SEMINAR2021年8月号 Vol. 32 No. 5(通巻369号)

日本の脱炭素化を考えるための世界の科学者からの、気候変動10の最新メッセージ

  • 地球環境研究センター研究推進係

標記イベントが国立環境研究所(NIES)、公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)、グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)、フューチャー・アース日本ハブの共催で6月9日にオンラインで開催されました。当日は、400名以上の参加がありました。

イベントでは、国際研究プロジェクトであるGCPつくば国際オフィスから最新の温室効果ガス収支について紹介がありました(図1)。また、フューチャー・アース(FE)からは、気候変動に関する重要な科学的知見のエッセンスをまとめた報告書「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」(“10 New Insights in Climate Science 2020*1”の和訳)が紹介されました。本イベントは、この日本語訳の公開を記念して行われました。

図1 GCPが発表した3つの温室効果ガス収支推定に関する論文(2020)。左からメタン(CH4)、一酸化二窒素(N2O)、二酸化炭素(CO2)。[白井知子 グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)の活動と 2020 年に発表した温室効果ガス収支報告の紹介]
図1 GCPが発表した3つの温室効果ガス収支推定に関する論文(2020)。左からメタン(CH4)、一酸化二窒素(N2O)、二酸化炭素(CO2)。[白井知子 グローバル・カーボン・プロジェクト(GCP)の活動と 2020 年に発表した温室効果ガス収支報告の紹介]
GCPが発表した3つの温室効果ガス収支推定については、NIESから報道発表されています。
 CH4https://www.nies.go.jp/whatsnew/20200806/20200806.html
 N2O:https://www.nies.go.jp/whatsnew/20201005/20201005.html
 CO2https://www.nies.go.jp/whatsnew/20201211/20201211.html

次に、GCPに参画する研究者をはじめとする5名の講演者が、気候変動の今とこれから、そして、日本の脱炭素化について「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ 2020」と関連づけながら話しました。講演の後は江守正多地球システム領域副領域長がモデレータを務め、脱炭素実現に向けて何が大切か、という論点でパネルディスカッションを行いました。途切れることのないオンライン参加者からの質問も次々に取り上げ、盛会のうちにイベントはお開きになりました。

本稿ではこれらの講演概要を紹介いたします。なおこのイベントは、NIES公式Youtubeチャンネルからご視聴いただくことが可能です(https://www.youtube.com/watch?v=y2aLWP87xVQ)。

気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020

  1. パリ協定達成のためには、野心的な排出削減が必要なことが、モデルの改良によって強調された
  2. 融解する永久凍土からの排出量が、これまでの予想よりも多くなるおそれがある
  3. 森林伐採が熱帯の炭素吸収源劣化させている
  4. 気候変動は水の危機著しく悪化させる
  5. 気候変動はメンタルヘルス著しく影響を与える
  6. 政府はCOVID-19からのグリーンリカバリーの機会を活かせていない
  7. COVID-19気候変動は、新しい社会契約が必要なことを証明した
  8. 成長に焦点を当てた景気刺激策は、パリ協定を危機に陥れる
  9. 公正で持続可能な社会への転換には、都市の電化極めて重要である
  10. 気候訴訟人権擁護のための重要な気候行動である
目次

1. 2050年カーボンニュートラルに向けた日本の気候変動対策

和田憲拓(環境省脱炭素社会移行推進室 室長補佐(所属はイベント時のもの))

気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」の関連分野:6, 7

2050年カーボンニュートラルに向けた検討状況について紹介します。

(1)日本が掲げる中長期目標

2020年10月、菅義偉総理は「2050年までに温室効果ガス排出量を全体としてゼロにする」と宣言しました。2021年4月には、「2030年度に向けた温室効果ガス削減目標について、2013年度から46%削減を目指す、さらに50%の高みに向けて挑戦を続けていく」との表明がありました。こうした中長期目標を踏まえて、これを実行に移すための計画である地球温暖化対策計画、長期戦略、エネルギー基本計画の見直しや検討が進められています(図2)。

