2019年1月号 [Vol.29 No.10] 通巻第337号 201901_337004

環境研究総合推進費の研究紹介 23 低炭素・脱炭素社会の構築を、飢餓撲滅・生態系保全・大気汚染解決などの環境・社会問題解決と同時に達成する —環境研究総合推進費課題2-1702「パリ協定気候目標と持続可能開発目標の同時実現に向けた気候政策の統合分析」での取り組み—

  • 社会環境システム研究センター 広域影響・対策モデル研究室長 高橋潔

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世界の国々は、2015年12月にパリで開催された国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第21回締約国会合(COP21)において、気候変動の脅威に対応するための世界的な取り組みとして「パリ協定」に合意しました。パリ協定では、全球平均の温度上昇を工業化前比で2°Cより十分低く抑える(できれば1.5°C未満に抑える)という目標を掲げています(以下ではこれを「2°C目標」と呼びます)。しかし、同目標の達成に向けて必要な世界規模での気候政策(排出経路等)、及びそれに整合的な我が国の中長期の気候政策についての包括的検討はまだ十分ではありません。また、私たちの社会は、遅れなく気候変動問題に対処しつつ、同時にその他の環境・開発等の社会問題についても解決に向けた取り組みを進めていく必要があります。気候変動対策とその他社会問題との関係は、共便益(コベネフィット)・相乗効果(シナジー)の場合もあれば、負の副作用(トレードオフ)の場合もあり、複雑です。そこで私たちの研究プロジェクトでは、長期気候目標・持続可能開発目標の同時実現に向けた世界規模及び我が国の気候政策の統合分析、ならびに同分析のための一連の評価手法の開発を、本研究の目標として設定しました。

図1本研究プロジェクトの分析枠組み

図1は本研究の分析の枠組みを示しています。サブテーマ1では、主に二つの統合評価ツールを用います。第一は全球排出経路モデルであり、最新の気候科学ならびに温室効果ガス(GHG)削減費用の知見をふまえ、2°C/1.5°Cといった長期の気候目標の達成に必要な全球排出経路(いつ頃にどの程度のGHG削減が必要になるか)とその不確実性を分析します。第二は世界経済モデルであり、気候以外の開発目標の定量分析のための拡張を施し、2°C/1.5°Cの気候目標に必要な全球排出経路について、その経路達成に整合的な21世紀末までの社会経済・土地利用・GHG 排出・持続可能性指標の統合シナリオを提示します。サブテーマ2では、国内サービス需要モデル(輸送、家計消費等)と国内経済モデルを改良し、炭素税等を含む包括的なGHG削減のための政策オプションの検討を実施し、サブテーマ1が描く全球気候政策に整合的な形で、我が国でのゼロ排出実現に向けたシナリオ(いかなる政策や技術の組み合わせでゼロ排出を達成するか)を提示します。また、他サブテーマと連携して産業界や市民らを交えたステークホルダー対話を実施し、将来シナリオをより政策検討に資するものに発展させます。サブテーマ3では、日本技術モデルの改良および技術情報の拡充を通じて、サブテーマ1が描く全球気候政策に整合的な形で、我が国でのゼロ排出実現に向けたエネルギー技術対策(電源構成等)の定量化を実施します。

以下では、世界規模の気候政策分析と日本のゼロ排出分析について、これまでに国際学術誌で公表した研究成果から、代表的なものを一つずつ紹介します。

まず、世界規模の気候政策分析に関して、世界の主要な農業経済モデルグループと連携し、将来のGHG排出削減策による飢餓リスクの増加の可能性、及びその抑制のための追加政策の検討を実施しました[1]。同研究は国際的なモデル比較研究として初めて、2050年までの気候変動による作物収量への影響と気候変動対策(GHG排出削減策)による農業部門への影響を飢餓リスクの観点から評価しました。世界の8つの研究機関の世界農業経済モデルが食料価格や食料需給に関する将来予測のデータ提供を行い、国立環境研究所・京都大学の研究チームが開発してきた飢餓リスク推計ツールを用いて解析を実施しました。その結果、経済合理性のみで対策を実施した場合、2050年における食料安全保障への影響は、気候変動による作物収量変化よりもGHG排出削減策による影響の方が大きい可能性があることが分かりました(図2)。この排出削減策による影響とは、主として、排出削減に要する費用が農業部門から排出されるメタンや亜酸化窒素への課税(炭素税)により一部賄われ、結果的に食料価格上昇・一人当たり食料消費の減少・飢餓リスクの増加が生じることを意味します。この結果はGHG排出削減策の経済合理性だけでなく、飢餓リスクに直面する低所得者、GHG排出部門や地域の特性を考慮し、炭素税率を部門によって変える、直接排出を規制する、補助金を用いる、あるいは炭素税収を食料安全保障対策に充当するなど、多様な政策オプションを取る可能性を検討することが望ましいことを示唆しています。なおこれらの追加的な政策オプションによる飢餓リスク増加の抑制については、最近、別途定量分析に取り組んでいます。[2]

