2020年4月号 [Vol.31 No.1] 通巻第352号 202004_352003

計算で挑む環境研究—シミュレーションが広げる可能性 6 スーパーコンピュータが切り開いた閉鎖性海域の水環境・生態系の高解像度長期予測

  • 地域環境研究センター 海洋環境研究室 主任研究員 東博紀

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現在、コンピュータシミュレーションは環境研究を支える重要な研究方法となっています。天気予報や災害の予測など、私たちの日常生活と深く関係していることもあります。

シミュレーション研究の内容は多岐にわたり、日々進歩しています。このシリーズでは、環境研究におけるシミュレーション研究の多様性や重要性を紹介いたします。

1. 海を取り巻く環境問題

海には20万種を超える多くの生物が棲んでいますが、陸上で生活する私たち人間も海が有する機能や資源などを利活用し、多大な恩恵やサービスを授かりながら生活をしています。しかし、海では次々と新たな環境問題が浮上しています。重金属汚染による健康被害や赤潮・貧酸素水塊などの富栄養化問題に加え、近年では生物資源の減少、放射性物質、海底鉱物資源開発、海洋ごみ、マイクロプラスチック、気候変動(水温上昇、海面上昇、海洋酸性化など)など枚挙にいとまがありません。世界的スケールでみると近年の海の状況はあまり芳しくないと報告され、持続可能な開発目標SDGs(Sustainable Development Goals)においても「海の豊かさを守ろう」が17の目標のうちのひとつに掲げられるほど、海洋と海洋資源の持続可能な開発・保全・利用は世界で取り組むべき喫緊の課題になっています。

海の環境問題で真っ先に挙げられるのは汚染です。その内容や深刻度、問題を起こす汚濁負荷物質は実に様々ですが、原因が陸域の人間活動にある点が共通しています。そしてそれが生物や生態系に影響を及ぼし、生物生産性や生物多様性の劣化へと繋がっていきます。とくに湾や内海のように陸地に周囲を囲まれた閉鎖性海域は、汚濁負荷物質が溜まりやすく、陸域の影響を受けやすいため、水質悪化や生態系破壊が起こりやすいといえます。わが国では東京湾、伊勢・三河湾、大阪湾・瀬戸内海が代表的な閉鎖性海域です。これらの海域では、高度経済成長期に産業排水が原因で著しく水質が悪化したことは皆さんご存知かと思います。その後、排水基準の設定・強化や総量削減など長年にわたる取組みが進められた結果、水質は改善傾向が見られるものの、依然として赤潮・貧酸素水塊が毎年のように発生し、生物生産性や生物多様性に回復の兆しが見られないなど、「豊かさ」の確保に向けた課題や取組みは現在も続いています。

2. 閉鎖性海域の環境予測が難しいわけ

陸域からの流出に対して海域の環境や生態系はどのような影響を受けるのか? 私は2006年に国立環境研究所に採用されて以降、一貫してそれを評価し、予測するための海域流動・水質・底質シミュレーションモデルの開発に取り組んできました。正確な評価と予測ができれば、「豊かな海の確保に向けてどのような対策をすればよいのか?」「陸域からの流出をどれだけ抑制・管理すればよいのか?」などについて、シミュレーションで具体的な施策や数値目標を検討することが可能になるからです。

これまで私が中心的に取り組んできた海の環境問題は、上記の国内三大閉鎖性海域で長年テーマになっている富栄養化です。閉鎖性海域の富栄養化問題は、陸域の人間活動で排出された栄養塩(窒素・リンなど)が海域に過剰に流入することで生じます。海域に流入した栄養塩は植物プランクトンに取り込まれ、光合成や増殖に利用されます。栄養塩の過剰な流入は、植物プランクトンの異常増殖、すなわち赤潮の発生に繋がります。植物プランクトンの異常増殖は光合成によって有機物が大量に生産されたことを意味しますが、その一部は高次生物の餌として捕食・蓄積されるものの、大半は海底に沈降・堆積して、やがて微生物に分解されます。その分解過程において海水中の酸素が使用されるため、それが大量となると、生物の生息に必要な酸素が著しく欠乏した水、すなわち貧酸素水塊が発生することになります。この貧酸素水塊が生物の大量死、生態系の破壊を招く主要な原因となっています。