図2 我が国の温室効果ガス削減の中期目標と長期目標の推移。2050年カーボンニュートラル目標と整合的で、野心的な目標として、2030年度に、温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指し、さらに、50%の高みに向けて、挑戦する。[和田憲拓 2050年カーボンニュートラルに向けた日本の気候変動対策]
図2 我が国の温室効果ガス削減の中期目標と長期目標の推移。2050年カーボンニュートラル目標と整合的で、野心的な目標として、2030年度に、温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指し、さらに、50%の高みに向けて、挑戦する。[和田憲拓 2050年カーボンニュートラルに向けた日本の気候変動対策]

(2)検討体制

現在、日本政府内で検討しているのは、地球温暖化対策・エネルギー政策の見直しと、成長の原動力となるグリーン社会の実現の2つです。

まず、ご紹介するのは、地球温暖化対策推進法の改正で、ポイントは3つあります。①長期的な方向性を法律に位置づけ脱炭素に向けた取組・投資を促進する。②地方創生につながる再エネ導入を促進する。③ESG投資にもつながる企業の排出量情報のオープンデータ化。

そして、地球温暖化対策計画の見直しと並行して、2020年10月から総合エネルギー調査会において見直しが進められている次期エネルギー基本計画においては、エネルギー分野を中心とした2050年カーボンニュートラルに向けた道筋を示し、取り組むべき施策を示すことになっています。

グリーン社会の実現に向けた検討をご紹介します。まず、グリーン成長戦略では、グリーン社会の実現について成長が見込まれる重要分野における革新的技術の研究開発、社会実装の推進、企業の取り組みを後押しするための政策の実行などを定めています。

そのほか、環境省が事務局を務めて官邸で開催されている国・地方脱炭素実現会議において、会議では2050年カーボンニュートラルの実現に向けて、特に地域の取り組みと国民のライフスタイルに関わる分野を中心に、国と地方による具体的な方策について地域脱炭素ロードマップを提示するべく、検討が進められています。ロードマップでは、適応可能な最新技術をフル活用し、2030年までに全国でできるだけ多くの脱炭素ドミノ(意欲と実現可能性の高い地域から全国に、脱炭素の取り組みを広げる)を実現するとともに、2030年以降は開発された革新的技術も積極的に活用しながら脱炭素かつ持続可能な地域社会を実現するというゴールを設定しています(図3)。

図3 地域脱炭素ロードマップのイメージ。2025年までに適用可能な最新技術でできる重点技術を実施し、先行モデルケースをつくって、2030年からドミノを全国的に実施することが検討されています。[和田憲拓 2050年カーボンニュートラルに向けた日本の気候変動対策]
図3 地域脱炭素ロードマップのイメージ。2025年までに適用可能な最新技術でできる重点技術を実施し、先行モデルケースをつくって、2030年からドミノを全国的に実施することが検討されています。[和田憲拓 2050年カーボンニュートラルに向けた日本の気候変動対策]

(3)地球温暖化対策計画・長期戦略の見直し

今後のわが国の気候変動対策について、中央環境審議会・産業構造審議会の合同会合において審議を進めています。2050年カーボンニュートラルの実現については、この10年で勝負が決まるということを念頭に置き、中長期戦略であらゆる対策・施策を行うべく、わが国の産業構造や経済社会を変革するビジョンを示すことが重要と考えています。

長期戦略については、エネルギー分野における2050年までの道筋や、国民・生活者目線に立ち、地域の脱炭素化を踏まえてどのように長期戦略を見直すべきかが論点となっています。

新しい地球温暖化対策計画のポイントは、「第1章 地球温暖化対策の推進に関する基本的方向」におけるグリーン復興の項目を追加、「第2章 温室効果ガスの排出削減・吸収の量に関する目標」での目標の更新、「第3章 目標達成のための対策・施策」における従来の部門別、ガス別の対策・施策の大幅強化、公的機関の取り組み率先、脱炭素型ライフスタイルへの転換の明記などです。また、地域脱炭素ロードマップを新たな項目として追加する議論を行っています。

