2016年2・3月号 [Vol.26 No.11] 通巻第303号 201602_303005

地球環境概観第5次報告書(GEO5)〜人間社会にとって深刻な影響をもたらす臨界閾値に近づきつつある地球〜

  • 国立環境研究所 社会環境システム研究センター フェロー/
    地球環境戦略研究機関 研究顧問 甲斐沼美紀子

1. はじめに

フランス・パリで開かれた国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)は2015年12月12日に「パリ協定」を採択しました。産業革命前からの世界の平均気温上昇を2°C未満に抑えることに合意した画期的協定です。また、今世紀後半に、人為起源の温室効果ガス排出と人為起源の吸収量をバランスさせることにも合意しました。

気候変動による被害は、すでに世界各地で顕在化しています。小島嶼国では塩水の流入と降雨パターンの変化による淡水資源の不足が発生しています。バングラディッシュなどでは、雨期と乾期における降水量の差が大きくなり、洪水や旱魃の被害が深刻化しています。食料生産では、中国や南アジアで、コムギ、大豆に負の影響が現れています。

日本でも近年、計画規模を上回る豪雨による被害が各地で発生しています。国土交通省によると、2015年9月に起きた関東・東北での記録的な豪雨では、計19河川の堤防が決壊し、ほかに全国で55河川が氾濫しました。気候変動による人への健康被害も懸念されています。消防庁の取りまとめによると、2013年6月から9月の間に58,729人が熱中症で救急搬送され、2010年以降、その数は大きく増加しています。2014年には、海外渡航歴のない人の国内でのデング熱の感染が70年ぶりに確認されました。デング熱を媒介するヒトスジシマカの生息域は、近年、東北地方にまで拡大しています。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、今後さらに温暖化の被害が増えるとの予測をまとめています[1]。その対策には、温室効果ガス排出量を抑えていくことは不可欠ですが、大気汚染や廃棄物管理などとの対策を含めた持続的発展につながる対策が求められています[2]

2. 地球環境概観(Global Environmental Outlook: GEO)

世界気象機関(WMO)と共同でIPCCを立ち上げた国連環境計画(UNEP)は、地球環境に係わる種々の報告書を発表しています。その中でもIPCC評価報告書とともに世界で読まれているのが、地球環境概観(Global Environmental Outlook:GEO)です[3]。GEOは、世界の環境問題の状況、原因、環境政策の進展、および将来の展望等を分析・概説したものです。UNEPでは、第1次のGEOを1997年に出版して以来、2000年に第2次、2002年に第3次、2007年に第4次、2012年に第5次の報告書を世界各国の研究機関の協力を得て取りまとめてきました。国立環境研究所でも、UNEPのパートナー機関として、アジア・太平洋地域の気候変動に関する執筆等に携わってきました。

地球環境概観第5次報告書(GEO5)は3部構成で、第1部:地球環境の現状と傾向、第2部:政策オプション、第3部:地球規模での対応となっています。本体に加えて、「政策決定者向け要約」も出版されています。これまでは残念ながら日本語訳がなかったので、日本ではあまり読まれていませんでしたが、このうち第1部の日本語訳が2015年秋に環境報告研から出版されました(図1)。なお、GEO5の概要に関しましては、地球環境研究センターニュース2012年10月号をご参照下さい[4]

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図1国連環境計画地球環境概観第5次報告書(環境報告研による日本語訳) http://hokokuken.com/geo5.html

GEO5は2012年にリオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(RIO+20)に先駆けて2012年6月6日に発表されました。GEO5で大きく取り上げられたのは、人間の活動が、現在、非常に広範囲になり、地球規模で資源・環境に影響を与えていているという証拠が示されているということです。RIO+20では、これらの資源・環境制約のもとでの21世紀型の持続可能な成長・開発のためのビジョンや方向性が検討されました。その中で、2015年以降の開発・成長目標としての持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)が提示されました。

