ココが知りたい温暖化

Q6脱炭素に関する情報の伝え方

!本稿に記載の内容は2024年08月時点での情報です

私は温暖化のことがすごく心配なのですが、その心配な気持ちを家族や友達に話しても今ひとつわかってもらえません。どうしたら、温暖化の怖さや対策の必要性が伝わるのでしょうか?

林 岳彦

林 岳彦 (国立環境研究所)

「こうすれば温暖化の深刻さや対策の必要性が伝わります!」と言えるような確かな手法は今のところありません。気候変動問題のコミュニケーションに関する現在までの研究を踏まえると、「情に訴える日常のナラティブ(物語)」を利用することが効果的な手法の一つと考えられますが、それだけで万事解決するような単純な話でもありません。相手に納得してもらうには、正しい知識を伝えるだけではなく、相手の立場や価値観に寄り添った言い方で伝えることが大事です。また、長期的に人々の認識を変えていくという方向性もあります。

1気候変動を伝えることの三つの難しさ

残念ながら、気候変動に関するコミュニケーションの研究者の間でも「こうすれば温暖化の深刻さや対策の必要性が伝わります!」と言えるような定説はありません。その意味では、その道のプロでも難しい問題であり、質問者さんが思い悩むのも仕方ないところだと思います。

あまり嬉しくはないかもしれませんが、現在までの研究からは「温暖化の深刻さを伝えるのが難しい理由」についてはいくつかの知見が得られています。温暖化の深刻さをうまく伝えるためのヒントを見つけるために、ここではまず三つの難しい理由を説明していきたいと思います。

一つ目の難しい理由としては、気候変動は一般に、“心理的に遠い問題”であることが挙げられます(注1)。一般に、私たちは「今・ここ」で生じていることには強い関心を寄せても、「今・ここ」から“遠い”ところで生じている問題には関心を持ちにくい傾向があります。そして、気候変動は“遠さ”の原因となる特徴を多く持つことが知られています。例えば、私たちの乗った車から二酸化炭素(CO2)が排出されるときに、そこで排出されたCO2の影響は「今・ここ」ではない「未来のどこか」で生じるという特徴を持っています。また、気候変動の「深刻な影響」が語られる場合にも、しばしばそれは「2050年」の話であったり、「北極の氷」や「赤道付近の島国の水位」の話であったりします。こうした(私たちの「今・ここ」から見た)時間的・空間的な“遠さ”が、気候変動の深刻さをどれだけ説明しても「今ひとつ分かってもらえない」一つの原因であると考えられます(注2)。(なお、昨今の記録的な気温上昇により、普段の生活の中でも気候変動の影響を嫌でも実感することが増えてきており、だんだんと心理的にも“近い”問題になってきているかもしれません。)

二つ目の難しい理由は、気候変動に対する認識が、それぞれの人が持つ価値観や政治的な立場などとも関連していることです。「気候変動に対する認識」を調査した研究からは、「政治的な立場(伝統的な価値観を重視する保守派か、変化や改革に親和的なリベラル派か)」と「気候変動への認識」の間に関連があることが示されています(注3)。具体的には、一般に政治的に保守的な人々ほど、気候変動が人為起源であることや、気候変動の影響の深刻さに対して懐疑的な傾向があることが知られています。この要因の一つは、保守派の人々にはそもそも生活スタイルや価値観の変化に繋がる要因の存在を認めたがらない傾向があるためと考えられます。また、(これは保守派・リベラル派ともに言えることですが)同じ考えを持つ人々同士で集まることにより、そうした考えと政治的な立場の結び付きが強化されることも原因として考えられています。人々の「気候変動に対する認識」の背景にこうした価値や政治に関する要因も絡んでいることは、「気候変動のこと」だけを訴えてもなかなか考えが変わりにくいことの一つの原因であると考えられます。

三つ目の難しい理由は、一般に、人が何らかの主張に納得する際のポイントは必ずしも「知識」ではないという点です。気候変動の重要性を伝えたいと考えている人は、(相手が誰であっても)「気候変動の知識があれば、その影響の深刻さを当然認識するだろう」と考えていることが多いように思います。そのため、気候変動に関する「知識」を伝えることで、相手の認識を変えようとしがちです。しかし、科学コミュニケーションについての過去の多くの研究は、「『科学的に正しいことを伝え続ければ、相手は納得するだろう』という単純な考え方は現実的ではない」と結論付けています。実際に、気候変動のコミュニケーションにおいても、「知識の量」と「気候変動の深刻さの認識」の関係は必ずしも単純なものではなく、場合によっては「知識の量が多い」ほど「深刻さを軽く認識」しているケースもあることが知られています(注4)。また、もし「知識の豊富さ」と「深刻さの認識」に関連があったとしても、その関連は「気候変動の影響が深刻だと認識しているため、情報を能動的に得るようになり、その結果として知識が豊富になる」ということも多いと思われます。もし相手の元々の関心が低い場合には、こちらから一方的に知識を伝えても、「知識を得た結果として、深刻さを認識する」とはならないかもしれません。