2. 2050年に日本で脱炭素社会を実現するために

増井利彦(NIES社会システム領域 脱炭素対策評価研究室長)

「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」の関連分野:1, 6, 8

世界各国が2050年脱炭素を宣言していますが、まだまだヨーロッパ中心で、途上国、特にアジアの国々では具体的な計画が進んでいないのが実情です。私が所属する社会システム領域では、アジア太平洋統合評価モデル(AIM)を使って、温室効果ガスの排出削減についてシミュレーションを行っています。日本だけでなく、タイ、インドネシア、ベトナム、マレーシア等のアジアの国々における2050年の長期戦略等にも現地の研究者との共同研究で貢献しています。

本日は、日本における2050年の温室効果ガス排出量の実質ゼロを目指したシナリオ分析について紹介します。

現在、以下の3つのシナリオで温室効果ガスの排出量の推計を検討しています。①2050年脱炭素社会に向けた社会変容シナリオ(LED):社会や就業スタイル、物質の消費・循環構造などの変化によって、少ないエネルギー・物質でも高い便益・効用が得られる社会への変容を目指すもの。②2050年電化シナリオ(ELE):再エネ発電の大量導入、電化が難しい領域(産業高温域、貨物輸送、都市ガス供給)の徹底した電化を推進するもの。③2050年新燃料シナリオ(H2):再エネ発電の大量導入による水素生産、水素とカーボンリサイクル(CCU)から生産される合成燃料、これらの新燃料を電化が難しい領域に活用するもの。

これら3つのシナリオを単独で行ってもゼロ排出の達成は難しいので、新たに2050年ネットゼロ排出シナリオ(Zero)を設定しました。これは、社会変容、電化・新燃料の導入促進などすべての対策を組み合わせて、CO2回収対象の拡大、ネガティブエミッション技術の導入・拡大により脱炭素社会を実現するものです。また、2030年NDC準拠シナリオ(NDC):2030年26%削減目標(2015年7月に日本政府が国連に提出した削減目標)を実現する対策技術の結果もあわせて示しています。

LED、ELE、H2を組み合わせたZeroシナリオを検討した結果、エネルギー起源CO2以外の温室効果ガスを中心に、現状比で1割程度の排出量が残存します。それを相殺するためには、ネガティブエミッション技術(森林吸収、バイオマスエネルギー炭素回収貯留など)の導入が必要となります。

2050年、最終エネルギー消費量は2018年比4割程度の削減が必要です。どのシナリオも電力消費量が増加し、最終消費部門における電力需要量は、仮にELEやH2に頼ろうとすると非常に大きくなります(図4)。

図4 エネルギー種別最終エネルギー消費量(左)と部門別電力使用量(右)
図4 エネルギー種別最終エネルギー消費量(左)と部門別電力使用量(右)
2050年には最終エネルギー消費量は2018年比22~41%削減。エネルギー種別では、化石燃料の消費量、特に石油製品の消費量が大幅に減少。電力や合成燃料が大きな割合を占めている。ELEでは電力の割合が55%、H2では合成燃料・水素等のシェアが35%となっている。 どのシナリオにおいても電力消費量が増加。ELEシナリオでは、産業、業務他、家庭、運輸の全ての最終消費部門において電力需要量が他のシナリオよりも大きくなっている。また、H2シナリオは水素や合成燃料の製造のための電力需要量が大きく、他の4つの最終部門における需要量の合計に匹敵する量となっている。[増井利彦 2050年に日本で脱炭素社会を実現するために]

発電電力量について、環境省が示している経済性を考慮した再エネの導入可能量は、Zeroシナリオにおける総発電電力量を上回っていますので、再エネ中心の社会に移行してもエネルギーが足りないということはありません。

こうした分析結果から、以下のことがわかりました。①脱炭素社会に向けた社会変容は、満足度を低下させるのではなく、エネルギーを必要とするサービスに頼らずに同様の満足を得るようにすることで、そのためにどうしたらいいかを考えること。➁電化と再生可能エネルギーのポテンシャルを最大限活用すること。➂現状の脱炭素技術を早期に最大限導入すること。そうした上で、④新技術開発・導入を加速化することです。

