2017年11月号 [Vol.28 No.8] 通巻第323号 201711_323001

「地球規模の気候リスクに対する人類の選択肢最終版」の公表

  • 地球環境研究センター 気候変動リスク評価研究室長 江守正多
  • 社会環境システム研究センター 広域影響・対策モデル研究室長 高橋潔

1. はじめに

ICA-RUS(Integrated Climate Assessment —Risks, Uncertainties and Society—)は、環境省環境研究総合推進費S-10「地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究」として2012〜16年度に実施された。ICA-RUSは、制約条件、不確実性、リスク管理オプション、社会の価値判断を網羅的に考慮した、地球規模での気候変動リスク管理戦略の構築・提示を目的とした研究課題であり、本稿報告者の江守が課題代表を、高橋がテーマ1(総括班・リスク管理戦略の構築)リーダを担当した。また、テーマ2(土地・水・食料の最適利用戦略)、テーマ3(気候変動リスクの分析)、テーマ4(気候変動リスク管理オプションの評価)、テーマ5(気候変動リスク管理における科学的合理性と社会的合理性の相互作用)については、それぞれ山形与志樹国立環境研究所主席研究員、鼎信次郎東京工業大学教授、森俊介東京理科大学教授、藤垣裕子東京大学教授がテーマリーダを担当した。2015年3月に、中間報告(地球規模のリスクに対する人類の選択肢第1版:http://www.nies.go.jp/ica-rus/report/version1/index.html)を公表し、その概要については国環研ニュース2015年10月号(https://www.nies.go.jp/kanko/news/34/34-4/34-4-02.html)に掲載した。研究プロジェクトの構成や目的についても同記事で紹介をしている。その後、ICA-RUSでは、2017年6月にその報告書の最終版(地球規模のリスクに対する人類の選択肢最終版;以下「報告書最終版」と呼ぶ:http://www.nies.go.jp/ica-rus/report/version2/index.html)を公表した。本稿では報告書最終版の概要について紹介する。

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図1報告書最終版の構成内容

2. パリ協定とICA-RUSプロジェクト

ICA-RUSの5年の研究実施期間のうちに、気候変動問題をめぐる状況は大きく進展した。2015年末に、国連気候変動枠組条約の第21回締約国会議がパリで開催され、2020年以降の気候変動対策の新しい国際枠組である「パリ協定」が採択された。パリ協定には「世界的な平均気温上昇を工業化以前に比べて2°Cより十分低く保つとともに、1.5°Cに抑える努力を追求する」こと、そのために「今世紀後半に人為的な温室効果ガスの排出と吸収源による除去の均衡を達成する」ことが長期目標として盛り込まれた。パリ協定は2016年11月に国際条約としては異例の速さで発効し、国際社会がこの長期目標を目指す体制が整った。

パリ協定採択前まで、ICA-RUS では、世界が1.5°C、2°C、2.5°Cといった異なる長期目標を目指したそれぞれの場合の、避けられるリスクや残留するリスクは何か、対策に伴うコストや副作用のリスクは何か等を整理し、人類が気候リスクに対処する方針の「選択肢」を示すことに努めてきた(第1版)。しかし、パリ協定で長期目標が合意されたことにより、人類の「選択」はすでに成されたとみることができる。そこで、パリ協定採択以降は、長期目標別のリスク分析・対策分析を拡充するとともに、プロジェクトの研究成果に基づき、パリ協定の長期目標の含意をリスクの観点から解釈し、残された課題について議論した。

3. 報告書最終版での分析の概要

報告書最終版では、工業化以前からの世界平均気温の上昇を66%程度の確率で1.5°C、2.0°C、2.5°C以下に抑えるための排出経路を緩和目標として掲げることを、それぞれT15、T20、T25という3つの「戦略」として設定した。その上で、影響評価と対策評価の両面から、不確実性を考慮しつつ、地球規模における各「戦略」の帰結を比較することを試みた(図2)。

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図2全球規模での気候変動リスクの管理戦略の検討手順 Step1で気候目標を設定し、Step2で目標実現に必要な排出削減努力と、目標達成にも関わらず残る気候変動リスクを論じ、さらにStep3ではその残された気候変動リスクへの対処について検討した。