図2気候変動影響(作物収量変化)とGHG排出削減策による食料安全保障への影響。ベースラインケース(GHG排出削減策を取らず仮想的に気候変動影響もないと仮定した参照ケース)での a. 飢餓リスク人口と b. 一人当たりの食料消費カロリー。3つの社会経済条件(SSP1:持続可能(人口:増加の抑制;経済・技術:高成長)/SSP2:中庸/SSP3:地域分断(人口:増加継続;経済・技術:低成長))及び異なる気候変動影響とGHG排出削減シナリオ(RCP2.6:2°C目標の達成に向けた強いGHG排出削減策を実施/RCP6.0:緩和策を実施しない)における c. 飢餓リスク人口と d. 一人当たりの食料消費カロリーへの影響。c、dの数値はベースラインからの変化量を示す。2°C目標の達成に向けた強いGHG排出削減策を実施する場合(RCP2.6シナリオ)、中庸な社会経済条件(SSP2)では、ベースラインと比べて、食料消費は世界平均で110kcal/日/人低下し(数値は複数のモデルによる中位値、以下同様)、飢餓リスク人口は7800万人増加。一方、緩和策を実施しないシナリオ(RCP6.0)では気候変動による作物収量変化によって食料消費は45kcal/日/人低下し、飢餓リスク人口は1500万人の増加

一方、日本の気候政策分析に関しては、世界を対象とした最近の緩和シナリオ研究において、パリ協定で言及されている1.5°Cシナリオでは今世紀中頃に世界全体のCO2排出量が正味ゼロとなる結果が示されていることを踏まえ、2050年に日本国内でゼロ排出を達成するためのエネルギー技術対策について検討しました(図3)。[3]その結果、日本国内における2050年エネルギー起源CO2ゼロ排出(ネガティブエミッション含む)の実現には、80%減シナリオと比べ、エネルギー供給部門、運輸部門の対策が重要となることが示されました。特にエネルギー供給部門は、ネガティブエミション技術に加えて、太陽光・風力などの出力変動を伴う電源(Variable Renewable Energies: VREs)の拡大など、エネルギーシステムの大幅な転換が必要となることが示されました。他方、建築部門は、80%減シナリオでもほぼゼロ排出となることから、80%減シナリオにおいてもCO2強度の低いエネルギー起源の電力や再生可能エネルギーへの転換が課題となります。また産業部門では、80%減とゼロ排出シナリオの差は小さいものの、今世紀後半に更なる削減を達成するには、これらの残存する排出量をいかに削減するかが重要な課題となることが示唆されました。なお同研究では、シナリオ間でのエネルギーサービス需要の変化を考慮していないため、技術対策のみで2050年ゼロ排出を達成するには、バイオエネルギー + CO2隔離貯留(BECCS)、VREsへの依存など、多くの困難を伴うことが示唆されます。今後は、社会シナリオについても幅を持たせた分析を実施し、社会シナリオがゼロ排出の達成に及ぼす影響についても考慮することが必要です。

図32050年までのエネルギー起源CO2排出量の推計結果(黒:気候政策無しケース(参照ケース);赤:2030年にパリ協定に提出した削減目標の達成(NDC)→2050年にBECCS無しで80%削減;青:2030年にNDC達成→2050年に100%削減;緑:2030年にNDCより大きな削減の可能性→2050年に100%削減)

上述の2つの研究成果を含む本プロジェクトの一連の出力を通じて、私たちは、パリ協定の目標実現に向けた気候変動政策が社会システムや自然システムに及ぼす波及的な影響について明らかにし、またその波及的な影響が好ましくないものであった場合に、その悪影響を軽減しうる追加的な対策・政策について検討することを目指しています。低炭素・脱炭素社会の構築には、今世紀、あるいはその先までかけて、GHG排出削減の取り組みを強化・継続していくことが求められます。その取り組みの実施が、社会にあるいは自然に対して、どのように作用するかを良く理解し、またその解決に向けた方策を見出し、さらにそれを実際に温暖化対策に取り組む現場にわかりやすく伝えていくことは、長期にわたるGHG排出削減の取り組みを現実のものとするために、極めて重要な課題であると考えています。

脚注

  1. Hasegawa et al. (2018) Risk of increased food insecurity under stringent global climate change mitigation policy. Nature Climate Change, 8, 699-703.
  2. Fujimori et al. (2018) Inclusive climate change mitigation and food security policy under 1.5 °C climate goal. Environmental Research Letters, 13(7), 074033.
  3. Oshiro et al. (2018) Transformation of Japan's energy system to attain net-zero emission by 2050. Carbon Management, DOI: 10.1080/17583004.2017.1396842.

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