では、脱炭素社会に向けてわれわれはどう取り組めばいいのか、私自身の考えを紹介します。まず、2050年という長期目標に向けてバックキャストの視点でシナリオを作成し、今何ができるかを考えること。また、長期的な利益を考えること。省エネは短期的にはコストがかかるかもしれませんが、長期的には経済的な便益をもたらします。そのためにも、無理がなく賢く楽しい省エネを心がけることです。カーボンプライシング(炭素の値付け)を行い、温室効果ガスの排出に関する見える化を支援することも大切です。

中期的に重要となるのは省エネ機器の購入を促進することです。長期的には高齢化など他の問題解決も考えて、社会の構造そのものを脱炭素に転換することが重要です。ハードな面とともに、脱炭素技術が開発されても普及しなければ社会は脱炭素になりませんから、教育等によって行動そのものを脱炭素にしていく必要もあります。

3. 観測とモデルで診る温室効果ガスの収支

丹羽洋介(NIES地球システム領域物質循環モデリング・解析研究室 主任研究員)

「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」の関連分野:1, 2, 3

全球の温室効果ガスの収支を求めるため、私たちは観測とモデルから解析を行っています。観測とモデルを融合させて解析するという点では天気予報に少し似ていますが、天気予報は未来について解析するのに対し、私たちは過去、または現在について“診断”する解析をしています。

天気予報は予報を出して次の日には「正解」がわかりますが、温室効果ガス収支の診断解析は「正解」を知ることが非常に難しいです。その要因の一つに、地球上には観測データが不足している地域が多数あるということが挙げられます。大気中CO2濃度の観測地点は、天気予報で使われているラジオゾンデの観測地点よりずっと少ないため、あらゆる観測方法、モデルを駆使して多面的に“診る”必要があります。

各国の統計データから作成した化石燃料起源排出マップの利用、陸域生態系モデルという数値シミュレーションによる計算、人工衛星から検出した火災のデータや船舶で観測したCO2の海と大気との交換など、要素ごとに推定して積み上げる手法をボトムアップ・アプローチといいます。

一方、結果(大気中の濃度)から要因(排出・吸収)を推定するトップダウン・アプローチという手法もあります(図5)。私は主にこの手法で研究を行っています。

図5 大気濃度観測の例。トップダウン・アプローチ手法では、地上の観測ステーション、旅客機や船舶、人工衛星など、さまざまな方法・プラットフォームで測定された温室効果ガスの濃度から、放出量や吸収量をシミュレーションによって推定する。[丹羽洋介 観測とモデルで診る温室効果ガスの収支]
図5 大気濃度観測の例。トップダウン・アプローチ手法では、地上の観測ステーション、旅客機や船舶、人工衛星など、さまざまな方法・プラットフォームで測定された温室効果ガスの濃度から、放出量や吸収量をシミュレーションによって推定する。[丹羽洋介 観測とモデルで診る温室効果ガスの収支]

最近ではこの手法を使って、私たちが行っている旅客機(CONTRAILプロジェクト*2)や貨物船による大気中CO2濃度観測のデータから、地球表面の放出・吸収量を定量的に推定しています。

ボトムアップ・アプローチとトップダウン・アプローチによる解析は世界中のいろいろな研究機関で行われています。それらを総合的にまとめているのがGCP統合解析シリーズで、2020年には3つの温室効果ガス収支報告書(図1)が論文として出版されました。このうち、私はCO2収支とメタン収支に関わっています。

