2009年11月27日
こんにちは、国立環境研究所の江守正多です。今回は、過去1000年規模の気温変動についてとりあげたいと思います。実は、この問題に関連して、最近とある事件が起こりました。英国イーストアングリア大学気候研究ユニットのサーバーが外部から何者かにハッキングされ、温暖化関連の研究者のメール1000通あまりがインターネット上に流出したのです。
被害にあったのは、過去の気候データの復元や解析などの研究で「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」においても中心的な役割を果たしてきたグループです。その研究者たちの内輪のやり取りが生々しく世間の目に触れることになりました。
26日付で日経エコロミーに掲載の記事【2015年2月現在リンク切れ】にも既に紹介されています。
この件に関していえることは、第一に、このようなインターネット犯罪が許されてよいはずはありません。しかし同時に、われわれ研究者は、特に研究の内容や進め方に関しては、万が一他人にのぞかれてもばつの悪くないような態度を普段から取っておかなければならないものだなあ、と改めて考えさせられました。
この事件をきっかけに、過去1000年の気温変動のデータの信頼性の問題がにわかに注目を浴びているようです。これは以前からたびたび話題になってきたことなのですが、ここでは細部にはあまり立ち入らず、初めての人にもわかるように問題を概観してみましょう。
2001年に発表されたIPCCの第3次評価報告書で、米気候学者のマイケル・マンらが復元した過去1000年の北半球平均の気温変動データが有名になりました。
図1のグラフの大部分の期間を占める青い線は、木の年輪、サンゴ、氷床などに刻まれた間接的なデータから復元した過去の気温の変動、最近200年程度の赤い線は温度計で測られた気温の変動です。青い線と赤い線をつなぐと、何百年間もほとんど変動がなかった気温が近年のみ急上昇しているように見えます。この形がホッケーのスティックに似ていることから、俗にこのグラフは「ホッケースティック曲線」とよばれます。
実際には、過去のデータには大きな誤差幅があることが灰色で示されているのですが、この青と赤の「ホッケースティック」の線のみが世の中に注目されてしまったようです。これは、科学コミュニケーションの観点からみて大きな不幸だったといえるかもしれません。誤差幅のことを無視して最近の気温上昇が異常なものとしてしばしば強調され、その一方で、過去1000年の気温はもっと大きく変動していたはずだと考える古気候学者などが一斉にこのグラフに不審の眼を向けたようでした。
その後、この問題については同様の研究が多く発表され、07年に発表されたIPCC第4次評価報告書では、複数の研究結果のグラフが重ねて示されました。
第4次報告書のグラフ(図2)を見ると、解析方法や用いたデータの違いなどによって、復元結果には大きなばらつきがあることがわかります。第3次のときの「ホッケースティック」も多数の線のうち1つとして描かれています(紺色の線MHB1999)。他の研究も重ねると、過去1000年の気温は、「ホッケースティック」のみで示されていた場合に比べて、より変動が大きかった可能性があることがわかります。特に、古気候学者などがその存在を強調する中世の温暖期(10世紀ごろからの気温の高い時期)や小氷期(14世紀ごろからの気温の低い時期)が比較的明瞭に表れています。しかし、それらを考慮した上でも、IPCC第4次評価報告書は、「20世紀後半の北半球の平均気温は、過去500年間の内のどの50年間よりも高かった可能性が非常に高く、少なくとも過去1300年間の内で最も高温であった可能性が高い」と結論づけています。
さて、今回のメール流出をきっかけにして問題になっていることの1つは、これらの復元データと温度計データがつながるあたり(1960〜80年ごろ)で、うまくつながって見えるように研究者がデータを操作していたのではないか、ということのようです。僕はこの問題からは研究テーマが遠いこともありますし、ここでどんなデータ操作がなされていて、それが何を意味するのかなどを、ブログなどに断片的に現れた流出メールを見ただけで判断してコメントすることは控えておきます。
