2012年8月号 [Vol.23 No.5] 通巻第261号 201208_261003

温暖化研究のフロントライン 20 観測とモデルのさらなる発展で温室効果ガスのフラックスを解明

  • PATRA Prabir(パトラ プラビール)さん
    (海洋研究開発機構 物質循環研究プログラム 主任研究員)
  • 専門分野:フォワードモデル/インバースモデルによる温室効果ガスの収支推定
  • インタビュア:谷本浩志(地球環境研究センター 地球大気化学研究室長)

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地球温暖化が深刻な問題として社会で認知され、その科学的解明から具体的な対策や国際政治に関心が移りつつあるように見えます。はたして科学的理解はもう十分なレベルに達したのでしょうか。低炭素社会に向けて、日本や国際社会が取るべき道筋は十分に明らかにされたのでしょうか。このコーナーでは、地球温暖化問題の第一線の研究者たちに、自らの取り組んでいる、あるいは取り組もうとしている研究やその背景を、地球温暖化研究プログラムに携わる研究者がインタビューし、「地球温暖化研究の今とこれから」を探っていきます。

PATRA Prabir(パトラ プラビール)さん

  • 1968年 インド西ベンガル州Tikayetpur生まれ
  • 1998年 グジャラート大学で物理学の博士号取得
  • 1998〜2001年 IBMインド研究所 研究スタッフ
  • 2001〜2005年 海洋研究開発機構 地球観測フロンティア研究システム ボスドク研究員
  • 2005〜2007年 海洋研究開発機構 地球観測フロンティア研究システム 研究員
  • 2007〜 海洋研究開発機構 地球環境変動領域 主任研究員

趣味など — 勝ち負けを競わないスポーツならどんなものでもやってみたいです。旅行も好きですし、家族や友人と過ごす時間をとても大切にしています。

予測のつかない展開から炭素循環研究へ

谷本:パトラさんは大学院では成層圏化学・力学を学んでおられましたが、現在は炭素循環モデリングの研究に従事されていますね。何故ご自身の専門分野を変更したのでしょうか。転身の経緯を教えてください。

photo. PATRA Prabirさん

パトラ:きっかけは就職と新たな研究への挑戦です。学位取得後、仕事を見つけなければならなかったのと、もっと興味のもてる仕事をしたいと思ったことです。1997年に博士号を取得した後、私は幸運なことに、当時ニューデリーにできたばかりのIBM Solution Research Center(現IBMインド研究所)に採用されました。仕事の内容は骨の折れるものでした。私はIBMのオンデマンドコピュータdeep computing machineを利用して天気予報のモデリングを担当しました。コンピュータに関してはプログラミングなど専門的な教育を受けていたわけではなかったので、天気と気候、数値モデル、労働倫理にいたるまで基本的なことを学びました。しかし研究の面ではあまり進展はありませんでした。

谷本:つまり、その仕事は科学ではなかったということでしょうか。

パトラ:数値モデルを利用する天気予報は立派な科学なのです。IBMはコンピュータを利用した天気予報の分野では長い歴史があります。1996年のアトランタオリンピックでは天気予報を行い、どの競技をいつ行うか、ランナーにとってどのくらいの風速のときがいいかなどを決定するお手伝いをしました。私はインドで日々の天気を予報するモデリングを担当し、同時にモンスーンや熱帯低気圧の物理特性・微物理について解明することが任務でした。

谷本:でも、それはちょっとばかり退屈だった?

パトラ:いいえ、そんなことはありません。新たな挑戦でした。当時インドでは企業と政府が共通の科学計画に取り組むなんてことはめったになかったのです。

谷本:IBMでの仕事は、炭素循環や成層圏化学、またパトラさんのご専門の物理学とも異なるものでしたよね。と言うのも、このことは約10年前に日本に来ることを決意した経緯に繋がってくると思うのですが。