SDGsは2015年9月25–27日にニューヨークで開催された国連サミットで、17の目標と169のターゲットからなる持続可能な開発目標として採択されました[5]。17の目標には、貧困の撲滅(目標1)、飢餓の撲滅(目標2)、衛生的な水へのアクセス(目標6)、持続的で近代的なエネルギーへのアクセス(目標7)、気候変動へのアクション(目標13)、グローバルなバートナーシップ(目標17)などがあり、どの目標も気候変動対策と無縁ではありません。逆にパリ協定の下での約束草案をSDGsの達成と併せて実行することで、気候変動対策が推進されます。その基本は地球システムの限界を回避することです。

3. 地球システムの限界について

私たちが住んでいる地球は、大気や水の循環、地殻の変動、生態系の変遷という自然システムと、人間の社会的、経済的な人工システムが相互に作用しあっています。これを地球システムと呼んでいます。初めて地球システムの限界が言われたのは、1972年にローマクラブより出版された『成長の限界』でした。『成長の限界』では「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘を鳴らしました。その後のIPCCなどの報告によれば、2070年ごろには、気候変動の対策を実施しなければ世界の平均気温が工業化前と比べて3°C以上も上昇するという予測もあります[6]。今回のCOP21で地球規模での対策の実施に世界各国が合意したことにより、40年以上かけてやっと地球規模での対策が動き出したと言えます。キーリング博士が人為的に放出される二酸化炭素の影響で温暖化がもたらされると懸念して、1958年にハワイ・マウナロアで大気中の二酸化炭素濃度データの観測を実施してから、実に50年以上が経過しています。

ストックホルム・レジリアンス・センターのJohan Rockström博士たちは2009年に地球システムの限界についてNature誌に[7]、2015年には、最新の分析結果をScience誌に発表しました[8]。彼らは「地球システムの限界」を左右する9つの指標を取り上げました。それらは、気候変動、新しい物質の導入(化学物質など)、成層圏オゾンの破壊、大気中エアロゾルの負荷、海洋酸性化、生物地球科学的フロー、淡水利用、土地システムの変化、生物圏の完全性です。生物の遺伝的多様性と人間のリン・窒素循環への干渉はすでに地球システムの閾値を超えており、気候変動と土地利用の変化は非常に危険な状態に入ったと警告しています(図2)。

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図2人類が関与している9つの地球システムの限界ゾーン [クリックで拡大] 出典:Steffen他, Science誌、2015年1月16日と2015年コスモス国際賞受賞記念講演会ヨハンロックストローム博士講演資料より作成 http://www.expo-cosmos.or.jp/main/cosmos/album/2015/album2015.pdf

IPCC第5次評価報告書によれば、地球の平均気温を2°C未満に抑えるためには、人間活動による累積の温室効果ガス排出量を2兆9000億トン(二酸化炭素換算)以下に抑える必要があります。人間活動による排出量は2011年までに1兆9000億トン(二酸化炭素換算)に達しています[9]。残りは1兆億トン(二酸化炭素換算)です。現在の温室効果ガス排出量が続くとすれば、あと30年以内に我々は2°C目標の枠を超えてしまうことになります。当然のことですが、温室効果ガスの排出量が増えれば、それだけ早く2°C目標の枠を使い切ることになります。

地球システムは複雑にからみあっています。GEO5では、大気圏、地圏、水圏、生物圏、化学物質と廃棄物を取り上げ、人間活動によって影響を受けた地球システムの相互作用について報告しています。これまでのところ、人間の圧力に対して地球システムがとった対応はその影響を抑える方が総じて支配的であったとの指摘があります。これは地球システムが持つ生来のレジリエンス(回復力)によって説明されます。例えば、人為的な二酸化炭素排出量の増加に対応して、生物圏の炭素吸収能力は、1960年代の約20億炭素トンから、2005年には約40億炭素トンになったという指摘があります[10]。しかし、世界の環境変化がもたらす圧力を和らげる生物圏の能力が、低下している兆しがあります。例えば、湖のような閉鎖性水域では富栄養化が生じ、大陸域レベルでは、地域の温暖化が増幅して北極圏の氷床・氷河の融解が加速されるというように、正のフィードバックが増大しているという証拠があります。