農業、生態系、水資源、洪水、健康、ティッピングエレメント[注]の各項目について影響評価を行った結果、一般的傾向として、「戦略」間の差は、各「戦略」とBaU(business as usualの略:気候変動対策無しの場合と同義)との差に比べて小さく、かつ気候不確実性の幅と比べても小さいことが示された。このことから、地球規模リスクの観点からは、1.5°C、2.0°C、2.5°Cのいずれを目指すかという選択よりもむしろ、大きな方向性としてそのいずれかに確実に向かっていくこと、および気候不確実性への対処を考えることが重要であるという示唆が得られた。ただし、本研究では影響評価項目の包括性に限界がある上に、市場価値のような統合指標への換算ができておらず、項目間の比較や対策評価との比較にも限界があることに注意を要する。また、特定地域における特定項目の影響では「戦略」間の差が小さいとはいえない可能性がある。さらに、ティッピングエレメントに注目すると、「戦略」間の差が重要な意味を持つ可能性がある。ICA-RUSでは、既存知見を基に簡便な仮定を置いて、グリーンランド氷床融解の不安定化と北極海の夏季海氷の消滅について、閾値(ティッピングポイント)を超える確率を「戦略」ごとに試算した。T15では、2100年までに閾値を超える確率がT20に比較して半分前後に抑えられる結果となり、閾値現象を考慮することにより「戦略」間に顕著な帰結の違いが認識される可能性が例示された。

各「戦略」の緩和目標を達成するために必要な緩和策および経済損失等を複数の統合評価モデルを用いて見積もった結果、「戦略」間の差は顕著であった。特にT15は、本研究で用いた対策評価モデルの範囲では、よほど楽観的な条件の下でないと実現しないか、モデルによっては実行可能解が得られなかった。これらの「戦略」の緩和目標を達成するための技術オプションの選択は、モデルによって大きく異なり、原子力の大規模な導入により達成する方法も、再生可能エネルギーの大規模な導入により達成する方法もあることが示された。一方で、CO2隔離貯留(CCS)はどのモデルに従ってもある程度大規模な導入が必須である。なお、バイオマスエネルギーに大きく依存する対策を想定した場合、大規模バイオマス生産のための農地需要により、食料生産との競合、水資源の逼迫、生態系サービスの損失といった波及的な影響も懸念されることが、食料・水資源・生態系モデルを用いた追加分析により示唆された。一般に、統合評価モデル分析では、世界全体での経済合理的な最適行動を前提としているため、コスト等の見積りが楽観的になる傾向がある。しかし一方で、技術体系や社会経済体系を大きく変えるような未知のイノベーションを表現することはできないため、現実より悲観的な面があると見ることもできる点に注意を要する。

4. パリ協定の長期目標の含意と課題

パリ協定の排出経路目標は、上述した「大きな方向性として1.5°C、2.0°C、2.5°Cのいずれかに確実に向かっていくこと」の指針となる行動目標として評価できる。一方、排出経路目標が実現した際に温度目標が実現するかどうかは現実の気候感度等に依存し、不確実性がある。この不確実性に対処するために、第一に、「学習」による不確実性の低減に期待することができる。ICA-RUSでは、今後の気温上昇の推移を監視することによって、今世紀末の気温上昇予測の不確実性を今世紀半ばまでに半分程度まで減らせる可能性を示した。

また、将来の気温上昇が高い(〜気候感度が高い)ことが判明した場合に採りうるオプションとして、「A. 温度目標を超える気候状態の受入れ(適応を含む)」、「B. 緩和の強化による温度目標達成の追及」、「C. 気候工学(特に太陽放射管理)による気温制御」を提示し、追加分析を行った。Bについて、本研究の分析では、例えば気候感度を3.65°Cと仮定して気温上昇2°C未満を目指す緩和経路に沿った後、今世紀半ばに気候感度が4.5°Cと判明して2°C未満を目指すために緩和経路を強化した場合、T15を超える大きな経済損失が生じるという結果を得た。また、Cについて、本研究では、太陽放射管理の代表的アイデアである成層圏エアロゾル注入の実施コストが従来の想定よりも数倍以上大きいことを示すとともに、気候工学をめぐる倫理的な課題の検討を行った。なお、A、B、Cのいずれを選択したとしても、パリ協定の排出経路目標の実現により温度目標を達成できた場合に比べて、追加的なリスクを引き受ける必要があることに注意を要する。

5. おわりに

パリ協定での(世界的な平均気温上昇を工業化以前に比べて)1.5°Cに抑える努力への言及を受け、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は1.5°C特別報告書を2018年までに作成・公表することになった。また、パリ協定の目的および長期目標に向けた世界全体の進捗状況を定期的に確認し、取り組みを強化していく仕組みとして「グローバルストックテイク」が規定され、その第1回は2023年に予定されている。一方、現状では、各国の対策目標を合計しても世界全体で目指すべき削減ペースが実現する目途は立っておらず、今後は各国の目標の強化が求められる。パリ協定の採択・発効により、気候長期目標の議論が終わりになるわけではなく、問い直される機会はおそらく繰り返し訪れる。ICA-RUSの成果、あるいはそれを礎とした今後の研究成果が、議論の指針を与えるものであることを祈っている。

脚注

  • 海洋深層大循環の停止やグリーンランド及び南極における氷床の不安定化などの、しばしば不可逆性を伴う地球システムの大規模な変化

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