2017年2月号 [Vol.27 No.11] 通巻第314号 201702_314001
地球温暖化対策の長期目標を考える パリ協定の「1.5°C」、「2°C」目標にどう向き合うか? —環境研究総合推進費S-10プロジェクト公開シンポジウム会合開催報告—
1. はじめに
地球温暖化対策の新たな国際的枠組み「パリ協定」が2016年11月4日に発効しました。パリ協定では、世界平均気温の上昇を工業化前を基準に2°Cより十分低く保つとともに1.5°Cに抑える努力を追求する目標が合意されました。2°Cあるいは1.5°Cに気温上昇を抑えることで、どのくらいの影響を抑制できるのでしょうか。そのためには、どのような対策が必要で、また、それらの対策に副作用はないのでしょうか。
これらの問いに取り組むべく、環境省環境研究総合推進費S-10プロジェクト(気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究[略称:ICA-RUSプロジェクト])では、2012年6月以降、国内13研究機関から80名以上の参画を得て、研究を進めてきました。研究期間の最終年度を迎えるにあたり、プロジェクトで得られた成果をふまえ、パリ協定の長期目標との向き合い方について市民とともに考える表題のシンポジウムを、11月21日(月)に東京大学伊藤国際学術センター伊藤謝恩ホールで開催しました。本稿では、会合開催報告として、第一部での4名の演者による講演ならびに第二部でのパネルディスカッションについて、その概要を紹介します。なお、当日の講演スライドについてはシンポジウムウェブサイト[1]にて閲覧可能です。
2. 第一部:ICA-RUSプロジェクト研究チームによる話題提供
会合冒頭、竹本明生氏(環境省地球環境局研究調査室長)による開会挨拶がありました。本シンポジウムの直前、11月7日〜18日に、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第22回締約国会合(COP22)がマラケシュ(モロッコ)で開催されましたが、竹本氏は同会合に政府代表団の一員として臨んだ後、帰国直後のシンポジウム参加となりました。11月4日のパリ協定発効、11月8日の我が国のパリ協定締結、同じく11月8日の米国大統領選でのトランプ氏の勝利など、COP22に前後して大きな出来事が続いたものの、COP22では、パリ協定の実施ルール作りに関する交渉が行われるとともに、各国からはパリ協定の発効をふまえての温暖化対策の取り組み強化に向けた発信があるなど、一定の成果が得られたそうです。ICA-RUSプロジェクトの取り組みは、パリ協定の下で5年ごとに世界全体の温室効果ガス排出量や温暖化対策の評価が行われるグローバルストックテイクや気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書への反映など、中長期的観点から世界の気候変動対策に貢献しうるものであると、竹本氏は期待を示しました。
続いて、江守正多S-10プロジェクトリーダー(国立環境研究所地球環境研究センター気候変動リスク評価研究室長)により、「パリ協定の長期目標をどうとらえるか?—ICA-RUSプロジェクトの成果より」というタイトルで発表がありました。2015年9月に「地球規模の気候リスクに対する人類の選択肢第1版」(選択肢第1版)[2]として発表した研究成果と、パリ協定の合意、発効を受けた長期目標の捉え方についての論点提示がありました。選択肢第1版の要点は以下の通りです。
- 工業化以前からの世界平均気温の上昇を50%程度の確率で1.5°C、2°C、2.5°C以下に抑えるための排出経路を緩和目標として掲げ、影響評価と対策評価の両面から、不確実性を考慮しつつ比較を試みた。
- 地球規模リスクの観点からは、1.5°C、2°C、2.5°Cの目標間の差は不確実性の幅よりも小さいため、そのいずれを目指すかという選択よりもむしろ、大きな方向性としていずれかに確実に向かっていくこと、および不確実性への対処を考えることが重要である。
- 一方、各目標を達成するために必要な緩和策および経済コスト等は目標間の差が顕著であった。特に厳しい目標では、バイオマスCCSの大規模導入が食料生産や生態系保全と競合する等の懸念がある。
- ただし、この結果は緩い目標が望ましいことを必ずしも意味しない。ティッピングエレメント(後述)の検討がより進むと、目標間の影響の差がより重要となる可能性があるし、対策コストを計算するモデルの限界にも注意が必要である。また、望ましい目標は価値判断に依存する。
パリ協定の合意を受けてさらに考察を進めた結果として、以下の認識が示されました。
- 「大きな方向性としていずれかの目標に確実に向かうこと」には「今世紀後半の温室効果ガス排出量正味ゼロ」(以下では「ゼロ排出」と略)が相当し、「不確実性への対処」には、今後実際に生じる気温上昇傾向に基づく「学習」(観測情報の蓄積・更新をふまえた不確実性幅の軽減)、および気候工学の(副作用、ガバナンス、倫理的側面も含めた)検討・準備があげられる。
- もしも実際の気候感度が高く、ゼロ排出を達成しても2°C、1.5°Cを超えることがわかった場合には、「なぜ2°C、1.5°Cなのか」の深い再考が必要。
- ゼロ排出の達成方策は、気候政策に限定せず、より広い「持続可能性政策」の中で考えるべき。