4. おわりに

中央アジアのアラル海の縮小と周辺環境の急変は、「20世紀最大の環境破壊」と言われています[11]。アラル海は1960年代までは日本の東北地方とほぼ同じ大きさの世界第4位の、豊かな自然に恵まれた塩湖でした。しかし、砂漠の地を世界最大の綿花地帯に変えるという旧ソビエト連邦の「自然改造計画」のため、アラル海に流れこんでいたアムダリア川とシルダリア川の豊富な水が灌漑用水として使われました。その結果、1980年代前半にはアラル海に流入する水がなくなり、今ではアラル海は分断され1960年代の4分の1程度の面積しかない湖となってしまいました。さらに、アラル海では塩分濃度の上昇で魚が死滅し、塩分や有害物質を大量に含む砂嵐が頻発するようになり、周辺住民の健康を脅かしています。現在、川の流れを再びアラル海に戻す努力がされていますが、一度人間が壊した自然をもとに戻すのは容易ではありません。

アラル海の縮小よりさらに規模の大きい人為的環境破壊が気候変動問題です。気候変動による被害の因果関係がわかりにくいため、すべての国が協調して温暖化問題に取り組むための仕組みにはなかなか至りませんでした。地球システムの限界がCOP21で再認識され、人為起源の温室効果ガス排出量を今世紀後半には実質的にゼロにしていくことが合意されたのは歴史的な転換点といえます。

地球システムが変化している多くの証拠がGEO5で示されています。人間は地球システムの不可欠な要素として、その莫大な個体数と活動を通して、地球システムを変化させつつありますが、これらの変化は地球全体に一様には分布せず、場所によっては、他よりも大きな変化が及んでいます。地球システムの閾値を超えると、影響が加速され、元に戻すことはほとんど不可能になります。気候変動が「21世紀最大の環境破壊」とならないよう、科学、政策、市民社会、企業からの活発な関与が必要とされています。

脚注

  1. IPCC第5次評価報告書政策決定者向け要約、http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar5/ipcc_ar5_wg1_spm_jpn.pdf
  2. IPCC第5次評価報告書、ワーキング・グループ2、第20章、https://www.ipcc.ch/pdf/assessment-report/ar5/wg2/drafts/fd/WGIIAR5-Chap20_FGDall.pdf
  3. UNEP地球環境概観第5次報告書(英語版) http://www.unep.org/geo/geo5.asp
  4. 朝山由美子「アジア・太平洋地域における低炭素で強靭な社会の構築に向けて 〜UNEP第5次地球環境概観(GEO-5)「第10章:アジア・太平洋地域」気候変動セクションの概要紹介〜」地球環境研究センターニュース2012年10月号
  5. 国連持続可能な開発目標(SDGs) http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/
  6. IPCC第5次評価報告書ワーキング・グループ1、政策決定者向け要約 図SPM.7 http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar5/ipcc_ar5_wg1_spm_jpn.pdf
  7. Nature 地球システムの限界、2009 http://steadystate.org/wp-content/uploads/2009/12/Rockstrom_Nature_Boundaries.pdf
  8. Science 地球システムの限界 2版、2015 http://www.sciencemag.org/content/347/6223/1259855.abstract
  9. IPCC AR5 統合評価報告書政策決定者向け要約、10ページ、1–3行目 http://www.ipcc.ch/pdf/assessment-report/ar5/syr/AR5_SYR_FINAL_SPM.pdf
  10. Canadell et al. (2007) Contribution to accelerating CO2 growth from economic activity, carbon intensity, and efficiency of natural sinks. PNAS 104, 18866-18870
  11. UNEP GEO3 第2章 http://www.grida.no/publications/other/geo3/?src=/geo/geo3/english/485.htm

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