パトラ:そうですね、新しい研究テーマを見つけるため、インドにとらわれない道を探していました。そこで海洋開発研究機構(JAMSTEC)に応募したのです。大気組成の研究プログラムということだけで、具体的にどんな研究テーマに携わるのかまったく知りませんでした。JAMSTECに採用され、二酸化炭素(CO2)のフォワードモデルやインバースモデルに取り組むことになりましたが、それまでCO2観測やシミュレーションの経験はまったくありませんでした。人生は予測がつかないものですね。2001年から2002年まで、CO2の研究分野における課題は何かを学びました。まず、IBMで得た知識を活かし、CO2の観測ネットワークを構築するのにもっとも重要な地域を特定するため、ネットワークの最適化を行いました。また、インバースモデルによる地上のフラックス推定における不確実性を低減するため、衛星センサーの仕様についても研究しました。国立環境研究所(以下、国環研)の研究者と初めて共同研究したのもこの頃です。共同研究の成果から、上部対流圏と成層圏におけるCO2分布の測定は衛星センサーの開発にとって最適な方法ではないかもしれないということがわかりました。2003年頃にはインバースモデルを利用して炭素循環に関する研究を行うことを考えるようになりました。

メタンの年々変動の解明に向けて

photo. 地球環境研究センター 地球大気化学研究室長 谷本浩志

谷本:なるほど、それが、以後10年にわたる炭素循環研究の始まりだったのですね。では次に、現在、特に力を入れて取り組んでいる研究課題はについて聞かせてもらえますか。また、最も興味のあるテーマについても教えて下さい。研究の方向性や位置付けなどと併せて教えてください。

パトラ:最近興味をもっているテーマの一つはメタン(CH4)の大気化学です。大気–海洋間におけるCH4と亜酸化窒素(N2O)のフラックス観測については経験もあります。CH4の大気化学は確かに難しいのですが、フラックスの変動については、空間スケールでも時間スケールでもCO2より理解しやすいです。あるレベルにおける不確定性を取り除くのに役立つのです。CO2フラックスは一日の中でも時間によって放出から吸収まで変化するので、モデル計算は大変複雑になります。一方CH4は主に放出しかありません。水酸ラジカル(OH)については観測データがほとんどないので、OHの年々変動や南北半球間の変動がCH4にどんな影響を与えているかあまりわかっていません。メタンの地表からの放出やOHの全球的な分布についてはかなりよく推定することができるので、それらにすでにわかっている化学反応と共に化学輸送モデルに組み込むことでメタンをシミュレーションすることができます。化学輸送モデルシミュレーションでの研究により、1990年から2007年までのCH4の全球的な収支と増加率の変動が、人間活動による排出の増加速度の鈍化や、湿地やバイオマス燃焼による排出の年々変動によるものであることを明らかにしました。

谷本:では、OHを把握することでCH4の排出について理解を深めることが現在興味のあるテーマなのですね。私が先日参加したワークショップでは、大気トレーサー輸送モデル相互比較計画(TransCom[注])におけるCH4の研究について議論していましたが、TransComについて少し説明していただけますか。

パトラ:TransComの枠組みのなかで、インバースモデルとデータ同化によるCO2フラックスの研究はまだ続けられています。フォワード輸送モデルのエラーは、亜大陸のCO2フラックスを推定するときに必ず大きな障害の一つとして現れます。私はその他の温室効果ガスや化学トレーサーをモデルに取り込むことで、輸送モデルの不確実性を低減することにエネルギーを割く必要があると思います。TransCom CH4の相互比較実験を進めるのは良いことです。南北半球間の輸送や鉛直輸送、OHの全球分布について制約条件を提供するために、六ふっ化硫黄(SF6)やラドン222(Radon-222)、メチルクロロホルム(CH3CCl3)のシミュレーションを行いました。CH4には大気化学と炭素循環をつなぐような役割があります。私たちの研究チームではCH4の排出や輸送、化学反応についてもっと研究を進めたいと思っています。私個人は、境界層過程や対流輸送、大規模移流輸送を扱うために私たちが開発したオンラインの化学輸送モデル(AGCM-based chemistry-transport model: ACTM)からどんな成果が出てくるかとても興味深く、楽しみにしています。今後5年間で、ACTMを利用した研究を進め、応用範囲を拡大していきたいと考えています。

谷本:CH4と輸送モデルの研究が面白くなってきているということですね。

パトラ:ええ、CH4やN2OなどCO2以外の温室効果ガスについてきちんと学んでからは、比較的簡単にモデリングツールをCO2以外の温室効果ガスに応用したり、ACTMの改良を行ったりできるようになりましたからね。