まず、メタン収支について紹介します。2000~2006年の平均からの増加分を見ると、中国やアジアでメタンの放出が増えていますが、北極域では増えていません。これは重要なポイントで、insight 2(融解する永久凍土からの排出量が、これまでの予想よりも多くなるおそれがある)に関連することですが、北極域には永久凍土が存在し、そのなかに大量のメタンが閉じ込められていると考えられています。この永久凍土が温暖化によって融けるとメタンが大量に放出される可能性が指摘されていますが、GCPの解析では、北極域でメタンの放出の増加は見られません。ただし、これは2017年時点のもので、2020年にシベリアで異常高温が起きたりしていますので、今後もメタンの放出に関する詳細な解析が必要になっています。

次にCO2収支について説明します。CO2の排出は主に統計データから、吸収または大気への蓄積については、大気観測、数値シミュレーション、海洋観測で見積もられています(図6)。

図6 さまざまな解析・データを統合して得られるCO2収支(Source: Friedlingstein et al 2020; Global Carbon Budget 2020) [丹羽洋介 観測とモデルで診る温室効果ガスの収支]
図6 さまざまな解析・データを統合して得られるCO2収支(Source: Friedlingstein et al 2020; Global Carbon Budget 2020) [丹羽洋介 観測とモデルで診る温室効果ガスの収支]

2020年、COVID-19のパンデミックにより世界各国の経済活動や人間活動が低下したことで、化石燃料消費からのCO2排出量が大きく減りました。GCPの見積もりでは世界全体で7%の減少(2020年12月の報告時での見込み)となっています。

全球では7%ですが、ある期間、ある地域では20%、30%の排出減もありました。それを大気観測から確認した論文を2020年、国立環境研究所を主体とする研究グループが発表しました(http://www.nies.go.jp/whatsnew/20201105/20201105.htmlを参照)。この論文では、波照間島(沖縄県)の観測サイトで、2020年の2月から3月、ちょうど中国がロックダウンしたときにCO2濃度が減少したことを示しました。

もっとも、全球で7%の減少は、“自然の揺らぎ”の範囲内に収まるほどに小さいものです。2021年3月の気象庁の発表では、日本付近の大気中CO2濃度は年々増加を続けており、2020年も陸上、洋上および上空の観測すべてにおいて観測史上最高を更新したとのことです。

このように、私たちは観測とモデルを使い、温室効果ガスの収支を診断しています。GCPによる統合解析は個々の診断を集めたもので、たとえれば、地球に対する定期検診、人間ドックといえるでしょう。私たちは診断しますが、これで病気(温暖化)を治せるわけではありません。診断結果を参考に現在の健康状態に常に注意を払いつつ、徐々に自分で病気を克服していくしかないのです。特効薬はないと個人的には思っています。病気の進行を遅らせる免疫機能(放出の約半分を自然界が吸収)のメカニズムの理解やその機能の維持も重要です。私たちは精度の高い診断を出せるよう、日々努力しています。

4. 気候危機は他の多くの危機とつながっている

渡辺知保(長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究科(TMGH) 教授・学長特別補佐)

「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」の関連分野:4, 5

私のもともとの専門はヘルスサイエンスですが、現在は長崎大学でプラネタリーヘルス(詳細は後述)を推進しています。気候変動による影響の視点からプラネタリーヘルスの主張と課題を説明します。

Insight4(気候変動は水の危機を著しく悪化させる)について興味深く思ったのは、水の危機を考えるとき、社会的条件が極端現象への対処や結果に大きな差をもたらしているということです。経済的レベルだけではなく、文化的継承や科学と知識の普及が大きく作用します。

Insight 5は、気候変動はメンタルヘルスに著しい影響を与えるというものです。これまで気候変動による健康影響といえば熱中症、デング熱やマラリアなど媒介する昆虫の分布域が変わり、それとともに感染症の分布も変化するというものが中心でした。それに対してメンタルヘルスが今回初めて大きく取り上げられたのです。

公衆衛生の視点からメンタルヘルスが大きく取り上げられるようになった背景として、WHOを中心に20年余りにわたって進められてき疾病負荷研究(Global Burden of Diseases)の役割も大きいと思います。従来は病気の影響というと直接生命にかかわる疾病に焦点が置かれていたのですが、風邪をひいて仕事に行けなくなることなど、重みに応じた疾病の影響を評価する障害調整生存年数(Disability-adjusted Life Years: DALY)という指標が考案されました。

