RESULT2021年8月号 Vol. 32 No. 5(通巻369号)

最近の研究成果 雲粒・エアロゾル中のヒドロペルオキシドの「運命」 エアロゾルから溶出する過酸化水素が有害性を引き起こす可能性

  • 江波進一(地球システム領域地球大気化学研究室 主幹研究員)

読者のみなさんにとって、「ヒドロペルオキシド」という化合物の名前は耳慣れないものかもしれませんが、近年、地球温暖化やヒトの健康に影響を与える重要な物質だと考えられるようになってきています。大気中に放出されるトルエンやピネンなどの揮発性有機化合物は、気相中*1で酸化され、その一部はヒドロペルオキシド*2と呼ばれる化合物に変換されます(図1)。

ヒドロペルオキシドは水に溶けやすい性質を持つため、気相に生成したヒドロペルオキシドはすぐに雲粒やエアロゾルなどの大気の凝縮相に取り込まれます。ヒドロペルオキシドは不安定な化合物であるため、雲粒・エアロゾル中で、別の化合物に変化していると考えられてきました。しかし、ヒドロペルオキシドが雲粒・エアロゾルの液中でどれくらいの速さで、何に変化しているのかに関しては、わかっていませんでした。ヒドロペルオキシドの液中での「運命」を解明することは、雲粒・エアロゾルの変質過程を理解する上で極めて重要です。

図1 植物の精油に含まれるα-ピネンのオゾン酸化で発生するヒドロペルオキシドの例。大気の凝縮相に取り込まれた後の運命はこれまでわかっていなかった。
図1 植物の精油に含まれるα-ピネンのオゾン酸化で発生するヒドロペルオキシドの例。大気の凝縮相に取り込まれた後の運命はこれまでわかっていなかった。

最新の研究によって、これまで不明であった様々なヒドロペルオキシドの雲粒・エアロゾル中の反応過程が明らかになってきました。我々のグループは、質量分析法を応用した独自の手法を用いてヒドロペルオキシドを直接検出することに成功しました。*3 大気中の代表的な揮発性有機化合物であるテルペン類(植物の精油成分から得られる化学物質)*4とオゾンの反応によって生成するヒドロペルオキシドの水溶液中での反応過程を研究しました。その結果、ヒドロペルオキシドはアルコールの一種と過酸化水素に変化し、その寿命は周りの環境(水分量、pH、温度)に大きく依存することが初めて明らかになりました。

特に、ヒドロペルオキシドの液中での寿命は、酸性になるほど(pHが低いほど)急激に短くなることが明らかになりました。例えば、テルペン類の一種であるα-テルピネオールのオゾン酸化で発生するヒドロペルオキシドの水中における寿命はpH=6では2時間であるのに対して、pH=3ではわずか1分になります(図2)。実際の大気中のエアロゾルのpHは2以下であるケースが多く*5、その場合、ヒドロペルオキシドの寿命は数秒以下ということになります。この結果から、大気の凝縮相に取り込まれたヒドロペルオキシドの大部分は、瞬時にアルコールの一種と過酸化水素に変換されていることが示唆されます。

図2 テルペン類の一種であるα-テルピネオールのオゾン酸化で発生するヒドロペルオキシドの水中における寿命とpHの関係。ヒドロペルオキシドの寿命が酸の種類によらずpHに依存することから、H<sup>+</sup>が触媒として働き、ヒドロペルオキシドの分解が促進されると考えられる。
図2 テルペン類の一種であるα-テルピネオールのオゾン酸化で発生するヒドロペルオキシドの水中における寿命とpHの関係。ヒドロペルオキシドの寿命が酸の種類によらずpHに依存することから、H+が触媒として働き、ヒドロペルオキシドの分解が促進されると考えられる。

さらに、ヒドロペルオキシドから発生するアルコールの一種は、液中で反応し、安定な環状エーテルなどに変換されていることが明らかになりました。環状エーテルなどの生成物は親水性が高いため、雲粒・エアロゾルの成長に寄与している可能性があります。また、ヒドロペルオキシドから発生する過酸化水素は、雲粒・エアロゾルのさらなる酸化反応を引き起こすことが予想されます。特に、金属イオンが存在すると、他の有機化合物の酸化を促進し、雲粒・エアロゾルの成長に寄与する可能性があります。

最後に、本研究成果はエアロゾルの健康影響に関しても重要な知見を与えてくれます。本結果から、ヒドロペルオキシドの分解によってエアロゾル中に過酸化水素が蓄積していくことがわかりました。過酸化水素は水に非常に溶けやすい性質をもつため、そのようなエアロゾルをヒトが吸引したとき、肺の上皮被覆液に容易に溶出し、主要な抗酸化物質を酸化してしまうことが予想されます。エアロゾルから溶け出る過酸化水素がエアロゾルの有害性の原因の一つかもしれません。今後、さらなる研究を進めていきます。