ココが知りたい温暖化

Q7公正な移行

!本稿に記載の内容は2024年09月時点での情報です

友人が石油業界で働いています。化石燃料を使わなくなれば友人は失業してしまいますが、温暖化防止のためには仕方ないのでしょうか?

久保田 泉

久保田 泉 (国立環境研究所)

国際社会は、脱炭素社会の実現を目指していますが、化石燃料依存型社会から移行するに際し、温室効果ガス削減のことだけを考えていれば良いわけではなく、その過程で生じるマイナスの影響を小さくする必要があります。化石燃料産業等の雇用が失われることも、このマイナスの影響の一つです。 マイナスの影響をできるだけ小さくして、プラスの影響をできるだけ大きくするのが、政策に期待される役割です。 質問者のご友人(だけではなく、脱炭素社会への移行に伴い、相対的に大きな影響を受ける産業で働く方々)が職を失うことが「仕方ない」ということにならないよう、国際社会では、気候変動対策と社会的公正を両立させる、「公正な移行」(Just Transition)が重要であるという認識が共有され、さまざまな取り組みが始まっています。

1脱炭素社会への移行は、産業にプラスの影響もマイナスの影響ももたらす

国際社会は、パリ協定とその後の国際合意に基づき、脱炭素社会の実現を目指しています。国際エネルギー機関(IEA)は、2022年版世界エネルギー見通し(World Energy Outlook 2022)(注1)の中で、2050年までに世界全体でどのようにネットゼロを達成していくかの目安を示しています(図1)。これを見ると、「2035年までに先進国の電力部門の排出量はネットゼロに」、「2035年までに内燃機関自動車(従来のガソリン車等)の新規販売停止」、「2040年までに既存建築物の50%をネットゼロ対応建築物に改築」等、かなりの速さで、今とは大きく異なるエネルギーの使い方をするように変えていくことが求められていることがわかります。

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図12050年までのネットゼロ達成への道筋における主要なマイルストーン

図出所:IEA(2022)World Energy Outlook 2022を筆者改変

脱炭素社会の実現は社会・経済のあらゆる分野のシステム転換を伴い、産業にプラスの影響もマイナスの影響も生じさせる可能性があります。マイナスの影響をできるだけ小さくして、プラスの影響をできるだけ大きくするのが、政策に期待される役割です。

まず、マイナスの影響として考えられるのは、エネルギー転換に伴う失業や廃業、エネルギー産業が主たる産業であった地域の衰退や、脱炭素への対応により企業が被る財務上のリスク、人権侵害リスク(労働条件等)です。脱炭素社会を実現するためには、持続可能なエネルギーに転換していくことが必要であり、石炭や石油などの化石燃料を減らすことになるため、質問者がご友人の例を挙げてくださったように、そこでの雇用は減少します。一口に「石油業界で働く人」と言っても、石油採掘をする人、企業城下町で働く人、ガソリンスタンドのスタッフ等、影響を受ける職種は多岐にわたります。

一方、脱炭素社会に移行することによって、労働者が新しい技術を習得し、地域で新しい産業が創出され、地域の活性化につながるといった、プラスの影響ももたらされる可能性があります。たとえば、再生可能エネルギーの普及に伴い、新たな雇用が生まれます。また、電気自動車の普及により、自動車産業や充電インフラの需要が増加し、雇用を創り出すのに貢献すると考えられます。

2021年、国際エネルギー機関(IEA)は、報告書「2050年までのネットゼロ 世界のエネルギーセクターのロードマップ」(注2)を公表しました。この報告書では、持続可能なエネルギーへの移行の過程において失われる雇用と創出される雇用についても触れられています。「化石燃料関連産業では500万人が雇用を失うが、再生可能エネルギー発電・電力系統では1400万人の雇用が創出される」とされ、さらに「省エネ機器・自動車・建物で合わせて1600万人の雇用が創出される」とされています。

さらに注意する必要があるのは、脱炭素社会への移行時に生じる影響は、世界全体に均一に起こるのではなく、脆弱な地域・集団により大きな影響が生じるということです。このため、この移行時に、気候変動対策と社会的公正を両立させる政策的配慮が必要になります。

2「公正な移行」とは何か?

「公正な移行」(Just Transition)とは、持続可能な社会への移行を、誰も(人だけではなく、場所、部門、国、地域も含みます)取り残さないように行うことを目的とした一連の原則、プロセス、実践を意味します(図2)。脱炭素の文脈では、気候変動対策の実施に伴って、相対的に大きな影響を受ける産業分野(例:エネルギー、鉄鋼、セメント、自動車等)に従事する労働者や、産業が立地する地域が取り残されることなく、新たな雇用を創り出したり、労働者の新たな技術の習得を促進したりして、社会的不平等を解消しながら持続可能な社会へ移行することを目指すという考え方です。

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図2化石燃料に依存した社会から脱炭素社会への移行の際に、公正な移行概念に基づく適切な政策措置がとられる場合ととられない場合の違い

「公正な移行」という言葉は、国際労働組合総連合(ITUC)が初めて使ったと言われ、2000年代から労働分野を中心に議論が進められてきました。

「公正な移行」は、持続可能な開発目標(SDGs)17目標のうち、特に目標8「働きがいも経済成長も」や目標13「気候変動に具体的な対策を」に深く関連しています。パリ協定にも、前文に、「自国が定める開発の優先順位に基づく労働力の公正な移動(移行)並びに適切な仕事(ディーセント・ワーク:働きがいのある人間らしい仕事)及び質の高い雇用の創出が必要不可欠であることを考慮」すると書かれています。このように、「公正な移行」は、脱炭素社会への移行を考えるにあたって、国際的に非常に重要な概念となっています。国際労働機関(ILO)は、「環境面から見て持続可能な経済とすべての人のための社会に向かう公正な移行を達成するための指針」(「公正な移行」指針)(注3)を策定し、七つの原則を掲げています。この指針に基づいて、各国が関連する政策を展開しています。

