2018年5月号 [Vol.29 No.2] 通巻第329号 201805_329004

2017年度市民向け講演会「日本海で進みつつある環境の変化〜その驚くべき実態に迫る〜」開催報告

  • 地球環境研究センター 炭素循環研究室 主任研究員 荒巻能史

1. はじめに

私たちは、環境研究総合推進費(以下、推進費)「温暖化に対して脆弱な日本海の循環システム変化がもたらす海洋環境への影響の検出(2-1604)」の一環として、日本海をモデルケースにした海洋環境への温暖化影響に関する観測研究を実施しています。推進費による研究では、国民の皆様に研究活動の内容や成果を十分にご理解頂き、ご意見・ご要望を環境研究に反映できるよう「国民との科学・技術対話」を推進する講演会等のイベントの開催が推奨されています。そこで私たちは、日本海を取り巻く環境の変化に関する最新の研究成果をご紹介し、日本海の過去・現在・未来の姿について市民の皆様と共にじっくりと考え、また様々なご意見を伺える機会をもつことを目的に、環日本海地域の中核都市で市民向けの講演会を実施しています。2016年度の金沢市(詳細は、地球環境研究センターニュース2017年4月号を参照)に引き続き、2017年度は2018年1月21日(日)に新潟大学理学部との共催で「日本海で進みつつある環境の変化〜その驚くべき実態に迫る〜」を新潟大学駅南キャンパス「ときめいと」にて開催しました(写真1)。

写真1告知用ポスター

2. 講演会の概要

講演会は推進費2-1604課題代表・荒巻の趣旨説明に引き続き、本課題分担研究者から荒巻と海洋研究開発機構の松本和彦氏、共催の新潟大学理学部から則末和宏准教授、ゲスト・スピーカーとしてイカ研究の第一人者で北海道大学名誉教授、現在は函館市国際水産・海洋総合研究センター・函館頭足類科学研究所長の桜井泰憲氏にご講演して頂きました(写真2、3)。以下に、当日の講演の内容や参加者からの質問・意見などをご紹介したいと思います。

「ミニ大洋・日本海〜忍び寄る温暖化の影を追う〜」荒巻能史(国立環境研究所)

日本海は小さいながらも大洋で見られる様々な海洋現象が存在していることから「ミニ大洋」とも呼ばれています。例えば、北西部海域では、冬季の大陸からの季節風によって海面が結氷するほどに冷やされて、表層水が海洋内部に沈み込む独自の深層循環システムが存在します。これは北極周辺の北大西洋で深海に沈み込んだ表層水が南極を経由してインド洋や太平洋の深海を巡る「海洋大循環」と同じ構造です。大循環が2000年のタイムスケールであるのに対して、日本海ではそれが約100年と推定されているので、近年の温暖化の影響が大洋よりも早く現れる可能性があります。つまり、日本海をモニタリングすることで、将来的に地球規模で起こる海洋環境の変化を、あたかもDVDの倍速再生のように観察できるかもしれないということになります。荒巻は、この日本海の海洋構造について丁寧に解説をするとともに、過去50年以上に渡って深海(深度2000m以深)で水温が上昇、海水中の酸素量は減少を続けていること、これが温暖化の進行と極めて密接な関係があることを説明しました。

写真2日本海の温暖化影響について講演を行う筆者

「日本海の温暖化〜植物プランクトンから始まる海洋生態系への影響〜」松本和彦氏(海洋研究開発機構)

植物プランクトンは光合成によって生成する有機物(基礎生産)が海洋食物連鎖の起点となるエネルギー源を担っています。食物連鎖の上位に位置する大型魚類も、もとをたどれば光合成に依存しています。春の訪れを知らせる桜の開花のように、海中でも春に植物プランクトンの大増殖(ブルーム)が起こります。冬の日本海は荒れることで有名ですが、これによって上下の海水がかき混ぜられて表層に下層の豊富な栄養塩(硝酸塩やリン酸塩など)が輸送されます。春になって表層水が暖められると下層に比べて密度が格段に小さくなり、海水が上下に混ざりにくくなるので、植物プランクトンは表層で豊富な光と栄養塩を得てブルームを起こすことになります。ところが夏は、光は強いものの、春のブルームで表層の栄養塩を消費してしまうためにブルームが起こることはありません。松本氏は、この植物プランクトンの発生のメカニズムについて丁寧に図解して下さいました。日本海の海面水温の上昇率は世界平均よりも高く、外洋と比べても急速に海の温暖化が進行していることが確認されています。表層水温が上昇すると、より一層上下に海水が混ざりにくくなるので、表層の栄養塩の枯渇が進みます。すると植物プランクトンは栄養塩を求めてより深い層に分布するようになりますが、深い層では届く光は弱くなるので基礎生産量は相対的に減少することが予想されます。松本氏は最近の日本海の観測結果を示しながら、その兆候が見られないか注意深く確認しているとのことでした。

「海洋化学研究のフロンティア〜一千億分の1の痕跡元素から海を探る〜」則末和宏氏(新潟大学)