谷本:現在、町田敏暢さん(地球環境研究センター 大気・海洋モデリング研究室長)とCONTRAIL(民間航空機を利用した温室効果ガス観測プロジェクト)の解析も進めていますよね。

パトラ:昨年、CONTRAILのCO2輸送モデルの相互比較を行いました。上部対流圏のCO2、CH4、N2O 、SF6について私たちのモデル結果が合っているかどうかをチェックするため、自動大気サンプリング装置(ASE)で採取されたデータの解析を行っています。一つのトレーサーだけでは、モデル輸送のエラーなのか、化学またはフラックスのエラーなのかを特定することが難しいのです。TransComの次の目標は、CO2、CH4、SF6を同時にシミュレーションすることですね。

photo. インタビュー

観測とモデルのさらなる発展を

谷本:CO2のインバースモデルについてお聞きします。現状では、モデルと観測の両者ともに不十分という認識なのでしょうか。

パトラ:それは何とも言えませんね。観測もモデルもインバースモデルによってCO2の吸収/放出量に新たな制約条件を加えることができるよう、ちょうどよいペースでお互いに進展してきました。インバースモデルからCO2フラックスについて解明されている部分もありますし、地域スケールの年々変動についてもわかってきていますが、正味のフラックスについてはまだまだ議論の余地があります。観測データだけではなく、フォワードモデルの改良やインバースモデルのシステムをどうやって調整していくかということも進めていかなければなりません。観測はかなり行われており、日本などいくつかの地域においては、密度の高い観測が行われています。しかしモデルツールがまだ十分ではないので、モデル研究者は大陸スケールでのフラックスを制約できていません。インバースモデルの問題点は、われわれが正しいフォワードシミュレーションを実行できていないことです。現在の全球/地域輸送モデルでは、ほとんどの排出シグナルはノイズとなって現れます。ですから、フォワードシミュレーションが改良されれば、シグナルとノイズを判別することができるのです。

モデルの開発・改良を

谷本:モデルもより高分解能のものが開発されるなど、日進月歩です。観測も、航空機・衛星等が実用化されてきました。それでもまだ不十分だとすれば、より強化すべきはモデルと観測のどちらでしょうか。

パトラ:先ほどお話ししたように、大気中濃度と地表フラックスを評価する「輸送」部分がどのモデルでも課題です。ですから、大気輸送フォワードモデルを改良していかなければなりませんし、モデルの開発や改良にもっと力を入れなければなりません。陸域生態系や海洋生態系のモデル研究者に是非お願いしたいのは、陸域生態系モデルによるCO2フラックスの日/月平均など、実際のフラックス量について情報を提供していただきたいということです。数キロメートルの解像度の生態系モデルから得られるCO2の日変化のデータは大変重要だからです。

国環研への期待:アジアに研究の範囲を拡大してほしい

谷本:国環研はアジアやシベリアを含む東アジアでの地上観測や、CONTRAIL、GOSAT(温室効果ガス観測技術衛星)など観測を拡大してきました。モデル研究者の立場から、国環研の観測研究に期待するものはありますか。

パトラ:アジアに研究の範囲を広げてほしいと思っています。知識レベル、予算面において豊かな日本は、地理的にも社会的にもその責任があると思います。今後数十年間、現場観測に変われるものはないでしょう。地上観測網はアジアやアフリカ、南アメリカまで広がっていますが、空からの観測や海洋での観測も必要です。これらのデータ収集について、町田さんと話をしました。彼らはバングラデシュ上空の大気サンプリングを開始しました。たった一本のフラスコですが、それを見たときに「バングラデシュの大気を観測するんだ!」と興奮しました。船による洋上大気観測が定期的に行われている場所でも、CO2の放出地域では大気サンプリングを進めるべきだと思います。一方で、アジアにおいて、大陸や沿岸域、山岳の観測サイトも増やさなければなりません。中国は温室効果ガス観測の国家プログラムがすでにあります。私の知る限り、東南アジアのベトナム、ミャンマー、バングラデシュの間には観測サイトがありません。国環研がすぐに取り組むべきだと思います。

photo. PATRA Prabirさん

谷本:地球環境研究センターでは数年前からインドネシアやボルネオで大気観測を始めましたし、私のプロジェクトでも日本と東南アジアを結ぶ貨物船で、4週間間隔で通年観測を行っています。インドでの観測についてはいかがですか。