2019年の疾病負荷研究の分析で、初めて高温・低温の両方を含む「非至適温度(non-appropriate temperature)」の影響が評価されました。全部で87のリスク要因を調べたところ、第10位に極端な温度による疾病負荷が出てきました。

また、DALYという指標ができたことで、メンタルヘルスがクローズアップされてきました。メンタルヘルスは通常の社会生活を営むのに支障となり、実は世界の疾病のなかで大きな位置を占めることがわかってきました。369の疾病のなかで「抑うつ性障害」が13位、「不安性障害」は24位に入っています。しかも1990年から20年間の変化を調べたところ、どちらも増加しています。

気候変動が心理社会的健康に影響を及ぼす要因はたくさんあります(図7)。特に極端現象は災害にも結び付きます。そして、こうした極端現象を逃れた人にも長い間心理的な後遺症が残ったりします。注目すべきは、insight4と5のどちらもみんなが均一の影響を受けるわけではなく、気候変動に非常に脆弱な集団、たとえば、貧困層や遠隔な地域に住んでいる集団、そういう人たちがより深刻な影響を受けることです。

図7 気候変動が心理社会的健康に及ぼす影響に関連する要因。気候変動は生態学的要因の一つ。[渡辺知保 気候危機は他の多くの危機とつながっている]
図7 気候変動が心理社会的健康に及ぼす影響に関連する要因。気候変動は生態学的要因の一つ。[渡辺知保 気候危機は他の多くの危機とつながっている]

脆弱な集団にどう対応していくかがこれから大きな問題になるでしょう。シナリオを構築し、社会の様々な立場にいる人が集まって、何をすべきかを考えることになるでしょう。そのときに重要なのが、学問を融合したり、アカデミアとアカデミアでない人が話し合って、どんなシナリオならば受け入れられるのか、また、そのシナリオに従っていくとどんなことが起こるのかということを考えることです。

最近、環境問題を扱うコミュニティではプラネタリー・バウンダリー*3が盛んに議論されていますが、プラネタリー・バウンダリーの内側にいても人間の健康・福利は決して“安泰”なわけではありません。

プラネタリーヘルスという考えは、こうした背景も踏まえて生まれました。この考えは2015年に有名な医学雑誌LancetにWhitmeeなど、公衆衛生と生物多様性の専門家が集まって発表したものですが、健康と文明は、自然の繁栄とそれを人間が賢くマネジメントすることの上に成り立つというものです。また現世代は将来世代の福利を抵当に入れて繁栄していることにも言及しています。

気候変動はさまざま領域に影響を及ぼすので、解決すべき課題間での優先順位の決定が重要になってきます。優先順位の決定の手続きに関するコンセンサスはまだないと思いますが、それを考えるなかで、気候システム、生物圏、人間がどうつながるのかというメカニズムを解明することが大切です。現在、私たちはアントロポセン(人新世)*4に入ってきているといわれていますが、アントロポセンであるという事実を活かすも殺すも私たち次第です。どういう価値観を重視するのかを個人個人が決めるために、今ある情報をなるべく提供していくことが必要です。人類という種の寿命を自ら決めるという重要な転換点にいると考えて、これから問題に対処していく必要があります。

5. コロナ禍・気候変動と新しい社会契約

森秀行(公益財団法人地球環境戦略研究機関 特別政策アドバイザー)

「気候変動について今伝えたい、10の重要なメッセージ2020」の関連分野:7

社会契約というと、フランスのジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)が提唱した「社会契約論」(1762)*5を思い出します。COVID-19や地球温暖化などの地球規模の問題に緊急かつ効果的に対処するために「新しい社会契約」が必要です。

COVID-19に対して台湾やニュージーランドは入国管理の素早い導入など比較的上手な対応をしたと報じられています。グローバルなレベルでは、WHOやGaviワクチンアライアンスなどがCOVAXという途上国へのワクチンの提供のメカニズムを立ち上げ、日本も貢献しています。COVID-19のような地球規模の問題へは、コミュニティレベルから国や国際的レベルまでが協調的かつ効果的な対応をする必要があります。