閉鎖性海域の水質や底質を対象としたモデルの開発およびシミュレーションは、上記のプロセス一つ一つに数式を与えて連立方程式を構築し、その解法をプログラミングしてコンピュータで計算することになります。上記のプロセスだけでも、生物が絡んでいるために的確なモデル化は結構複雑なのですが、最も大事な点は、これらすべてのプロセスが海水の流れに則した輸送や拡散を伴っているということです。したがって、閉鎖性海域の水質や底質を予測するためには3次元の流れの情報が必要ということになりますが、閉鎖性海域全体をカバーした密な時空間観測データという理想的なものは当然なく、現状では海水の流れもモデルシミュレーションに頼らざるを得ない状況です。

では、閉鎖性海域の流動シミュレーションはどうなのか? 水質や底質の予測では基本的に長期間、短くても数ヶ月を対象とすることが多いため、こちらもそう簡単にはいきません。閉鎖性海域は、大気、陸、海洋すべての境界に位置し、それぞれの影響が重なる複雑な場となっています(図1(a))。川のように水の流れる方向が常に同じということはなく、潮汐や海上の気象、河川からの出水、時期と場所によっては黒潮の蛇行などの地球規模の気候にも流動は左右されます。瀬戸内海はまだしも、東京湾や伊勢・三河湾は日本スケールで見てもとても狭い空間なのですが、流動シミュレーションは地球規模の環境変動の影響も考慮しなければなりません。そのため、モデルに与える外力データについても、海上の気象場(風、気温、湿度、熱放射量、気圧、降水量)、河川の流量、湾口・外洋の海象場(潮位、潮流・海流、水温、塩分)と多岐にわたり、これらを計算期間分だけ揃える必要があります。さらに水質や底質の予測に必要な汚濁負荷物質の流出・流入量も加わってきます。これだけ膨大な入力データを必要とする点は閉鎖性海域シミュレーションの大きな特徴といえますが、モデルのみならず入力データの誤差や不確実性も相当含まれてしまうことは避けられず、閉鎖性海域の環境の正確な予測を難しくしている主な理由の1つになっています。

図1 閉鎖性海域への気候変動影響プロセスと瀬戸内海の水質シミュレーション例 (a)閉鎖性海域への気候変動影響プロセス、(b)解析対象の瀬戸内海とその集水域、(c)全窒素(mg/L)の分布の予測例、(d)植物プランクトン(µg-Chl. a/L)の分布の予測例

3. 閉鎖性海域の環境予測へのスーパーコンピュータの貢献

閉鎖性海域では、「なるべく空間は細かく、できるだけ時間は長く」といった予測情報が求められますが、その分計算時間と出力データ量が顕著に増えるため、CPUの計算時間やメモリ・ハードディスクの保存容量などの計算機の性能が制約になってきます。しかし、スーパーコンピュータ(以下、スパコン)の発展によってその制約は大幅に緩和され、シミュレーションが可能な空間分解能や予測期間は著しく向上しました。これまで必要だと分かっていても出来なかったこと、例えば、黒潮の蛇行の影響を見るために外洋にも領域を拡げて長期計算を行うといったことも可能になりました。

スパコンの発展は、シミュレーションの規模や計算速度だけでなく、入力データの量や質の向上にも貢献しています。上述したように、流動シミュレーションには海上の気象場と外洋の海象場についての情報が必要です。私が研究を始めた頃は、気象は気象台やアメダス、外洋は公共用水域や浅海定線調査など、限られた数点の観測値を時空間で内挿・外挿して入力データを作成していましたが、欠測処理や補間の工夫に時間と労力を費やした割には精度の限界がどうしてもありました。現在では、閉鎖性海域のシミュレーションにも十分耐えうる、スパコンで計算された高解像度の気象や海洋の再解析データが広く普及し、客観的にも均質で長期間のデータを比較的容易にモデルに与えることが可能となっています(当初の苦労はいったい何だったのか?という気持ちです)。