気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)(2021年)では、有志国(EU加盟国、米国、英国等)により、上記のILOの「公正な移行」指針を支持することを表明した「公正な移行宣言」が作られました。なお、日本は、署名国に加わっていません。

3海外の事例

海外では、上述の国際レベルでの動きに呼応して、さまざまな取り組みがなされてきています。

欧州委員会は、EU域内での「公正な移行」のための取り組みを支援するため、「公正な移行メカニズム」を設置し、脱炭素社会への移行の社会的・経済的影響を和らげるために、最も影響の大きい地域において、少なくとも1,000億ユーロ(現在のレートでは約16兆円)(2021年~2027年)の資金支援を行うこととしました。EUの公正な移行メカニズムの特徴は、次の3点にまとめられます。第1に、脱炭素移行に伴って悪影響を強く受ける地域を中心に資金が配分されること、第2に、欧州委員会の専門家による各地域の「公正な移行計画」の審査が行われること、第3に、地域に対する情報提供や能力開発の支援が行われることです。

また、175億ユーロ(現在のレートでは約3兆円)(2021年~2027年)の資金を提供する「公正な移行基金」も設置されました。 EUの公正な移行基金では、中小企業の事業多様化や新規事業創出といった企業向けの支援のほか、職業教育と連携した労働者向けの支援や労働市場へのアクセス改善に向けた支援等が行われています。

ドイツでは、メルケル政権が2038年までの脱石炭を掲げ、その後、ショルツ政権が2030年に前倒しすることを目標としています。石炭火力発電所の段階的廃止の決定を踏まえ、2020年7月に「石炭地域構造強化法」が制定されています。これは、地域経済の構造転換を支援する制度を作り、資金規模や支援内容を明文化したものです。さらには、さまざまなステークホルダーの協力を求め、再生可能エネルギー事業などについての情報提供や教育・訓練の機会を提供しています。

オーストラリアのハンター・バレー地域は、石炭鉱業が盛んでしたが、環境問題対応や需要の減少により厳しい状況に直面していました。同地域では、再生可能エネルギーへの転換や観光産業の育成など、「公正な移行」を促進するプログラムが実施されています。

カナダのアルバータ州は、2030年までの石炭火力のフェーズアウトを目標として打ち出しています。また、「公正な移行」に関するプログラムを策定して、再生可能エネルギーへの投資や技術革新、労働者のスキルアップなどをはかっています。

4日本の課題とは?

では、日本ではどのような状況なのでしょうか。

2022年6月、イギリス学士院(The British Academy)(人文科学および社会科学分野における英国の国立の学術団体)は、報告書「日本における公正な移行」(注4)を公表しました。 この報告書の中で、日本では、脱炭素の文脈での「公正な移行」については、理解が始まったばかりであるとされています。しかし、日本には、1960年代の石炭から石油へと転換する際に、石炭に頼る経済から地域を移行させようとする地方自治体、労働組合、業界の試みの経験の蓄積があることも併せて指摘されており、脱炭素社会への移行の際に、これらの経験から、良かったことも改善が必要なことも学ぶことができるとされています。

この報告書で、日本における「公正な移行」に関する問題として挙げられているのは、火力発電所、製鉄及び自動車産業で働く労働者への配慮、炭素集約型インフラにその税収を大きく依存している自治体への影響の理解、そして、地方自治体レベルでの公正な移行の管理能力の構築などです。

これまで見てきたように、脱炭素社会の実現のためには、今の社会を大きく変えていくことが必要です。その過程では、質問者のご友人のように、今までしてきた仕事がなくなってしまう方が出たり、化石燃料に関する事業で収入を得てきた企業やそれに頼ってきた地域が変化を迫られたりすることもあります。脱炭素社会への移行は、気候変動対策と社会的公正を両立させ、「誰も取り残さない」、「公正な移行」とすることが必要で、海外ではさまざまな取り組みが始まっています。日本でも、過去の石炭から石油へのエネルギー転換等の経験を踏まえ、脱炭素の文脈においても「公正な移行」を実現させていくことが求められています。

政府/企業/労働者のいずれかだけの力で、「公正な移行」を実現するのは不可能です。政府、企業、労働者・市民それぞれの行動が必要であり、それを包括するものとして、脱炭素社会に向けた一貫した政策と、各主体間の対話が必要です。 

注1
World Energy Outlook 2022.国際エネルギー機関(IEA: International Energy Agency).
https://www.iea.org/reports/world-energy-outlook-2022
注2
Net Zero by 2050 A Roadmap for the Global Energy Sector. 国際エネルギー機関.
https://www.iea.org/events/net-zero-by-2050-a-roadmap-for-the-global-energy-system
注3
Guidelines for a just transition towards environmentally sustainable economies and societies for all. 国際労働機関(ILO: International Labour Organization).
https://www.ilo.org/publications/guidelines-just-transition-towards-environmentally-sustainable-economies
注4
イギリス学士院(2023)日本における公正な移行.
https://www.thebritishacademy.ac.uk/publications/just-transitions-in-japan-japanese-translation/

さらにくわしく知りたい人のために

  • 第1版:2024-09-24

第1版 久保田 泉(社会システム領域 地域計画研究室 主幹研究員)