COVID-19同様、気候変動問題についてもいろいろな主体がリーダーシップをとって他の主体と連携しながらアクションを起こしています。

まず若者による世界的な運動、Fridays for Futureです。スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが一人で始めて、世界のユースを巻き込んだ運動として展開しました。「科学のもとに団結」することを掲げ、気候変動対策の迅速な実施を要求しています(写真1)。国連で気候変動サミットが行われていた2019年9月20日のストライキは、約400万人の抗議者を集め世界史上最大の気候変動運動に成長しました。

写真1 Fridays for Futureは、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが一人で始めて、世界のユースを巻き込んだ運動として展開しました。[森秀行 コロナ禍・気候変動と新しい社会契約]
写真1 Fridays for Futureは、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが一人で始めて、世界のユースを巻き込んだ運動として展開しました。[森秀行 コロナ禍・気候変動と新しい社会契約]

市民による社会運動としては、フランスの黄色いベスト運動があります。2018年11月、自動車の燃料税(環境税)の引き上げに端を発した、急進的な市民の反対運動で、毎週土曜日に黄色いベストを着てデモなどを展開しました。この結果マクロン大統領は増税案を撤回しました。これがきっかけとなり、無作為で選ばれた市民による「気候市民会議」が設立され、2020年6月に、大統領に149項目に上る気候変動に関する政策を提言しました。提言の多くは何らかの形での法制化が進められています。

科学者には、IPCCやIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)など、科学的なアセスメント(評価)をするという役割があります。こうした従来からの役割のほかに、英国のXR(Extinction Rebellion)は2018年に行動する科学者により設立されたもので、2019年初頭から、不服従を基本に、ロンドンなどを中心に道路や橋の占拠活動を展開しました。これがきっかけとなり、同年6月、英国でも市民110名からなる気候市民会議の設立が合意されました。

都市によるイニシアティブとしてはC40(都市気候リーダーシップグループ)があります。これは、94(2019年時点)の世界の主要な都市(ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、ソウル、東京など)による温室効果ガスの削減などを進める気候変動イニシアティブです。

企業によるイニシアティブとしては、WBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)があります。WBCSDは持続可能な開発を目指す企業約200社のCEO連合体で、世界70ヵ国に地域拠点があり、日本では経団連がパートナーとなっています。また、We Mean Businessは、企業や投資家の温暖化対策を推進している国際機関やシンクタンク、NGOなどが構成機関となって運営しているプラットフォームで、「RE100」や「SBT(科学に基づく目標設定)」などのより具体的なイニシアティブを展開しています。

国によるイニシアティブとしては、EUによるグリーンディール*6やアメリカによるグリーンニューディール*7があります。両方とも非常に大きな資金を確保して、それによって2050年ゼロカーボンを目指した政策を進めています。これらは国内のさまざまなステークホルダーを巻き込んで展開するものですし、国際的にも非常に大きな影響を与えています。

多様な主体を巻き込む国際的イニシアティブを紹介します。2019年のCOP25において締約国会議のリーダー国が「Climate Ambition Alliance」を立ち上げ、2050年のネットゼロの達成へのコミットメントを呼びかけました。非国家主体を対象に「Race to Zero」が立ち上げられ、ネットゼロへの誓約を推進しています。現在、73の締約国、399都市、786企業、16投資機関など国だけでなく、いろいろなステークホルダーが参加して推進しています。

最後に、新しい社会契約とは、住みやすく、持続可能で、レジリエントな将来を創造していくことをビジョンとしてもち、より人道的で持続可能な社会生態システムを、地方から地球レベルまでの多くのステークホルダーを多層的にリンクしていくことだと考えています。

出典:オンラインイベント「日本の脱炭素化を考えるための 世界の科学者からの、気候変動10の最新メッセージ」
https://www.cger.nies.go.jp/gcp/news/20210609.html#jmp