気候変動問題を政治的優先課題に —日本の温室効果ガス削減目標据え置きから見えてくること—
2020年3月30日、日本政府は地球温暖化対策推進本部により「日本のNDC(国が決定する貢献)」を決定し、31日、国連に提出しました(提出の背景については、(参考)NDC提出の背景を参照)。「国が決定する貢献(Nationally Determined Contribution: NDC)」のポイントの一つは、2030年度26%削減(2013年度比)を確実に達成するとともに、その水準にとどまることなく中長期にわたりさらなる削減を追求するというものです。削減努力追求の方針を表明したものの削減目標の数値が2015年7月に国連に提出した約束草案(Intended Nationally Determined Contribution: INDC)のまま据え置かれたことについては、いくつか理由があります。そこで、地球環境研究センター副センター長の江守正多が、今回のNDCについて、その背景を含めて解説します。
1. タイミングの問題
まず、行政手続きとして、今のタイミングだとさらに踏み込んだ数字を出せないのです。2015年7月に国連に提出した INDCにある2030年度までに26%削減は、「エネルギー基本計画」で何の電源を何%にするなど具体的な積み上げによって出された目標です。この数字を変えるには、検討をすべてやり直さなければなりません。新しいエネルギー基本計画は2021年頃に取りまとめられる予定ですし、2016年5月に閣議決定された環境省の地球温暖化対策計画は、NDC提出を契機に見直しに着手し、その後、追加情報を国連に提出する予定です。そういう議論を経てから新しい数字が決まるので、現時点では従来と同じ数字しか出せません。
また、2019年6月に行われた大阪のG20サミットに先だち、「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」が閣議決定されました。長期戦略に書かれているさまざまな対策をエネルギー基本計画や地球温暖化対策計画のなかで施策として検討すればもっと削減できるめどは立ちますが、長期戦略が閣議決定されてからまだ1年に満たないため、その先の具体的な議論が進んでいないのです。
しかし、そもそも2020年にNDCを提出することはわかっていたのに前倒しで検討できなかったことは、気候変動問題の政治的な優先順位が十分高くないからだといえると思います。削減目標の据え置き自体よりそのことのほうが根本的な問題です。
2. 削減目標達成の可能性
別の観点から考えてみます。26%削減の達成可能性を自分なりの理解で説明します。エネルギー基本計画の内容は、原子力発電所の再稼働によって電力の20〜22%を賄う計画になっていますが、新規制基準への適合や地元同意といった条件をクリアしなければならず、現状ではその数字にはとても届きません。これは目標達成を危うくする要因の一つになります。一方、電源の22〜24%を賄う計画になっている再生可能エネルギー(以下、再エネ)は、計画を上回って普及するでしょう。さらに、計画時に想定していたほど経済成長はおきないのでエネルギー需要が伸びず、目標を達成しやすくなります。ここには今年の新型コロナウィルスの影響も入ってきますが、それは最後に述べます。
これらを相殺した具体的な数字は僕にはわかりませんが、行政やエネルギー関係者は、原子力発電所の再稼働が予定より進んでいないことから26%削減を達成できる見通しがたたず、削減目標を上積みするのは難しいという考えになっていると想像します。
3. 「できるか」と「すべきか」
一方で、何%削減できるかではなく、何%削減するべきかという科学的な議論があります。パリ協定では地球の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて2°Cより十分低く、できれば1.5°C未満を目指すことになっています。2018年10月に公表されたIPCCの1.5°C特別報告書によると、1.5°Cで止めるためには世界の二酸化炭素(CO2)排出量を2050年前後にゼロにする必要があります。そのためには、世界は2030年までに2010年水準から約45%削減しなければなりません。CO2をより大量に排出している先進国は途上国より早くに排出削減しないと途上国も合わせて世界で半分近くになりませんから、先進国は2030年に60%とかそれ以上削減しなければならないということになるはずです。今の常識では現実的な議論とはみなされないかもしれませんが、これが本来求められる目標なのであり、私たちはこの数値を目指し続けなければなりません。
EUは2015年3月に提出したINDCで、2030年に40%削減(1990年比)としており、最近はこれを50から55%に引き上げる検討をすると言っています。日本に比べれば大きな数字ですが、それでも気候変動対策を求める若者のグループは足りないと訴えています。それは科学的に必要な削減量を基準に考えているからです。アメリカの大統領選挙において、民主党の候補者は気候変動対策を重視しており、争点の一つになっていました。善戦したサンダース氏は、遅くとも2030年には電力システムと交通セクターを100%再生可能エネルギーにし、その他セクターも2050年までには化石燃料依存から脱却するという大胆な気候変動対策を提案していました。世界ではそういった議論が真剣に行われています。大幅な排出削減は今の社会経済システムを前提にして頑張って達成するものではなく、資本主義のシステムが根本から変わるくらいのレベルで取り組むものだという議論があることを認識すべきです。
4. 新型コロナウィルスとの関係は?
ところで、今多くの人が気になっているのが新型コロナウィルス感染による影響ではないでしょうか。感染拡大防止で世界中の経済活動が縮小し、それにともないCO2や大気汚染物質の排出も減っています。しかし、多くの専門家の解説によれば、それは一時的な現象だろうということです。2008年のリーマンショックのときのように、危機が過ぎれば経済はV字回復しようとして排出のペースが元に戻ると予想されます。
ただし、コロナ感染拡大対策のなかで気候変動対策のメリットになるものがあります。現在一気に進んでいるテレワークやオンライン会議などの普及です。コロナ対応が終わったら対面での会議など元に戻る部分もあると思いますが、オンラインコミュニケーションが進展し定着することによって、人の移動の需要が減り、それによってCO2排出削減にもなっていけば削減目標を上積みする原動力の一つになるでしょう。
コロナ危機の関連で注意すべき点がこのほかにもあります。一つは、コロナ危機対応により、脱炭素化に必要な経済活動も鈍化していることです。たとえば再エネのプロジェクトなどに対する投資が少なくなっています。コロナ終息後の景気刺激策で、加速的に脱炭素化の投資が進むようにすることが望まれます。
もう一つは、気候変動の非常事態の意味を考えなければいけないということです。日本でも「気候非常事態」を宣言する自治体が出てきました。しかし、この気候非常事態の意味は、コロナ危機における「緊急事態宣言」のように活動を自粛して我慢することではないと思います。気候非常事態は、政策決定において気候変動問題の優先順位を上げることだと思っています。たとえば、石炭火力発電所の新設計画ですでに投資を始めてしまっていたとき、気候変動が非常事態ではないという認識ならば、そこで止めたら投資したお金が無駄になってしまうから進めてくださいという判断になると思います。それが、現在、日本で起こっていることです。ところが、非常事態であるという認識なら、政府が損失を補償してでも新規の建設を差し止めるという判断がなされてもおかしくないでしょう。そんなふうに考えていけば日本の排出削減目標はもっと上積みできるはずです。2050年までに世界のCO2排出量をゼロにしなければならないのですが、2050年までにはまだ30年あります。その30年の間に新しい火力発電所を建てないことが非常に重要です。古い火力発電所を廃止したときに火力を新設しないでその分再エネの電源を増やしていくことができれば、最終的には再エネ100%になるはずですから。