パトラ:日本やフランス、オーストラリアの研究者が取り組んでいます。温室効果ガスは、オーストラリアの科学産業研究機構(CSIRO)とフランスの研究者が観測しています。CSIROは国環研と同様、フラスコによる大気サンプリングを行っています。残念ながらインド独自の観測システムはまだありません。アジアは今土地利用変化など改革が進んでいますから、アジアの研究者との共同研究で地域的な現状把握を始めるのはいいタイミングだと思います。

観測データを見るのは重要

谷本:温暖化研究の分野で、今欠けていると思うこと、重要だと思うことはありますか。

パトラ:気候モデルの研究者は地球システムモデル(Earth System Model: ESMs)がCO2の重要な部分、つまり季節変化の振幅や気候の年々変動への応答について十分に予測ができていないことを認めるべきです。モデルが季節変化をうまくとらえられなかったら、どうやって将来予測に使えるのでしょうか。気候変動モデルの研究者には観測サイトを見ていただきたい、と思っています。気候モデルや炭素モデルの研究者は将来のシナリオについて議論しますが、十分モデルの結果を検証できるほど実際の観測データを見ていないことがあります。地球システムのモデル研究者のなかでどれくらいの人が自分たちのモデルシミュレーションと実際のCO2観測結果を比較しているでしょうか。そういう論文を見たことがありますか。私はCO2の季節変化や年々変動、増加速度の比較に関する論文を見たことがありません。これが、今一番欠けているものだと思います。

谷本:つまり、生粋のモデル研究者は検証についてあまり重要視していないということでしょうか。

パトラ:かつてはそういう傾向がありました。現在は少しずつ変わってきているので、良いことだと思います。

国際会議は人と議論する場を提供

谷本:3月にロンドンで、持続可能な地球環境と人間社会をつくることをテーマにした国際会議「Planet under Pressure」がありました。私たちも参加しましたが、いかがでしたか。

パトラ:特別印象的なことはなかったです。あの会議の問題点はあまりにもいろいろな人がいて、誰も人と話しをする時間がなかったことです。壮大な(仮想のとも言える)アイデアを発表した人たちがいましたが、その後彼らと会って議論することができなかったのです。大きな国際会議では、いろいろな人と議論したり会話したりできる場を提供しなければなりません。途上国は科学的な知識やデータベースが十分ではありません。では私たちにできることは何でしょうか。ああいう大きな会議では、「あなたの国はCH4やCO2の重要な排出国です。国に帰ってこの状況を変えて下さい」と言うことくらいしかできません。しかしそれでいいのでしょうか。科学的なコミュニティを構築し、データベースや知識を発展させ、それから話し合いができるのです。私たちは途上国に資金や雇用を考慮した投資をし、正しい発展の方向性を描いていく必要があります。ところがあの会議では科学に関する対話はありませんでした。国内における科学の発展について話題にした人はいませんでしたし、ものごとを変える前にまず学ばなければならないことがあるということを誰も発言しませんでした。ですから私はあの国際会議を評価できないのです。COPがいつもうまくいかないのも同じような理由かもしませんね。

友好的な職場環境のなかでいい研究を

谷本:最後に、ご自身の研究者キャリアを振り返って、次世代を切り拓いていく若い研究者に伝えたいことはありますか。

パトラ:「魅力的な研究テーマに取り組み、友好的な職場環境をつくれば、困ったときに助けてもらえます」と、私は職場の同僚によく言っています。仕事を一緒にするなら、同僚を理解するようにしてください。友好的で信頼関係のある環境のなかでいい研究ができるのです。実際に仕事をする前に、まず率直な意見交換が必要です。それが発展し、研究のアイデアとして実を結びます。社会人としてのマナーを守り同僚と親しくなってください。これが私からのメッセージです。

photo. インタビュー

脚注

  • 二酸化炭素の地域的な放出・吸収量を推定することを目的として1994年に開始された研究計画。

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