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2「情に訴える日常のナラティブ」という手法

さて、ここまで三つの難しい理由を見てきました。これらの知見を踏まえて、温暖化の怖さや対策の必要性をうまく伝えるにはどうしたら良いかを考えてみましょう。おそらく一つの着地点は、「情に訴える日常のナラティブを利用する」ということになると思います。つまり、(1)「心理的に遠い問題」としないために「日常の文脈」に立脚しつつ、(2)それぞれの人が持つ「価値観や政治的立場」に配慮した「ナラティブ」を用意し、(3)「知識を伝える」ことよりも「情に訴える」ことで、「三つの難しい理由」を回避するのです。

ナラティブとは、物事についての単なる客観的な記述ではなく、その背景にある個人、あるいは共同体についての物語性や日常生活上の文脈や感情の要素なども含んだ、物事についての「主観的な語り」のことを指します。例えば、同じ「今年の3月の気温の上昇」という物事について、「今年の3月の平均気温は昨年よりも2℃高かった」は客観的な記述であり、「今年は暖かくて息子の卒業式のときにはもう桜が散ってしまっていた。私が子どもの頃はそんなことなかったのに。息子が大人になったときには一体どうなってしまうのだろう…」というのがナラティブになります。

高齢のご家族に気候変動の深刻さを伝えるという状況では「温暖化で、どんどん酷暑の日が増えているよね。熱中症で救急車に運ばれるケースも増えているんだって。熱中症にならないように気を付けてね。やっぱりこのまま温暖化が進んでいったら大変なことになるから、対策が必要だよね」といった伝え方になるかもしれません。「健康」「酷暑」は日常的な話ですし、特に「健康」は思想信条に関わらず広く価値として認められています。さらに、知識を伝えるよりも「あなたのことが心配です」と語りかけることで相手が心を開きやすくなるかもしれません。「人類の未来」や「正義・人権」といった固い言葉ではピンとこない相手でも、こうした伝え方であれば興味を持ってくれる場合もあります。気候変動のコミュニケーションに関する学術論文でも、効果的な手法の例としてこうした「情に訴える日常のナラティブ」はしばしば挙げられています(注5)。

というわけで、「温暖化の怖さや対策の必要性を伝える」には、「情に訴える日常のナラティブを利用する」のが正解です。--- と結論付けたいところですが、単純にそう結論付けるわけにもいきません。

まず、「情に訴える日常のナラティブを使いこなすのは決して簡単ではない」という問題があります。コミュニケーションにおける技術として「情に訴える」ことの有効性は広く認められていますが、「情に訴えているのがミエミエ」になると、逆に強い反感を買うこともあります。また、「日常の文脈」に近づけるコミュニケーション方法を試みた研究からは、そうした方法には実際にはあまり効果が見られない事例が多いことも報告されています(注6)。さらに、科学的な根拠がなくても「情に訴える」ことは可能です。そのため、あまりに「情に訴える」ことを重視しすぎると、科学的根拠が軽視された議論になってしまうリスクもあります。一般に、「情」をめぐる土俵の上での争いでは、科学的な根拠がある側が劣勢となることも少なくありません。

そもそも、公共的かつ長期的な問題を考える際に「情」にフォーカスすることが、社会的決定のあり方として望ましいのか、という論点も重要です(注7)。「情」を重視するあまり、間違った科学的認識の下で社会的決定が進んでいってしまったら、後で取り返しのつかない事態にもなりかねません。そして、あまり相手がピンとこないからといって「人類の未来」や「正義・人権」などの本質的価値について語るのを避けて日常的な文脈の話に終始することが、健全な民主主義社会の実現にとって適切なことなのかというとそれも悩ましいところです。

ここまで長々と述べてきましたが、結局、「こうすれば温暖化の深刻さや対策の必要性が伝わります、と言えるような定説はありません」というところに戻ってきました。現在までの気候変動のコミュニケーションに関する研究は総じて、「正しいことを伝え続ければ相手は納得するだろう」という甘い考えは現実には成り立っていないことを示してきました。ここから何らかのヒントを引き出すとしたら、いずれにせよ「伝える相手の立場や価値観に寄り添った言い方で伝えることが大事」というやや一般論的な教訓に落ち着くのかもしれません。

