2014年2月号 [Vol.24 No.11] 通巻第279号 201402_279005

環境研究総合推進費の研究紹介 15 地球温暖化リスクと、私達はいかに付き合っていくのか? 環境研究総合推進費S-10「地球規模の気候変動リスク管理戦略の構築に関する総合的研究」(Integrated Climate Assessment − Risks, Uncertainties and Society: ICA-RUS)

  • 社会環境システム研究センター 統合評価モデリング研究室 主任研究員 高橋潔

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1. プロジェクトの概要

国連気候変動枠組条約における国際交渉では、「産業化以前からの世界平均気温の上昇を2°C以内に収める観点から温室効果ガス排出量の大幅削減の必要性を認識する」こと(いわゆる「2°C目標」)が、2010年のCOP16で採択されたカンクン合意に盛り込まれた。 翌年のCOP17では、全ての国を対象とした法的枠組みに関して、2015年の採択、2020年からの実施を目指すことが合意されたが、同時に2013年〜2015年に長期目標のレビューが実施されることが決まった。一方、2°C目標を達成するために必要な温室効果ガス排出削減量と各国の温室効果ガス排出削減目標との間には隔たりがあり、2°C目標の達成に向けた削減の見通しは立っていない。その隔たりについて、例えば2013年11月公表のUNEP報告書によれば、各国がこれまで約束した削減目標を達成した場合の温室効果ガス排出量の世界の合計値と、費用最小化の前提で見積もられた2°C目標達成に必要とされる世界の温室効果ガス排出量との差は、2020年時点で8〜12GtCO2e(Gt-CO2換算)となる(2010年時点の温室効果ガス排出量は約50GtCO2e)。

こうした状況をふまえ、本プロジェクト(以下ICA-RUSと呼ぶ)では、「クリティカルな(人類が回避すべきと考えられる)気候変動リスクの分析」「気候変動リスク管理に向けた土地・水・生態系の最適利用戦略の分析」「幅広い気候変動リスク管理オプションの評価」「気候変動リスク管理問題への科学技術社会論の適用」により、制約条件、不確実性、リスク管理オプション、社会の価値判断を網羅的に考慮した、地球規模での気候変動リスク管理戦略を構築・提示することを目的としている。これにより、国際的合意形成への寄与、日本の交渉ポジション・国内政策立案の支援、国民の気候変動問題への理解の深化への貢献を目指す。表1にICA-RUSの概要と課題を構成する5つの研究テーマを示す。

ICA-RUSの概要と5つの研究テーマ
課題代表者:江守正多 気候変動リスク評価研究室長
研究期間:平成24年度〜28年度
サブテーマ数・参画者数:23サブテーマ、約90名(研究協力者含む)

テーマ1:地球規模の気候変動リスク管理戦略の総合解析に関する研究 気候安定化目標を含む総合的な気候対策の道筋を合理的に決定するリスク管理戦略を提案する。
テーマ2:気候変動リスク管理に向けた土地・水・生態系の最適利用戦略 気候変動の影響および対策と水、エネルギー、食料、生態系などとの相互作用を、不確実性を含めて定量的に評価したシミュレーション結果を提示し、その結果に基づいて、コベネフィットやトレードオフ等を分析する。
テーマ3:クリティカルな気候変動リスクの分析に関する研究 人類が回避すべきと考えられる気候変動影響の候補について、それが発現する気温上昇レベル、悪影響の規模や性質などを不確実性を含めて網羅的に評価し、気候変動レベルごとのリスクを分析する。
テーマ4:技術・社会・経済の不確実性の下での気候変動リスク管理オプションの評価 緩和、適応、気候工学を含む広範囲の気候変動対策オプションについて、そのポテンシャルやコストなどを不確実性を念頭に置いて総合的に評価し、その達成難易度や対策オプションの合理的な組み合わせ方を分析する。
テーマ5:気候変動リスク管理における科学的合理性と社会的合理性の相互作用に関する研究 気候安定化目標等の決定に影響を及ぼす種々の価値判断に関する国民の意見分布を分析する。国民の気候変動リスク認知における社会的要素および科学・リスクコミュニケーション上の重要特性を分析する。

2. リスクトレードオフ

ICA-RUSのキーワードの一つが「リスクトレードオフ」である。他にも、不確実性、ステークホルダー、リスク認知、ティッピングポイント、意思決定、ネガティブエミッション、地球工学、価値判断、割引率など、説明すべきキーワードは多くあるが、紙面の都合、ここでは「リスクトレードオフ」に絞る。その他については、ICA-RUSレポート2013[注]をご一読頂きたい。