則末先生は、海洋環境を化学の視点から明らかにするために海水中で一千億分の1程度と非常に低濃度で存在している「痕跡元素(微量元素とも呼ぶ)」を対象とした研究に取り組んでいらっしゃいます。痕跡元素は海洋での物質循環過程を鋭敏に反映したユニークな時空間変動を示し、それゆえ、それらの物質循環過程を調べる研究対象としての新しい可能性を秘めています。元素には重さの異なる「同位体」があり、個々の同位体の存在度も有用な情報を与えてくれます。則末先生らの研究グループは、GEOTRACES計画と呼ばれる国際共同研究に参加され、研究船を使って長期にわたって外洋域(特に太平洋など)を観測し、様々な痕跡元素とその同位体の精密分析法を開発してはその海洋における分布状況を解明する研究を推進されています。講演では、太平洋の鉛の同位体などの海面から海底直上までの鉛直的な濃度分布を示して、これらの元素がどこから排出され、どのような経路をたどって移動しているのかを知ることで、海水循環の指標として利用できることなどを丁寧に解説して下さいました。

「減り続けるスルメイカ資源〜その要因と今後の動向〜」桜井泰憲氏(函館頭足類科学研究所)

寿命1年のスルメイカは日本列島に沿って回遊する「季節の旅人」です。10〜12月に能登半島から対馬海峡で産卵して主に日本海を回遊する秋生まれ群と、1〜3月に東シナ海の大陸棚域を産卵場として太平洋を北上して北日本の海に回遊し、12月頃までに宗谷海峡と津軽海峡を通過して日本海を南下する冬生まれ群が漁獲対象となっています。海洋中の物質循環の視点から見れば、毎年、北の海で栄養物質を大量に貯えて南の海で産卵して死亡することから、水平的な物質輸送(Squid Pump)の役割を果たしています。しかし、2016年は過去50年間で最低の7万トン以下にまで漁獲が減少しました。水産学界では、気温や風などの気候要素が数十年間隔で急激に変化、これに呼応して水産資源が変化する、レジームシフトと呼ばれる理論が提唱されています。桜井先生は、過去30数年間のスルメイカの飼育実験とフィールド研究から「レジームシフトの寒冷期には時空間的に再生産海域が縮小して資源減少が生じ、逆に温暖期には拡大することによって資源増加が起きる」という自らが提案した仮説を解説して下さいました。日本海はスルメイカの主な回遊・生息域であり、温暖化傾向が極めて顕著な海です。温暖化に伴う右肩上がりの海水温の上昇というレジームシフトだけでは説明できない “不可逆的な時空間変化の流れ” に対して、スルメイカ資源はどのように変動するのか、海の物質輸送を担う健全性の担保と持続型漁業の存続に向けてスルメイカ資源の将来予測は喫緊の課題だと力説されました。

写真3スルメイカ資源の減少傾向について講演する桜井氏

講演会の前週には北陸地方を襲った大雪で、新潟地方も市民生活に影響が出るほどの大混乱でした。開催当日も街のあちこちに雪の塊が残り、朝からみぞれ混じりの小雨が降り続くあいにくの空模様でしたが、新潟大学・則末准教授のご尽力や、前日に地元新聞社・新潟日報社が開催案内の記事を掲載してくれたこともあって、高校生・大学生からご高齢の方まで、およそ80名の一般市民の皆さまのご参加があり盛会となりました。各登壇者も一般向けということで難しい言葉を避けてユーモアたっぷりに解説したからか、市民の皆さまから多数のご質問やご意見・ご感想を伺うことができました(写真4)。特に日本海の温暖化影響に関する関心は非常に高く、荒巻と松本氏の講演については海洋構造を詳しく質問する方、魚種や漁獲量の変化を心配する方など、たくさんのご質問・ご意見を頂戴しました。その中でも、講演中に数字で具体的に示された日本海の環境悪化を危惧する感想が数多く寄せられましたが、荒巻は「日本海が危険な海なのではなく、世界中の海で近い将来に起こるかもしれない環境変化を、いち早く示してくれているだけである」「こうした環境変化を正確に理解することによって、いち早くこれに適応する施策を講じることが可能になるので、そうした意味では日本海は日本人にとって誇るべき海である」と述べました。また、日頃からメディアに登場する機会が多いため、桜井氏の講演は、皆さんの関心も高かったようです。氏はスルメイカの減少傾向の話だけに留まらず、荒巻の講演を受けて温暖化に伴う日本海の環境変動と漁獲量の変化を関連づけた “特別講義” まで、時間を延長してお話しして下さいました。

写真4参加者から多くの質問が寄せられました

当日は石川県のテレビ局・北陸朝日放送が取材に訪れ、荒巻と桜井氏の講演内容をもとにしたニュース番組(HABスーパーJチャンネル)の特集「日本海の温暖化を追う」が後日放映されました。一方、開催案内の記事を掲載した新潟日報は、当日の聴講のほかに個別取材を行って、推進費2-1604課題が実施している日本海をモデルケースにした海洋環境への温暖化影響に関する観測研究の特集記事を掲載しました。

3. おわりに

講演会後、参加者の皆さんから「大変おもしろかった」「日本海は凄い海なんだね、これからも私たちにいろいろ教えて下さい」など、たくさんの声をかけてもらいました(わざわざお礼の手紙を下さった方までいらっしゃいました)。2018年度は推進費2-1604課題の最終年度に当たり市民講演会ではなく都内で研究成果報告会を実施する計画でしたが、今回の盛況を受けて2018年度も環日本海地域のどこかの街で市民向け講演会を企画したいと方針転換をしたところです。

ご意見、ご感想をお待ちしています。メール、またはFAXでお送りください。

地球環境研究センター ニュース編集局
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