3長期的に「人々の認識」を変えていく

最後に、今までの話は短期的な話でしたが、長期的な話も少し考えてみましょう。一般に、人の認識や行動は、社会全体や周りの人々が持つ認識や行動からも大きな影響を受けます。そのため、長期的な視点に立つと、ある人の認識を変える方法として、「社会全体や周りの人々の認識を変える」というアプローチもありえます。そうしたアプローチの一つとしては「社会制度・政策を変える」という方法があります。必ずしも社会の総意に至っていない状況であっても、関心の高い人々や専門機関が協力して「働きかける」ことによって、社会制度・政策の方が先駆けて変化し、その変化が呼び水となって、多くの人々の意識が変わることは今までの環境問題でもしばしば生じてきたことです。

一人一人が独力でできることには限界がありますが、こうした「働きかけ」に加わったり応援したりすることによって「社会制度・政策を変える」、ひいては「人々の認識を変えていく」こともできるかもしれません(注8)。ずいぶんと遠回りの答えかもしれませんが、「温暖化の怖さや対策の必要性を伝える」には、こうした「長期的な方向のアプローチに ---気長に、短期的な状況に一喜一憂せずに--- 関わり続ける」というのも一つの「正解の形」なのかもしれません。

注1
Whitmarsh, L.; Capstick, S. Perceptions of Climate Change. In Psychology and Climate Change; Elsevier, 2018; pp 13–33. https://doi.org/10.1016/B978-0-12-813130-5.00002-3.
注2
ただし、この論点については研究者の間では異論もあり、「人々にとって気候問題は“遠い”ものではない」と主張している研究者もいます。例えばvan Valkengoedら(2023)(注6)は、過去のアンケート調査データをもとに、「実際には人々は気候変動の影響を身近に感じている」と主張しています。本稿での筆者の立場としては、アンケート調査で「気候変動の影響が既にあると認識している」ことをもって「心理的に“遠い”ものでない」と見做しているvan Valkengoedらの解釈にはやや質的な飛躍があると考えており、心理的な“遠さ”はやはりコミュニケーション上の難しさの一要因であるという立場をとっています。
注3
Hornsey et al. (2018)では、「イデオロギー」と「気候変動の認識」の関連の強さは国によりまちまちであることが示されています。その関連が最も強いのは米国であり、日本は(他の国々と比較すると)関連がやや強い方の国に含まれています。
Hornsey, M. J.; Harris, E. A.; Fielding, K. S. Relationships among Conspiratorial Beliefs, Conservatism and Climate Scepticism across Nations. Nat. Clim. Change 2018, 8 (7), 614–620. https://doi.org/10.1038/s41558-018-0157-2.
注4
Czarnek, G.; Kossowska, M.; Szwed, P. Right-Wing Ideology Reduces the Effects of Education on Climate Change Beliefs in More Developed Countries. Nat. Clim. Change 2021, 11 (1), 9–13. https://doi.org/10.1038/s41558-020-00930-6.
注5
Clayton, S.; The College of Wooster. PSICOLOGÍA Y CAMBIO CLIMÁTICO. Papeles Psicólogo - Psychol. Pap. 2019, 40 (2).https://doi.org/10.23923/pap.psicol2019.2902.
注6
Van Valkengoed, A. M.; Steg, L.; Perlaviciute, G. The Psychological Distance of Climate Change Is Overestimated. One Earth 2023, 6 (4), 362–391. https://doi.org/10.1016/j.oneear.2023.03.006.
注7
ブルームポール(2018) 反共感論―社会はいかに判断を誤るか.白揚社.
注8
こうした、専門家や一部の市民の主導によって「社会制度や政策を動かして、人々の認識を変えよう」という考え方には、「優秀な、同じ考えの人たちだけで社会を導こう」という悪しきエリート主義に陥ってしまう危険性も常にあります。そのため、こうしたアプローチをとるときこそ、いろいろな人々の立場や価値観を尊重することが重要となります。

さらにくわしく知りたい人のために

  • ジョナサン・ハイト(2014) 社会はなぜ左と右に分かれるのか―対立を超えるための道徳心理学.紀伊国屋書店.
  • 第1版:2024-08-07

第1版 林 岳彦(社会システム領域・経済・政策研究室 主幹研究員)