気候変動問題の文脈で「リスク」というと、まず、気温上昇あるいはそれに伴う降水量変化や海面上昇等により生ずる、水資源、農業、人間健康などの各部門に降りかかる悪影響が想起される場合が多いだろう。しかし、例えば産業界の方と話をすると、「政府の温暖化政策によって温室効果ガスの排出量が規制されたり税がかけられたりすると、生産活動の阻害・抑制につながる怖れもあり、それが企業経営にとっての主たるリスクである」といった意見も出る。このような産業界からの意見について、さら一歩踏み込んで考えると、所得減、景気悪化、失業増加といった形で、市民にも波及的に悪影響が生じうる。同じ「リスク」ではあるが、前者が「気候変動リスク」であるのに対して、後者は「政策・対策リスク」である。

気候変化の増大に伴い多方面で悪影響が激化していくとすれば、2°Cと言わずにより野心的な目標値を持つことにも大多数から賛成を得られそうである。しかし実際にそうならないのはなぜか。端的には、上述の「政策・対策リスク」のように、気候変動リスクの軽減に伴って逆に増大するリスクもあるためである。上では企業の生産・経営へのリスク(さらに波及的に増加する景気悪化や失業のリスク)を例として挙げたが、その他にも、再生可能資源であるバイオマスエネルギー利用の拡大に伴う食料生産との土地競合による食料需給リスクや、温室効果ガス排出の削減という観点からは有利な原子力への依存度を高めた場合の原発事故リスクなど、視点を移してあるいは拡げてみると、いくつも挙げることが出来る。

あちらを立てればこちらが立たず、という関係が方々にあるわけで、これがリスクトレードオフと呼ばれるものである。利用可能な資源にも限りのある中で、全てのリスクをゼロにすることは出来ず、表題の「地球温暖化リスクと、私達はいかに付き合っていくのか?」という問いに直面することになる。冒頭で触れた、2°C目標と現時点までの各国の温室効果ガス排出削減目標との間の隔たりについても、その背景に存在する様々なリスクトレードオフ関係を把握したうえで、改善策を練る必要がある。ICA-RUSでは、地球規模の気候変動リスク管理戦略の検討に際して、このリスクトレードオフ関係を可能な限り網羅的におさえることで、現実の意思決定プロセスにとって有用なリスク管理戦略の提示を目指している。どのリスク(とその軽減)をより重視するかは人によって異なるし、各リスクの見通しも大きな不確実さを伴うものである。そのような複雑さに囲まれた困難な課題ではあるが、どこに複雑さ・困難さがあるのかの発見・整理もICA-RUSで取り組むべき課題の一部と捉えて研究を推進することになる。

3. リスク・対策インベントリ

リスクのトレードオフ関係を正確に把握・整理するためには、温暖化影響についても、また対策についても、包括的に評価の対象とすることが前提となる。しかしながら、従来の温暖化研究においては、定量的な扱い・把握が容易な影響や対策ばかりが注視されがちであり、そのことが包括性をもった評価の限界となっていた。ICA-RUSでは、評価対象に含めるべきかどうかを検討するための事前資料・補助資料として、リスクならびに対策に関する一覧表(リスク・対策インベントリ)の作成に取り組んでいる。一覧表作成については、まずIPCC報告書等の既存資料を参考に素案を作成した後、それに対して各省庁の国際交渉担当者や産業界・NGOなどにインタビュー形式で意見を求め、その意見をふまえて素案の修正を行う、という手順で作成・改良を進めてきた。また、ウェブサイト[注]を使って一覧表を公表し、一般市民を含めより広範に意見を募ることも行っている。

4. おわりに

プロジェクト参画の研究者のみで閉じていては、描くリスク管理戦略の有用性にも包括性にも限界がある。ICA-RUSでは、その管理戦略の検討の過程についてなるべく透明性を確保し、検討過程に対するオーディエンスたる政策決定者、産業界、一般市民からの意見も広く参考にしていきたいと考えている。具体的には、以下の関連ウェブサイトを使い、年次レポートの公表、月例で実施しているリスク管理戦略検討のための会議(ICA-RUS総合化会議)の議論の要点の逐次公表、上述のリスク・対策インベントリへの意見募集などを行っている。是非、本稿読者の皆様にもご協力をお願いしたい。

脚注

目次:2014年2月号 [Vol.24 No.11] 通巻第279号

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