RESULT2021年9月号 Vol. 32 No. 6(通巻370号)

最近の研究成果 東アジアの大気汚染物質はどのように北極域に運ばれるのか?

  • 池田恒平(地球システム領域地球大気化学研究室 主任研究員)

地球平均の倍以上の速さで温暖化が進む北極域の気候変動には、二酸化炭素(CO2)などの長寿命温室効果ガスだけでなく、ブラックカーボン(BC)やメタン(CH4)、対流圏オゾン(O3)などの短寿命気候強制因子(Short-lived Climate Forcers: SLCF)も影響を及ぼします。東アジアは世界最大の大気汚染物質の発生源であり、排出された汚染物質の一部は北極域まで到達し、気候や環境に影響します。本研究ではBCと一酸化炭素(CO)に着目し、大気化学輸送モデルと衛星観測データを用いて、東アジア起源の大気汚染物質が北極域にどのような経路で、どのような気象メカニズムによって運ばれるのかを明らかにしました。

化学輸送モデル(GEOS-Chem)で計算したBCと衛星で観測されたCOのデータについて、東アジアから北極域への流入が発生するベーリング海峡周辺域における時間変動を調べました。その結果、2007~2011年に発生した東アジアから北極域への輸送イベントを11個特定しました。イベントが発生する季節は春季(3~5月)が最も頻度が高く、秋季(9~11月)、冬季(12~2月)の順に続くことがわかりました。なお、夏季のイベント発生は観測されませんでした。夏は降水量が多く、BCは雨によって大気中から除去されやすくなり、北極域まで到達しにくくなるためです。

個々のイベントについて、汚染気塊が東アジアから北極域に輸送されるまでの動きを1日ごとに調べました。その結果、東アジアから北極域への長距離輸送には、「シベリアルート」(6ケース)と「太平洋ルート」(5ケース)の2種類の輸送経路が存在することがわかりました。「シベリアルート」では、BCとCO は中国北部からオホーツク海とシベリア東部の上空を通過し、4~5日で北極域に到達します(図1)。「太平洋ルート」では、汚染気塊はアジア大陸から太平洋へ西向きに輸送され、その後太平洋上を北上しベーリング海上を通過して5~7日で北極域に運ばれます(図2)。

図1 シベリアルートのイベント6ケースで合成した東アジア起源BCの分布と気象場を示す。左列は下部対流圏(地表面から700 hPa)で高度方向に足し合わせた東アジア起源のBCカラム量(色)及び、高度850 hPaでのBC質量フラックス(矢印)とジオポテンシャル高度(等値線)。中央列は中部対流圏(400~700 hPa)でのBCカラム量及び、高度500 hPaでのBC質量フラックスとジオポテンシャル高度。右列は海面気圧(等値線)と降水量(色)を示す。「低」は低気圧の中心位置を表す。
 

それぞれの輸送経路のイベントが発生する際の気象場(風の流れや高・低気圧の配置)の特徴についても調べました。「シベリアルート」のイベントでは、東シベリアからオホーツク海へ通過する似た経路の低気圧が見られ、低気圧周辺の風が北極域への輸送に重要な役割を果たしていました(図1)。「太平洋ルート」のイベントが起こる際は、いずれのケースもベーリング海上に高気圧が停滞しており、それによって偏西風が大きく蛇行していることが特徴です(図2)。この高気圧の西側で吹く極向きの風が、東アジアの大気汚染物質の北極域への輸送を引き起こすことがわかりました。

図2 太平洋ルートのイベント5ケースで合成した東アジア起源BCの分布と気象場を示す。左列は下部対流圏(地表面から700 hPa)で高度方向に足し合わせた東アジア起源のBCカラム量(色)及び、高度850 hPaでのBC質量フラックス(矢印)とジオポテンシャル高度(等値線)。中央列は中部対流圏(400~700 hPa)でのBCカラム量及び、高度500 hPaでのBC質量フラックスとジオポテンシャル高度。右列は海面気圧(等値線)と降水量(色)を示す。「高」は高気圧の中心位置を表す。

BCをはじめとするSLCFが北極域の気候変動や環境に及ぼす影響を評価するためには、大気化学輸送モデルや気候モデルで時空間変動を適切に再現する必要があります。モデルの改良には、東アジアを含む中緯度から北極域への輸送プロセスの理解を深めていくことが重要です。本研究で得られた東アジアから北極域への輸送経路や気象条件に関する知見は、航空機などを用いた今後の観測計画にも重要な情報となると考えられます。また、将来の気候変動によってアジアから北極域への輸送過程がどのように変化するのかを調べることも今後の課題です。