閉鎖性海域のシミュレーションは飛躍的に進歩し、かつては理論と観測に基づいてモデルが構築されるといった流れが主でしたが、現在ではシミュレーションが先行して新たな現象を捉え、観測で実証されて理論が構築されるといったことも珍しくありません(内山, 2018)。その一方で、より一層際立ってきた課題もあります。陸域からの汚濁負荷物質の流入です。海上の気象と外洋の海象といった自然現象の入力データの正確性が高まる中、閉鎖性海域にとって重要な入力データである陸域からの汚濁負荷流入量は、人間活動による影響が大きいため、いまだ不確実な点が多く残されています。汚濁負荷流入量の入力データは工場や事業所などの施設排水等の実測値や統計値を積み上げて作成されますが、集水域全体となると排出源は膨大な数となります。そこには誤差が含まれますし、すべての排出源をカバーできているわけでもありません。川や海、道路の排水溝などに皆さんが飲みきれずに捨てたドリンクも当然カウントされていません。1人だけなら無視できる量かもしれませんが、1万人(東京湾の集水域人口のたった0.03%です)が同じことをしたら……。このような数式では表せられない、統計にも上がってこない人間活動が数値シミュレーションの不確実性の要因になり、閉鎖性海域の環境負荷にもなっているのです。

現在、私は国内最大の閉鎖性海域である瀬戸内海を対象に気候変動の影響予測シミュレーションを進めています(図1)。瀬戸内海と南方の黒潮海域を含む東西550km、南北350kmの計算領域を1km格子で分割し、複数の気候シナリオをそれぞれ20年間計算するといった大仕事です。気候変動によって雨の降り方が変わるということなので、陸域からの淡水や汚濁負荷流出を予測するモデルも新たに作りました。現在のスパコンでも1つの気候シナリオの計算に20日間ほどの時間を要しますが、10年前ではとても出来なかったことなので、最終的な結果がどうなるかを大変楽しみにしています。ひょっとしたら閉鎖性海域の水質改善や環境再生がなかなか進まなかった理由が見えてくるかもしれません。

4. シミュレーションモデルの自作

私の研究は流動モデルから始まりましたが、研究に着手した頃にはすでに気象や気候予測の分野を中心に多数の流動モデルが世の中に存在しました。関連する多くの論文やモデルのマニュアルを読み漁り、大変勉強になりましたが、これから開発する水質や底質モデルを組込むには流動モデルのプログラムを細部まで理解する必要があったため、効率性を考えた末に流動モデルを自作することにしました。もちろんスパコンを使うためのプログラムの並列化も含めてです。また、モデル構築のアイデアやモデルの確からしさを検証するデータを取るために、何回も船舶を使った現地調査に行きました(国立環境研究所ニュース33巻5号)。モデルの自作は、それなりの形にするだけでもかなりの時間と労力を要し、研究成果が出るのも遅くなるため、近年は避けられがちですが、自作の良いところはモデルの理解の深化、長所・短所の完全把握に加え、「新しくこれがしたい」と思ったときにすぐに応用が利くことです。とくに最後の点は、冒頭で述べた「海では次々と新たな環境問題が浮上」への対応に活かされ、私の研究生活においても福島第一原子力発電所事故で海洋に漏出した放射性物質の動態予測(図2)(Higashiほか, 2015)や、深海の海底鉱物資源開発を想定した影響評価(東ほか, 2017)などの研究に役立っています。これから数値シミュレーション研究に取り組もうと考えられておられる方は是非一度自作にトライして頂きたいと思います。

図2 2011年3月の福島第一原子力発電所事故で漏出した放射性セシウム137の海洋拡散・海底堆積のシミュレーション例(Higashiほか2015より) (a)海洋拡散(2011年4月)、(b)海底堆積(2011年12月)

参考文献

  • 内山雄介 (2018) 海洋環境シミュレーション技術の最先端, 土木学会誌, 103(11), 46-47.
  • 東博紀, 佐藤嘉展, 吉成浩志, 牧秀明, 越川海, 金谷弦, 内山雄介 (2018) 瀬戸内海における中小河川からの淡水流入量と流動シミュレーションの再現性への影響, 土木学会論文集B2(海岸工学), 74(2), I_1135-I_1140.
  • Higashi H., Morino Y., Furuichi N., Ohara T. (2015) Ocean dynamic processes causing spatially heterogeneous distribution of sedimentary caesium-137 massively released from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. Biogeosciences, 12, 7107-7128.
  • 東博紀, 古島靖夫, 古市尚基, 福原達雄 (2017) 相模灘の深海底乱流を対象とした現場観測と鉛直混合スキームの性能評価, 土木学会論文集B2(海岸工学), 73(2), I_79-I_84.

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