メールの文章が前後の文脈から切り離されて一人歩きすることで、メールを書いた個人やその研究が「不当な非難」を受けることがないように祈ります。
しかしながら、違法な手段で世の中にさらされてしまったものとはいえ、このメールの中から、仮に科学的に不健全なデータ操作を研究者がしていたことなどが明らかになったとしたら、この研究者は誠実に対応し、必要な訂正などがあればきちんとすべきであろうと、個人的には思います。
ただし、過去1000年の気温変動に関するIPCCの結論が万が一これに影響を受けたとしても、いわゆる「人為起源温暖化説」の全体が揺らぐわけではまったくないことに注意してください。第1回のコラムで説明したように、「人為起源温暖化説」の主要な根拠は、「近年の気温上昇が異常であるから」ではなく、「近年の気温上昇が人為起源温室効果ガスの影響を勘定に入れないと量的に説明できないから」なのですから。
ところで、ずいぶん次元の違う話ですが、第4次評価報告書のグラフでもまだまだ過去1000年の変動を過小評価していると主張したい(あるいは第4次のグラフを知らない)人たちが、以下のようなグラフを示すことがあります。
図3のグラフの原典は米国のロイド・ケイグィンが96年に書いた論文【2015年2月現在リンク切れ】の図で、海底堆積物のデータから復元された、北大西洋のサルガッソー海の海面水温の変化です。つまり、半球や全球を代表するものではなく、特定の海域のデータなのです。そして、同じ著者らによる99年の論文によれば、北大西洋のさらに高緯度の海域のデータはこのグラフとは逆の変動を示しており、これらの変動が地域的に限定されたものであることは明らかです。これらの論文はIPCC第3次評価報告書にも引用されています。
なお、このグラフはIPCCに反対する米国の署名活動(「朝まで生テレビ!」で丸山茂徳さんが言及していたもの)のホームページからとってきたものです。
06年の点はケイグィンの元の図には無く、後から付け加えられたものです。
また、時間軸が本物のケイグィンのグラフと少しずれています(本物のデータは1950年以前しかありません)。
マンなどの北半球平均の気温復元データとこのグラフを対立する代表的なデータとして並べて、IPCCが後者を無視しているかのように批判するのは科学的に不健全な孫引きの典型です。そのような文脈でこのグラフに出合ったときには、ぜひ注意してください。
関連して、さらに次元が違う話になりますが、7000年前ごろの縄文時代に日本では海面が今より2〜3メートル高かったことがよく知られており、「縄文海進」と呼ばれています。このころ、世界平均の気温が今よりずっと高かったと思っている人がいるようですが、それは間違いだそうです(専門が遠いので、僕も最近までよく知りませんでした)。
7000年前ごろにかけて海面が上昇したのは、氷期が終わって氷床が大量に融けた、つまり地球全体が暖かくなったせいです。しかし、その後に日本付近で海面が下降したのは、地球全体が寒くなって氷床が増えたせいではなく、海水が増えたことによりその重さのために海底が沈下したせいです(逆に氷床が融けた近くでは、軽くなって地形が隆起しました)。
また、そのころに日本付近が今よりも暖かかったのは、黒潮の流路変化によるものと考えられているそうで、地域的な出来事です(訂正します。この時期は気候最適期とよばれ、北半球規模で20世紀よりも1℃程度温度が高かったと考えられています。ただし、この後に氷床が拡大したという証拠はありません)。
というわけで、「縄文海進のころは地球が今よりもずっと暖かかったのだから、今の温暖化も異常ではない」というような説明に出会ったときにも、ぜひ注意して頂きたいものです。
京都議定書の次を議論するコペンハーゲンの第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)が間近に迫り、世界は温暖化対策についての合意形成を急いでいます。科学的な理解の混乱がその足をひっぱるのはたいへん残念なことです。いわゆる主流派の科学者も、いわゆる懐疑派側も、小手先のロビー活動を競い合うのではなく、科学的な誠実さをこそ競い合いたいものだと思います。
では、今回はこのあたりで。
[2009年11月27日/Ecolomy]