News Archives [20040728]
平成17年度エコスクール・落石大気環境モニタリングステーション学習会にて
(北海道・落石小学校/2005年6月13日)

自分の息を袋に詰めて、、、。
近くの風力発電所
 

 毎年環境月間に併せ、根室支庁がエコスクールと称して落石周辺の小学生の環境教育を地球環境研究センターと共に行っている。今年は落石の観測ステーションの近くにある落石小学校5,6年生対象に、温暖化の講義とモニタリングステーションの見学を行った。子供達は11人である。小学校の理科室で根室市の温暖化防止委員の千葉氏により、環境省の作成したDVDを用いての温暖化の講義が行われ、温暖化の内容やその影響などが説明された。日頃の節電や省エネなどの対策として、後半にクイズ形式で出されたが、中には大人でもちょっと難しいものもあった。

 落石の観測ステーションは落石岬の先端部にあり、岬全体が天然記念物であるサカイツツジなどが咲く保護区域になっている。車では入れないため、子供達は30分程この区域の草花を観察しながら歩いて観測ステーションへやって来る。昨年と同様に天気が悪かったので、子供達は傘を持って長靴をはいてやって来た。北海道の東に位置する根室近辺は霧が多く、夏でも寒いことが多い。

二酸化炭素の測定実験の結果

 今年の観測ステーションでの出し物は、身近な二酸化炭素を測定しようというものである。一般に二酸化炭素といっても見えるわけではないので、どうも実感がわかないため、二酸化炭素測定器を持ち込んで実験を行った。身の回りの二酸化炭素発生源はどういうものがあるかと言う質問をしたところ、“息”や“車”などの答えが返ってきた。物が燃えて二酸化炭素が出ることについて、蓋をしたビーカーの中でろうそくを燃やし、その空気を測定して示した。次に自分の息で二酸化炭素が出ていることを実感してもらうため、一人一人にビニール袋を渡して息を吹き込んでもらった。このビニールの中の空気を測定器にかけると、皆の息もろうそくと同じ様に測定器の針が振れ、呼吸によって二酸化炭素が出ていることがわかった。下の図がその11人の記録である。さて、人間の呼吸の二酸化炭素は悪くないのに、ろうそくの二酸化炭素はなぜ悪いのだろうかという質問がこの実験から派生してくることになる。この問いは実に人間の存在意義すら危うくする哲学的な問いであり、その答えをすっきりと説明することはかなり難しい。皮相的に言えることは、人間は食物連鎖の頂点?にいて、もともと光合成で生産された食料、つまり光合成によって一度大気から集めた二酸化炭素が元になっているということであり、それを大気に戻しても、差し引きはゼロになるという説明である(しかし実際は、食料を作るために余計なエネルギーを使うため、それほど簡単ではない)。

 大気の二酸化炭素は植物が吸収する以外に、他に何が吸収するかという問題をだしてみた時、5年生の一人が「海」と答えたのにはびっくりした。漁をやっている家庭が多いので、生活の中で海に親しんでいるためだろうと思われる。そこで実験では海水が二酸化炭素を溶かしていることを、酸を加えて二酸化炭素を追い出して測定してみた。さらに、呼気中の二酸化炭素を海水に溶け込ませて、そのpHが変化することを指示薬で見せた。大気中の二酸化炭素の増加に伴って、海水中の二酸化炭素濃度が上昇し、その結果海水のpHが下がることは予想されており、それによる海洋生物に対する影響も心配である。

 光をあてた植物で二酸化炭素を測定すると、唯一測定器の針が逆側に動くことが見られ、二酸化炭素が吸収されていると実感される。このほか、身近にある物で、二酸化炭素を出しそうなものをいくつか用意し、クイズ形式で実験をした(この風景はさながら何かの実演販売みたいである)。

酸性雨の話を聞く

 観測ステーションの外には酸性雨の測定装置があり、酸性雨の原理や、落石の雨の酸性度(pH)が札幌に比べても高くはなく、むしろ低いことなどをパネルで説明し、こんなに発生源から離れたところでも、大気汚染は広がっており、地球環境に大きく影響があることなどを勉強してもらった。

 子供達へのお土産として、2100年までの温暖化予測をパラパラ漫画にしたものを説明して皆に家で作ってもらえるよう配布したが、帰り際、小学生にちょっと悲観的な質問をされた。温暖化の問題は非常に見えにくい問題であって、よくお湯に入るカエルに例えられたりする。ゆっくり加熱されるお湯に入っている場合は、温度の上がり具合が良くわからないため、気付かないうちに茹だる温度まで上がって死んでしまうという筋書きである。実際にはそんな鈍感なカエルがいるとは思えないし、この場合逃げ場があり、そのカエルは気分が悪くなればいつでもお湯から出るだろうということになり、地球の温暖化モデルとしての正確性を欠いていると個人的には思うのであるが、実際の地球の場合、実はさらに悪い状況にあることにも気がつく。例えば、そんな簡単な逃げ場がどこかにたくさんあるとは思えないし、あったとしてもすぐに簡単に逃げられるとも思えない。それから自分だけではなく、未だ地球にいない世代を含む長い時間の流れの中で“誰か”が“暑いんじゃないか?”と気が付かなければいけないので、“気付く”という行為自体が世代間に先送りされ、さらに怪しくなることになるという厄介な問題がある。こういった意味からも、環境の教育は現在非常に重要な任務を負わされていると思われる。

集合写真
向井 人史