2025年12月発行

【最新の研究成果】 大気汚染問題におけるペルオキシアシルナイトレート類(PANs)の重要性の再認識 ~所沢でのPANsの長期連続観測から

  • 松本 淳(早稲田大学 人間科学学術院 教授)

国内での光化学オキシダント(Ox:主成分はオゾン(O3))) の注意報等発令日数は減少してきているが、注意報レベルのオゾン高濃度イベント(一時間値が120 ppbv以上)は都心部や郊外で局所的に発生している。環境省大気汚染物質広域監視システム(AEROS:そらまめくん)では大気汚染物質の常時監視が各地で実施され、Web サイトに結果が公表されている[1]。環境白書によると、 Ox の改善傾向を評価する指標「8時間値の日最高値の年間 99 パーセンタイル値の 3 年平均値(米国環境保護庁(US EPA)の環境基準の指標と同等)」の値は、関東地域では最近は90-95 ppbvで横ばい傾向にあり、US EPAの環境基準値の70 ppbvより高い濃度であるため[2]、さらなる大気質の改善が必要とされている。

光化学O3生成に関わる一連の化学反応において、最終的に NO2 光解離によって O3 を生成するため、窒素酸化物 (NOx) の挙動が光化学O3生成の観点から重要である。NOx から生成する硝酸や有機硝酸などの貯留成分の多くは NOx の消失先として働くが、状況に応じて NOx に戻る成分もある。貯留成分のうちPANs (R’C(O)O2NO2) は、熱分解平衡 (PANs ⇄ NO2 + R’C(O)O2) による NO2とR’C(O)O2 の放出を介して O3 に影響しうる。熱分解は高温時に起こり、PANs の影響を知るには常時監視が有意義だが、PANs は AEROS の測定対象外である。PANs は原料となる非メタン炭化水素 (NMHCs) と同様に多様で、既存の個別成分分析での全量把握は難しく、新たに PANs 全量包括測定ツールを構築して長期観測データを蓄積する必要があった。

そこで、市販のキャビティ減衰位相シフト法 NO2 計 (CAPS) と自作の熱分解装置 (TD) を組み合わせ、独自の PANs 全量計 TD/CAPS を構築した。CAPS を 2 台使用し、1 台で NO2 をモニターし、もう 1 台でTD の通過/不通過を切り替えて TD 通過時の NO2 増分として PANs を算出した。CAPSを2台用いることでNO2が大きく変動してもPANsを精度よく求められるようにし、また、2台のCAPSで同時にNO2を測定する時間を設け、器差を抑制する工夫も行った。

都市郊外の Ox 高濃度イベントに対する PANs の役割を明らかにするため、埼玉県所沢市の早稲田大学所沢キャンパスにて PANs、O3、NO2、NO の同時連続観測 (常時監視) データを 2021 年 6 月から 2024 年 8 月に蓄積し、PANs とポテンシャルオゾン (PO=O3+NO2) の相関関係とその特性 (日変化・経年変化・気温依存性) を調べた。NO の多い都市や郊外では、O3 が NO と素早く反応して一時的に濃度が低下し、測定値が O3 を過小評価する可能性があるため、NO に影響されない指標であるPO をここでは用いた。気温と NMHCs は観測地点の東 4 km に位置する AEROS 一般局 (所沢北野) の公開データを用いた。

期間中、 PANs 測定値として 1 時間値 26789 点を得た (データ取得率 96.9 %)。日中 12 時間平均算出時に各 1 時間値がすべて揃ったのは 1152 日中 1108 日であり (同 96.2 %)、PANs 常時監視の実用性が確認できた。

PANs、PO の日中 12 時間 (07:00-18:59) の1 時間値から日ごとに算出した日最大値の季節変化を図 1 に示す。PO は光化学反応が活発な夏に高く、冬には低くなる傾向を捉えた(夏のばらつきは日ごとの気象条件に依存する)。本観測では 4 度の高温期において計 17 日、PO 濃度の日最大値が注意報レベルを超えた。東京沿岸部で放出された前駆体が日中の海風に乗って数時間程度で所沢に飛来する間に光化学反応が進行し、オゾン高濃度イベントが生じたと考えられた。低温期にPANsの高濃度日が見られたが、これは冬にはNOx が高濃度で PANs 生成が進むこと、PANs 熱分解が遅いこと、が原因と考えられた。

PO 高濃度事象が比較的多かった 2023/4/1 以降に絞って PANs-PO 間の相関を解析したところ、顕著なオゾン高濃度イベントのPANs 視点での発生条件が見えてきた: (1) 最高気温 35 ℃ 以上、(2) NOx/NMHCs 比が低い、(3) PANs 日最大値 2 ppbv 以上、(4) PANsの大気寿命が長い。すなわち、気温の高い好天日に、ppbv レベルの PANs が存在し、PANs 熱分解による NO2 供給が活発かつ長続きすると、PANs 熱分解からのNO2の供給が効いて PO 濃度上昇を後押ししたと考えられる。また、日中時間帯について日ごとに PO-PANs 相関解析を実施して得た回帰直線の傾きと PO 切片の相関プロットを作成したところ (図2)、顕著な PO 高濃度日は特定の領域(赤点線)に分布した。例えば、午前中のPANsとPOの相関を解析して当該領域に該当するかを判定すれば、その後顕著なオゾン高濃度イベントが発生するか判断することができると思われる。

さらに、PANs 熱分解による PO への影響を端的に表す新指標 K[PANs] を考案した。K は平衡定数のK=[NO2] [R’C(O)O2]/[PANs]であり、K[PANs] は熱分解により生じる NO2 と RO2 (R’C(O)O2) の積に相当する。簡単のために K は代表的な PAN の値を用いる。K[PANs] が大きい状況では NO2, RO2 の量が多いこと、つまり、PANsの熱分解と再結合を繰り返していることを意味し、PANsの大気寿命が長いことを表している。期間中のもっとも顕著なオゾン高濃度イベント (2024年7月5日, 最大 PO 159 ppbv) に注目し、前後 10 日間を対象として日中 1 時間値を解析した結果、PO と K[PANs] に正相関が見られた (図3)。顕著な日の PO 最大値時刻まで (2024/7/5 の 7-15時台) に限定すると、PO と K[PANs] に特に強い正相関が見られた。この日は 15 時台まで K[PANs]、PO が増えつづけたことから、PANs 熱分解が強く長く PO 濃度上昇を後押ししたと考えられた。PANs 熱分解の PO 高濃度イベントへの影響評価における K[PANs] の有効性を確認した。

以上のように、PANsの長期連続観測により、最近の光化学オキシダント高濃度イベントにおいて、PANsが重要な役割をしていることがわかった。

図1 埼玉県所沢市における長期連続観測結果の例。
図1 埼玉県所沢市における長期連続観測結果の例。
(a) ポテンシャルオゾン (PO = NO2+O3) の日ごとの最大値。
(b) ペルオキシアシルナイトレート類 PANs (R’C(O)O2NO2) の日ごとの最大値。
図2 日ごとの PO-PANs 相関解析で得た傾きと PO 切片の相関プロット。
図2 日ごとの PO-PANs 相関解析で得た傾きと PO 切片の相関プロット。
図3 PO-K[PANs] 相関プロットの例。
図3 PO-K[PANs] 相関プロットの例。
青×と青点線は 10日間の日中1時間値。
赤●と赤実線は、全期間中の PO 最大値を記録した 2024/7/5の値。
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