環境研究総合推進費の研究紹介29 人間社会・生態系の持続可能性を損ねない形でネットゼロ排出を達成する道筋を探る −環境研究総合推進費課題2-2002「世界を対象としたネットゼロ排出達成のための気候緩和策及び持続可能な開発」での取り組み−
1. はじめに
2015年、パリ協定において世界の国々は、世界平均気温の上昇に関する2℃目標(全球平均の温度上昇を工業化前比で2℃より十分低く抑えるという長期気候目標)に合意しました。その後、2018年10月に公表されたIPCC1.5℃特別報告書が気温上昇1.5℃と2℃では生じる気候影響に有意な差があるとの結論を示したことを受け、全球平均気温上昇を工業化前比1.5℃以下に抑える目標を支持する声も強まりつつあります。
そして、それらの長期気候目標の実現のために 、21世紀後半には温室効果ガスのネットゼロ排出あるいは21世紀前半の排出量によっては大規模なバイオエネルギー作物や植林等を用いたマイナス排出(吸収・隔離)が必須であることも、専門家の間だけでなく政策決定者・市民の理解を得つつあります。
しかし、そのネットゼロ・マイナス排出は具体的にいつ頃にどんな対策・政策を打つことで実現できるのか、それらの対策・政策に整合的な社会発展や変革の経路はいかなるものか、対策・政策の実施が気候影響以外の形で人間社会・生態系の持続可能性にもたらす悪影響はないのか、またそれらの悪影響への対処のために必要な追加的対策は何かといった問いに対して、科学的な見解は十分に示されていません。
また、仮にネットゼロ排出に至る気候政策が実現できた場合にも、その後に生じる炭素循環・気候システムの変化予測には不確実性が大きく、農業生産や人間健康などの気候影響についても、その地域差、時間経路、不確実性の描出と伝達が不足しています。
そこで、気候目標達成に必要な排出経路の提示、その排出経路下で生ずる気候影響の評価、持続可能性を考慮した気候緩和策の戦略検討を通じて、「人間社会・生態系の持続可能性を損ねない形でネットゼロ排出を達成するということは、どのような社会を作り、受け入れていくということなのか?」という問いへの答えを、市民や政策決定者に伝わる形で描き出すことを大目標として掲げて、国立環境研究所、京都大学、立命館大学、森林研究・整備機構の4機関で連携し、表題の研究プロジェクトを2020年4月に開始しました。
以下では、これまでに国際学術誌で公表した研究成果のうち、世代間・地域間公平性に焦点を当てた気候影響予測、ならびに気候緩和政策が各種の持続可能性に及ぼす波及影響の統合的な評価、の2件を紹介します。
2. 世代間・地域間公平性から見た気候影響予測
一つ目の研究では、緩和政策が実施された場合の気候影響の評価に関連し、特に世代間公平性と地域間公平性の観点からの新たな評価の視座ならびに気候リスクのコミュニケーション方法を提案するために、最新の気候予測情報に基づき、祖父母世代が経験しない暑い日および強い雨(1960~2040年で最大の日最高気温および日降水量を超えるもの)をその孫世代が生涯(2020~2100年)で経験する回数について推計し、排出シナリオ別・地域別に比較しました。さらに、現状の一人当たりGDPや一人当たりCO2排出量と異常気象経験回数の対比も行いました。
解析の結果、緩和がうまく進まないRCP8.5の排出経路下で予測される気候変化条件のもとでは、熱帯の一部地域では、祖父母世代が生涯に経験しないような暑い日を孫世代は1000回以上、強い雨の日を5回以上、それぞれ経験しうることが示されました。
また、RCP8.5下で高温・大雨をより多く経験する傾向は、特に現状の一人当たり収入や一人当たりCO2排出が小さな国々でよく見られ、気候影響への適応力の欠如の点からも、あるいはこれまでの気候変化への寄与・責任の小ささの点からも、高温・大雨に曝される気候影響が不公平性をより強めるものであることが示されました。一方で、仮にパリ協定の2℃目標に整合的なRCP2.6の排出経路を実現できた場合、この地域間の不公平性の強まり方を抑制できることが示されました。
3. 気候緩和政策が各種の持続可能性に及ぼす波及影響の統合的な評価
二つ目の研究では、これまで開発を進めてきた複数の気候・影響・対策評価モデルを連結し、気候変動の緩和やその他の社会・環境変化がSDGs達成に及ぼす影響を評価しました。 具体的には、SDGs関連の指標の定量化のために、一般均衡型経済モデル(AIM /Hub)に、グリッド化土地利用配分モデル(AIM/PLUM)、生物多様性モデル(AIM/BIO)、水不足評価ツール、排出量ダウンスケーリングツール、飢餓推定ツール、簡易気候モデル、大気化学輸送モデル(GEOS-Chem)および健康評価ツールを連結して評価に応用しました。
図2は、緩和なし想定(ベースラインシナリオ)と比較したCO2排出削減率(横軸)とSDG指標変化(縦軸)との関係を示しています。図中の信号機の色は直線(線形回帰)の傾きに基づく、副次的便益(緑)、トレードオフ/副次的損益(赤)、統計的な有意性なし(黄:5%信頼水準)を示しています。
この図では、複数地域の結果を重ねてプロットしていますが、多くのSDG指標で、CO2排出削減率に応じて指標の変化の方向が一致する(ある地域では副次的便益、別の地域ではトレードオフ、といったことが生じづらい)傾向があります。大気質、再生可能エネルギーシェア、エネルギー強度、失業率、森林面積について副次的便益がみられ、ベースラインシナリオと比較して1%のCO2排出削減があった場合に各指標について0.58%、0.23%、2.6%、0.02%、0.34%の改善となります。一方、飢餓、農業価格、GDP、および生物多様性のリスクは、それぞれ0.94%、0.26%、0.034%、および0.026%のトレードオフとなります。特にトレードオフ関係が予想される分野については、パリ協定に沿った緩和策の実施に際して、追加的な配慮・政策によってそのトレードオフを補うことが必要です。
4. おわりに
上述の2つの研究結果をはじめ本プロジェクトの一連の成果を通じて、私たちは、パリ協定で合意されたネットゼロ排出の達成と、飢餓撲滅、生態系保全、大気汚染解決などの環境・社会問題の解決との同時実現に向けた道筋を定量的に描いていくことを目指しています。特定の社会目標に焦点を当てて対策を深く、詳細に論じる研究も必要ですが、本研究のように複数課題・目標の相互関係を考慮し、また地域間・世代間公平性に焦点を当てて、社会変革のありかたをデザイン・提案していく研究も重要性を増してきています。
菅前首相の所信表明演説での2050年カーボンニュートラル宣言(2020年10月)や、2030年までに2013年比46%削減の目標表明(2021年4月)など、相次ぐ野心的な気候政策の発表があって以降、国内での排出削減対策とその実現可能性に関する議論が大いに活発化しています。それらの国内対策目標と世界規模での脱炭素・持続可能社会構築は整合的に進められる必要があることから、タイムリーに研究成果を創出すべく、国内外の関連研究チームとも連携しながら研究に取り組みます。
*「環境研究総合推進費の研究紹介」は地球環境研究センターウェブサイトにまとめて掲載しています。