江守氏の講演は、「2°C・1.5°Cは本当に必要なのか? なぜ必要なのか?」という問いは今後何度も再燃するはずである、とのメッセージで締めくくられました。
次に、鼎(かなえ)信次郎S-10-3テーマリーダー(東京工業大学・教授)により、「今世紀の排出が1000年先の未来を決める—ティッピングとは何か?」というタイトルでの講演がありました。気温上昇が、あるしきい値(ティッピングポイント)を超えると、地球の気候を構成する要素(エレメント)に質的かつ急速な変化(ティッピング)が生じる可能性があります。ティッピングエレメントの例としては、数百〜千年スケールでのグリーンランド氷床の大規模融解などがあり、いずれも地球環境に重大な変化をもたらし得ます。講演では、パリ協定の気温目標を満たしてもしきい値を超えうるティッピングエレメント(北極海夏季海氷の消失、アルプス氷河の消失、サンゴ礁の白化、グリーンランドと南極氷床の融解)があること、気候変動政策が進まなかった場合に発現可能性がかなり高くなるティッピングエレメントが存在すること、ただし、いずれのティッピングエレメントの理解もまだ不十分であり科学的理解を深めるための研究の継続が必要であることが、結論として述べられました。
続いて森俊介S-10-4テーマリーダー(東京理科大学・教授)により「大規模緩和策は何をもたらすか?—ネガティブエミッション/気候工学の波及効果」のタイトルで、大規模緩和策により生じうる波及効果とパリ協定の気候目標の実現可能性について、ICA-RUSプロジェクトの研究成果を交えた説明がありました。2°C・1.5°Cといった気候目標の達成には、21世紀前半から大規模な緩和努力が必要であり、今世紀後半には世界の温室効果ガス排出と吸収を、差し引きでほぼ0にするほどの大規模な緩和策の実施が求められていること、一方でそれらの大規模緩和策は様々な形で悪影響を及ぼし得ることについて説明がありました。また、気候目標の実現の可否は、世界が持続可能な社会を志向するかどうかの基本的な価値観に依存することが強調されました。
第一部の最後には、藤垣裕子S-10-5テーマリーダー(東京大学・教授)により「国際合意と社会的合理性:目標選択における社会の判断」のタイトルでの講演がありました。パリ協定に対する日本政府の対応は、市民の意見・判断を反映したものであることが求められますが、一方で、気候問題は市民が各自の意見をもつことが難しい問題でもあることも、これまで多く指摘されてきました。講演では、気候問題への市民の理解には、①メカニズムの理解、②影響の理解(例:2°C上昇の意味)、③対処の理解(例:自分たちが負うべき負担・責任)があり、そのうち日本の専門家や政策決定者には①と②を重視する傾向が、日本の国民には③を重視する傾向があることが、研究で得られた知見として示され、両者のギャップを埋め倫理的課題を整理・検討する媒介専門家の必要性が指摘されました。
3. 第二部:パネルディスカッション
シンポジウム後半には、講演者3人と滝順一氏(日本経済新聞社・編集委員)をパネリスト、江守氏をコーディネーターとして、パネルディスカッションが行われました(写真)。最初に滝氏から、温暖化リスクの構造を理解し対策の選択肢を示すというICA-RUSの目的に関して、リスクと対策を伝えるだけでは不十分で、未来へのビジョンの共有が伴わないと合意形成には至らないのでは、との問題提起がありました。また、未来へのビジョンは社会階層等に強く規定される側面があり、社会の分断化が進むとビジョン共有がより困難なものになるとの懸念も示されました。加えて、社会の分断化が合意形成の難しさを呼び、さらなる分断が引き起こされる、後戻りのきかないような状態が生じているのではないか(社会の分断化にもティッピングに相当するものがありうるのではないか)との考えが示されました。それらの懸念を表明したうえで、持続可能な社会という共通目標の下で何らかの合意ができるなら、それが問題解決への鍵となるのかもしれないとの希望についても言及がありました。
滝氏の指摘に対して、社会の分断化が加速するティッピングが生じうる一方で、逆に脱炭素社会が加速するティッピングもありえ、例えばそのきっかけは、先進国と途上国の対立という分断をある程度つないだパリ協定の下、先進国の支援を活かし途上国でも低炭素エネルギー化が加速する、といったことかもしれないという見解が江守氏からは示されました。
続けて、会場に質問・意見を募っての討論が行われ、予測の不確実性の下での対策の議論・実施には難しさがあること、悪影響だけでなく好影響についても見落とすべきでないこと、温暖化対策が途上国の経済発展を阻害し格差を拡大するものであってはならないこと、国民に向けて専門家が示すリスク情報・対策情報の内容や伝え方に工夫が必要であることなど多岐にわたり、パネリストと来場者の間で有意義な対話を行うことができました。
4. おわりに
ICA-RUSは2017年3月にその5年の研究期間を終えます。研究期間の終了時には、選択肢第1版を更新・拡張し、選択肢最終版レポートの作成・公表も予定しています。当該レポートは、今回のシンポジウムでの講演内容やパネルディスカッションでの議論もふまえた形で作成されることになります。引き続き、ICA-RUSの活動にご注目頂けますようよろしくお願いします。