発熱(潜熱:latent heat)および大気の運動による熱輸送(顕熱:sensible heat)の役割や、様々な物質(炭素:carbon, 亜酸化窒素:N2O, メタン:CH4, 硝酸塩:NO3)の循環も示されている。
図1 a) 乾燥農地、b) 灌漑農地における地表付近のプロセス。矢印はそれぞれの要素が及ぼす影響を示す(実線:確信度が高い、点線:確信度が低い)。蒸発熱(潜熱:latent heat)および大気の運動による熱輸送(顕熱:sensible heat)の役割や、様々な物質(炭素:carbon, 亜酸化窒素:N2O, メタン:CH4, 硝酸塩:NO3)の循環も示されている。

さらに、灌漑によって作物の成長が促進されることで、光合成が活発になり、大気中の炭素の吸収量を増加させる効果もあります。この一方で、水田のように地面を水で浸す湛水灌漑では、嫌気的(酸素の少ない)環境においてメタンの発生が増加することや、農薬の利用によって地下水への窒素供給が増加するなど、負の影響が生じる可能性もあります。

このように、作物を成長させるために行う灌漑は、地球環境の様々な側面に影響を与えます。灌漑と地球環境の相互作用の理解を進めるためには、幅広い分野の研究者が協力して研究を進める必要があります。国立環境研究所でもこの分野の数値モデル研究を精力的に進めています*1, *2。様々な分野の研究を統合し、地球と人間のシステムについての複雑な過程に関する理解を深めることにより、大きな地球環境変動への対処に貢献することが、非常に重要な課題です。